【中外時評】 再雇用で賃金下げの是非

仕事が同じなら賃金も同じにする『同一労働同一賃金』を巡って、政府は昨年末、待遇の差がどんな場合に問題になるかを示すガイドラインを纏めた。だが、企業の人事担当者が注目していたにも拘わらず、判断を避けたところがある。「定年後の再雇用において、仕事に変更が無いのに賃金を下げることは認められるか?」という点だ。同一労働同一賃金は非正規社員の待遇改善で語られることが多いが、定年後の雇用でも、これをどう考えるかという問題が出てくる。判断を先送りしたのは、運送会社『長沢運輸』(神奈川県横浜市)に定年後再雇用されたトラック運転手3人の起こした訴訟が、最高裁判決を控えている為だ。「仕事が同じなのに、我々嘱託社員の賃金が正社員より低いのは違法だ」として、差額分の支払い等を求めた。昨年5月の東京地裁判決は、「賃金格差は不合理だ」として原告の請求を認めた。しかし、11月の控訴審判決では1審判決が覆った。東京高裁は、会社が原告に退職金を支払ったことや、定年到達者には在職老齢年金制度もあること等を考慮し、「賃下げが不合理とは言えない」とした。最高裁の判断を参考に、政府は同一労働同一賃金ガイドラインの補強を検討する。ただ、判決がどうあれ、はっきりしているのは、「定年後の雇用の在り方が問い直され始めた」ということだ。『国立社会保障・人口問題研究所』の将来推計人口によると、総人口に占める60歳以上の比率は、2015年の33%から2030年に38%、2040年に43%へと高まる。労働力不足を補い、社会保障制度を支える為にも、定年以降も働き続けることは重要になる。だが、定年到達者の8割が選ぶ再雇用は、待遇が必ずしも芳しくない。『労働政策研究・研修機構』の2015年の調査では、4人に1人は定年直後に賃金が41~50%下がっている。

処遇について、「仕事の責任の重さが僅かに変わった程度なのに、賃金が下がり過ぎだ」と答えた人は、複数回答で全体の17%。「貢献度が下がった訳ではないのに賃金が下がるのはおかしい」という人は21%いた。不満を抱えながら働けば、生産性が上がり難い。長沢運輸の訴訟で東京高裁は、「定年後に職務内容が変わらないまま賃金を下げることは広く行われている」としたが、「この現状を放置していいのか?」という問題がある。シニア社員のモチベーションを如何に高めるかは、企業の課題だ。60代前半の再雇用者について、人事評価を賃金に反映させている企業は15%に留まる。成果主義を広げる余地は大きい。やり甲斐は“お金”だけではない。『大和ハウス工業』は定年年齢を65歳に引き上げ、シニア社員の年収の減少を緩やかにしたが、重視したのは彼らの活躍の場を設けることだった。本社の安全管理部門で後進の指導に特化する人には“シニアメンター”、支店で銀行や税理士等とのパイプ役になる人には、営業推進の“シニアエキスパート”の呼称を用意した。職務を絞り込んで専門能力を発揮してもらう“ジョブ型”の雇用とも言える。定年後再雇用にも参考になる。長沢運輸の訴訟の最高裁判決で運転手側が勝訴した場合、企業への影響は大きい。定年後も同一労働同一賃金の原則が明確になり、再雇用者の処遇の見直しを迫られる。会社側勝訴でも、「再雇用者が退職金や年金を貰っていることは、賃金を決める際に考慮する要素にはならない」との判断が示されれば、企業への影響は少なくない。定年後再雇用者の処遇改善を進めれば、煽りを受けるのは現役社員の賃金だ。年功賃金制の下、企業が定年までの社員と家族の生活保障をしてきた日本型雇用に、改革圧力が加わる。専門性を磨いたり、新しい技能を身に付けたりして自らの生産性を高めなければ、賃金は上がらなくなる。この傾向は一層強まろう。大学院での勉強やIT分野のスキル習得等、社会人の学び直しを支援する仕組みを充実させる必要がある。“働き方改革”は緒に就いたばかりだ。 (上級論説委員 水野裕司)


⦿日本経済新聞 2017年4月13日付掲載⦿
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