【日朝文化史のリアル】(19) 北の芸術団訪日(下)…“最強カード”ドタキャン劇

北朝鮮の芸術団の中で最も多くの訪日公演を行なったのは『平壌学生少年芸術団』であろう。北朝鮮全国から選抜された芸術エリートの少年少女達が、朝鮮の歌や踊り、民族楽器演奏、更には日本の歌やアニメソングまで披露する。1978(昭和53)年の初来日以来、日本各地で大人気を博し、多くの会場は満員盛況に沸いた。初来日時の記事が週刊誌に出ている。「来日中のピョンヤン学生少年芸術団(※キム・ウジョン団長以下135人)の愛くるしい演技が、各地で話題を呼んでいる…8歳から14歳までの少年少女で組織されているが、ふつうの劇団とは違い、全国の小中学校から選抜された国家的エリートたち。歌に舞踊に、民族楽器演奏にと、いずれも洗練された高度な技術で聴衆を魅了…」(※『週刊読売』1978年5月28日号より)。“純粋無垢”な子供達が、南北の対立や国際政治の駆け引き等を超越して“夢を見せてくれる”という触れ込みだった。とりわけ、朝鮮学校に通う在日の子供達にとって同芸術団のメンバーは憧れの的。東京では、都心の高級ホテルのワンフロアを借り切って団員が宿泊するのが常だったが、「同じホテルに泊まりたい」という在日少年らの“追っかけ”ファンが押しかけたという。評判を呼んだのは日本だけではない。アルゼンチン公演では、感激した同国の大統領から、其々の団員に1台ずつ自転車がプレゼントされたというエピソードも。2002(平成14)年秋の訪日公演は、同芸術団として15年ぶり四度目になる筈だった。10~11月にかけ、全国13都道府県で30回余りの公演が組まれ、前評判も上々だったのである。何しろ、同年9月17日には当時の首相・小泉純一郎が訪朝して、北朝鮮の総書記・金正日と初の日朝首脳会談を行ない、国交正常化への期待が嘗てないほど高まっていた。金正日は日本人拉致を認めて謝罪、10月15日には拉致被害者5人が帰国を果たしている。その最中に公演は予定されていた。同芸術団は、その2年前の2000年5月には韓国の首都・ソウルで公演を行ない、翌月に行なわれた南北首脳会談の“前景気”を煽っている。北朝鮮にとって、同芸術団は“芸術外交”における最強のカードだったわけだ。
だが、平壌学生少年芸術団による四度目の訪日公演は実現しなかった。日本政府が同芸術団の引率者3人を“不審人物”とみて、該当者の入国を認めない方針を決定。3人以外の入国については問題視しなかったが、メンツを潰された北朝鮮側は強く反発し、経由地の北京から芸術団全員を北朝鮮へUターンさせたのである。当然、30回余りの公演は全てキャンセルされた。2002年10月16日付本紙朝刊の記事を見てみたい。「政府は25日、北朝鮮の平壌学生少年芸術団の訪日団約50人のうち引率者3人に対し、渡航証明書を発給せず入国を認めないことを決めた。申請者のリストを警察庁などに照会した結果、対外工作機関“統一戦線部”のメンバーとみられることが判明したため。同芸術団は、児童・生徒による歌や舞踏、楽器などの団体で、これまで3回訪日実績がある。今回は13都道府県で公演を予定している」。この“報復措置”として、北朝鮮は翌11月、年内に訪朝を予定していた日本の北朝鮮経済文化視察団等の入国を拒否した。視察団には、拉致被害者家族らとの面会を希望するマスコミ関係者も参加を予定していたという。この一連の出来事は、日朝間の融和ムードに冷や水を浴びせることになった。親善交流の動きも止まり、北朝鮮国家レベルの芸術団の訪日公演はこの時以来、現在に至るまで行なわれてない。同芸術団の公演中止は、北朝鮮や日本の“窓口”である『在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)』にとって、政治的にも、興行的にも打撃になったのは間違いない。押さえていた各会場は直前のドタキャンとなった為、巨額の違約金も発生した。彼らは、どこで間違えたのだろうか? この時、訪日公演を主導した組織は、朝鮮総連傘下の中堅・若手で組織された団体である。丁度、平壌学生少年芸術団の団員と同じ年頃の子供を持つ親世代が多い。訪朝した際に同芸術団の公演を見て感激し、「是非日本へ呼びたい」「平壌旋風を巻き起こす」と勢い込んだのである。彼らが訪日公演を手掛けるのは初めてのことだった。彼らは、とりわけ文化・芸術に精通しているわけではない。また、北朝鮮の“不審人物”の入国に神経を尖らせる日本の法務・警察当局等への対処やノウハウにも欠けていたのだろう。こうした芸術団の訪日公演の場合、日本当局との調整だけで1ヵ月以上の時間を要するケースも珍しくない。当然、芸術団が北京へ到着する前に、その根回しも済んでいる必要があった。本紙記事に登場する朝鮮労働党の統一戦線部は、在日朝鮮人等在外同胞を包摂する情報機関で、外交、経済、宣伝等様々な工作に関わってきたとされる。朝鮮総連を担当する部署もそこに含まれ、この時は長く“在日利権”を牛耳ってきた大物の名前が団員リストに入っていたという見方が強い。そうであれば、日本の公安当局は決して見逃さないだろう。“脇が甘かった”という他はない。北朝鮮の訪日芸術団のトラブルは他にもある。ある芸術団のケースだ。公演を終え、北朝鮮へと戻る船が日本を離れた途端、訪日団幹部が団員全員を甲板に集合させた。曰く、「日本滞在中に貰った金銭やプレゼントを全てここに出しなさい」と――。誰から、どんな経緯で貰ったのか、詳細な事情聴取が行なわれた。逆らうことはできない。黙っていて後で“密告”でもされたら、もっと酷い目に遭うことは明白である。申告・提出した金品が再び、団員の手に戻ってくることはなかった。韓国では『思郷歌(サヒャンガ)事件』が起きている。北朝鮮の芸術団が訪韓した際、この朝鮮の名曲の創作者として“金日成”の名がクレジットされていることに、韓国メディアが「事実ではない」と噛みついた。北へ戻った団員を待っていたのは、当局からの厳しい叱責だった。「何故反論しなかったのか?」。この事件では、多くの団員が降格処分を受けたという。以来、芸術家は訪韓公演への参加を嫌がるようになった。どんな難癖をつけられるかわからず、リスクが高過ぎる。2002年の平壌学生少年芸術団訪日公演中止のショックは、あまりに大きかった。現在は、日朝関係が冷え込み、様々な交渉も膠着状態にある。訪日芸術団の派遣を再開させる動きは、今のところ全く見えてこない。 《敬称略》 (編集委員 喜多由浩)

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