【「佳く生きる」為の処方箋】(47) 患者に育てられた“鬼手仏心”

“鬼手仏心”という言葉をご存知でしょうか? 外科医が座右の銘としてよく挙げる言葉の1つです。手術の時、外科医は残酷なほど大胆にメスを入れるが、それは「何としても患者を救いたい」という温かい純粋な心からである――。辞書にはそのように説明されています。確かに、生身の人間にメスを入れるのですから、その行為だけを見れば“鬼”の所業です。それが許されるのは、「患者さんを助けたい」という仏の心があってこそ。鬼手と仏心の両方が揃って初めて、外科医のあるべき姿となる訳です。ただ、この言葉には外科医によって色々な解釈があり、私も自分なりの捉え方をしています。先ず鬼手については、“人間業とは思えないような超越した手術手技を駆使すること”と考えています。巷で言われる“神の手”とか“ゴッドハンド”に近いもので、この“手”を得るには、数多くの手術をして、高い確率で良い結果を出すことが必要条件。そして、その手は目の前の患者さんに等しく提供されなくてはなりません。ならば鬼の手でなく、神の手でもよさそうなものですが、私にとってはやはり鬼のほうがしっくりきます。何故なら、手術をしている時は一種、“魂を売っている”ような感覚になるからです。特に困難な手術においては、「自分と引き換えでもいいから、この患者を助けてほしい」といった気持ちになることがあります。鬼に命を差し出す代わりに超人的な力を与えてもらう…そんな風に自分自身をギリギリまで追い込む一瞬があるのです。心臓の手術は後戻りができません。心臓の鼓動を一旦止めて、人工心肺装置の下で手術を始めたら、治さない限り、患者さんを生きる側に連れ戻すことはできないのです。

癌の場合は、腫瘍を取り切れないとなれば、途中で閉じて手術を終えることもできますが、心臓手術は謂わばUターンできない一本道。前へ前へと進んで、閻魔様と闘うしかありません。余談ですが、“鬼手”という言葉にはついヒーローもののイメージを重ねてしまいます。普段は普通の人間でも、一度手術室に入ると変身して鬼手となり、病魔と闘う――。子供の頃に『仮面ライダー』等を見て育ったアニメ世代ならではの発想でしょうか。次に“仏心”ですが、これは私にとって“贖罪”です。これまでに7500例ほどの手術をしてきましたが、中には力及ばず救えなかった患者さんもいました。若い頃は、能力や経験が足りないのに背伸びをしたり、天狗になったりして難しい手術に挑み、不幸な結果を招いたこともありました。患者さんのご家族から「どうしてうちの主人だけ…」と泣きつかれた時のことは、今でも忘れられません。できることなら消しゴムで消してしまいたい過去ですが、そうはいきません。亡くなった患者さんやご家族に対しては心の中で謝り続け、同時に「その苦い経験を決して無駄にはしない」と固く誓っています。そして、そういった思いは全部、目の前にいる患者さんと、これから出会う患者さんに等しく還元していきます。今苦しんでいる患者さんに、自分の持つ力を惜しみなく注ぎ込むことで、それができなかった過去の患者さんへの罪滅ぼしをしている訳です。これが私にとっての仏心です。考えてみれば、自分を極限まで追い込んで外科医としての技術を磨いてきたのも、「絶対に諦めない」という精神的な強さを身に付けてきたのも、「過去の失敗を乗り越えたい」という思いがあったからこそ。「他の誰にも負けない」という決め技を繰り出す鬼の手も、全ての患者さんを等しく慈しむ仏の心も、育ててくれたのはやはり患者さんだったのです。


天野篤(あまの・あつし) 心臓外科医・『順天堂医院』院長。1955年、埼玉県生まれ。日本大学医学部卒。『亀田総合病院』『新東京病院』等を経て、2002年に順天堂大学医学部心臓血管外科教授に就任。2012年2月18日に天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀。2016年4月より現職。著書に『一途一心、命をつなぐ』(飛鳥新社)・『この道を生きる、心臓外科ひとすじ』(NHK出版新書)等。


キャプチャ  2017年4月13日号掲載
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