【韓国大統領選2017・文在寅研究】(中) 盧武鉉氏支えた最側近

20170412 01
「政権交代を通じ、盧武鉉大統領が果たせなかった夢を深める」――。韓国の野党第1党『共に民主党』の前代表・文在寅は、大統領候補に選出されて一夜明けた一昨日、慶尚南道金海市の烽下村を訪れた。墓には、2009年に収賄容疑の捜査を受けて自殺した盧が眠る。文は、“政治の師”である盧の墓前で、大統領選の必勝を誓った。文の半生は、7歳年上の盧との関係抜きには語れない。文は1980年に司法試験に合格後、弁護士としての活動を始めた。その時に出会ったのが、軍事政権に弾圧された民主化運動の関係者で、経済成長の歪みで過酷な労働を強いられた労働者たちを支援する活動をしていた盧だった。文は2011年に出版した自叙伝で、盧との出会いは「運命的で、自らの人生を決定付けた」と書いた。盧と文は、釜山で20年に亘り、“人権派弁護士”として活動。この時の経験を文は、今年1月発刊の対談集の中で、「世の中が資本の方向にだけ傾いている中、(労働者の側に)私が立ってこそ均衡が取れる。そんな考えが、私を政治に導いた」と語っている。盧が当選した2002年の大統領選で、文は釜山の選挙対策本部長を務めた。当選後、盧から「お前が私を政治の道に行かせたのだから責任を取れ」と言われ、2003年に検察等の法務行政全般に影響力を持つ大統領府民情首席秘書官に就任。2007年には秘書官を束ねる秘書室長に就任した。大統領府での仕事は、歯が10本も抜けるほどの激務だった。

盧を最側近として支えた大統領府での経験を元に、文は今回の選挙戦で“準備万全の候補”をアピール。側近に対しても、「大統領の判断を仰ぐ為、秘書室長時代に外交問題も含めたあらゆる政策に関わった」と自負を語っている。ただ、当時の大統領府高官からは、「労働・人権・北朝鮮問題にしか関心が無いように見えた」との証言もある。盧政権は、税制改革等で不平等の是正や既得権の打破を目指したが、改革は中途半端に終わった。政権の末期には『米韓自由貿易協定(FTA)』を推進したこと等で、左派層まで離反し、低支持率に苦しんだ。それでも文は、前出の対談集の中で、盧政権について「民主主義は大きく発展し、国民が主権者という意識が定着した」と自賛している。盧の死後、文は2012年4月の国会議員総選挙で、「盧大統領の精神を引き継ぐ人が当選しなければならない」と訴えて初当選し、政界に進出した。同年12月の大統選では、48%の得票率を得たものの、前大統領の朴槿恵に接戦の末に敗れた。その後も、次期大統領選の有力候補とみられてはいたものの、支持率では昨年末まで国連事務総長だった潘基文の後を追っていた。文は昨秋以降、2つの幸運に恵まれた。朴の友人である崔順実被告による国政介入事件による朴の失脚。もう1つが、潘の出馬取り止めだ。文は強気で攻めた。朴の弾劾を求める街頭集会に積極的に参加。昨年12月には月刊誌のインタビューで、「弾劾訴追が葉却されれば革命しかない」と語り、朴の弾劾審判を行う憲法裁判所に暗に圧力をかけた。文は、今月3日の候補受諾演説で「雇用大統領になる」と述べ、若年層で深刻な失業や低賃金問題を重点公約に掲げる方針を示したが、盧よりも左派路線を取る姿勢も垣間見える。雇用対策として、公務員等の公共部門で81万の雇用を創出することを発表し、早くも「税金で公共部門の仕事を増やしていけば、終着地は財政破綻」(毎日経済新聞)と批判を浴びている。『サムスン』等の4大財閥を“集中改革”することも訴えている。国政介入事件で表に出た巨大財閥と政治の“癒着”に対する有権者の不満を意識したポピュリズム(大衆迎合主義)的な側面は否めない。文が左派路線を突き進めば、韓国社会の亀裂が一層深まるのは避けられない。 《敬称略》


⦿読売新聞 2017年4月6日付掲載⦿
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