【坂東賢治の目】(10) “ダボス文化”と“文明の衝突”
スイスのリゾート地、ダボスで例年1月に開かれる民間シンクタンク『世界経済フォーラム』の年次総会。“ダボス会議”の通称で知られる会議の期間中、現地では世界各国から集まるVIP用に持ち家を貸す住民が少なくないそうだ。米紙が「ローン1年分が返済できる」と伝えていた。といっても、新型コロナウイルスの流行で一昨年は中止になり、昨年は5月に日程を変更して開催された。1月中旬に開かれた今年の会議は、3年ぶりの冬開催だった。この間に世界は大きく変わった。コロナ禍の世界的拡大で生活習慣まで変わる一方、米中対立が深刻化し、ロシアがウクライナに侵攻した。“分断された世界における協力”をテーマに、ドイツのオラフ・ショルツ首相ら各国首脳、企業幹部、学者ら2000人以上が集まったが、ロシアの新興財閥(※オリガルヒ)は締め出された。グローバル化や国際協調に罅が入り、新たな協力の行方にも疑問符がつく。異例の暖冬で、スイスではスキー場の雪不足も伝えられた。欧州のエネルギー不足が緩和されたのは良かったが、ダボス会議が重視してきた気候変動への対応を巡っては足並みが乱れている。アメリカのジョー・バイデン大統領の特使を務めるジョン・フォーブズ・ケリー元国務長官は「産業革命以来、経済的に最大の変革が起こるだろう」、と企業を含めた脱炭素の動きに楽観的な見通しを示した。一方、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんら環境活動家は、『気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)』が年末に産油国のアラブ首長国連邦(※UAE)で開かれることを批判し、UAEを擁護するケリー氏と対立した。ダボスに集うエリートの共通点を“ダボス文化”と呼んだのは、『文明の衝突』を著したアメリカの政治学者、サミュエル・ハンチントンである。“個人主義、市場経済、民主主義を信奉する”人々と評している。影響力の大きさを認めつつ、文化を共有するのは世界人口の1%未満、約5000万人と推測した。ダボス会議が目指す“普遍的な文明”を否定し、将来像として“多極的で多文明的な世界”を想定したハンチントンらしい。2001年9月11日の同時多発テロで、イスラムと西欧の衝突が現実化した。更に、経済大国になった中国が“普遍的価値”に背を向けて米中対立が深まり、ウクライナ侵攻でロシアと西欧の対立が決定的になった。“文明の衝突”の証左のようにも見える。
アメリカの政治学者、イアン・ブレマー氏は「世界が地政学的不況に陥った」という見方を示したが、ダボスではなお楽観的な見方が支配的という。イギリスの歴史学者、ニーアル・ファーガソン氏は「供給網の分断が起きても、西側はTikTok等中国製アプリを使い続けるだろう」と指摘し、「脱グローバル化は幻影だ」と主張した。ただ、分断はダボスと大西洋を挟んだアメリカの間にもある。『ウォールストリートジャーナル』は、「ダボスでの共通認識と共和党等アメリカの保守派の価値観に深い裂け目が生じている」と指摘する。一方、イギリスの経済誌『エコノミスト』は、バイデン政権が中国に対する技術的優位を確保する為、半導体や電気自動車の生産に巨額の補助金支出を決めたことを、「保護主義へと向かう危険な世界的潮流を先導している」と批判した。世界経済フォーラムは2007年から中国で“夏のダボス会議”を開催する等、中国を積極的に取り込もうとしてきた。中国も習近平国家主席が参加する等、協力姿勢を示してきたが、今年はダボスから中国人富裕層が姿を消した。勿論、コロナ禍の影響はあるが、“共同富裕”を打ち出し、IT大手『アリババ』の創業者である馬雲(※ジャック・マー)氏ら民間企業家への圧力を強めてきた習指導部の政策との関連を疑う向きもある。そんな懸念を払拭させる狙いもあったのだろう。劉鶴副首相を派遣し、アメリカのジャネット・イエレン財務長官との会談にも応じた。劉氏の演説も、外国企業や外国人投資家に安心感を与えるリップサービスが満載だった。金融リスクの解消や不動産市場の安定化に向けた努力を強調して、中国経済の健全性をアピール。更に、共同富裕について“長期的な課題”と位置づけ、「外国人実業家を含む企業家は社会の富を創造する重要な要素だ」と強調した。昨年末にゼロコロナ政策を突然、撤回して以降、習指導部の対外姿勢にソフトムードが漂う。年末に発表する恒例の新年挨拶で、習氏が前年と違い、台湾との統一に触れなかったことが注目された。コロナ禍の急拡大に加え、昨年の経済成長率が3%にとどまり、人口も減少に転じた。厳しい国内情勢を考えれば、各国との対立を緩和させたいと考えるのは不自然ではない。グローバル化の行方は中国と密接に関連する。3月に退任する劉氏の発言が実質を伴うものか、見守っていきたい。
坂東賢治(ばんどう・けんじ) 本紙論説室特別編集委員。1957年、長崎県生まれ。東京外国語大学中国語科卒。秋田支局、政治部、香港支局長、中国総局長、ニューヨーク支局長、北米総局長、外信部長等を歴任。
2023年1月28日付掲載
アメリカの政治学者、イアン・ブレマー氏は「世界が地政学的不況に陥った」という見方を示したが、ダボスではなお楽観的な見方が支配的という。イギリスの歴史学者、ニーアル・ファーガソン氏は「供給網の分断が起きても、西側はTikTok等中国製アプリを使い続けるだろう」と指摘し、「脱グローバル化は幻影だ」と主張した。ただ、分断はダボスと大西洋を挟んだアメリカの間にもある。『ウォールストリートジャーナル』は、「ダボスでの共通認識と共和党等アメリカの保守派の価値観に深い裂け目が生じている」と指摘する。一方、イギリスの経済誌『エコノミスト』は、バイデン政権が中国に対する技術的優位を確保する為、半導体や電気自動車の生産に巨額の補助金支出を決めたことを、「保護主義へと向かう危険な世界的潮流を先導している」と批判した。世界経済フォーラムは2007年から中国で“夏のダボス会議”を開催する等、中国を積極的に取り込もうとしてきた。中国も習近平国家主席が参加する等、協力姿勢を示してきたが、今年はダボスから中国人富裕層が姿を消した。勿論、コロナ禍の影響はあるが、“共同富裕”を打ち出し、IT大手『アリババ』の創業者である馬雲(※ジャック・マー)氏ら民間企業家への圧力を強めてきた習指導部の政策との関連を疑う向きもある。そんな懸念を払拭させる狙いもあったのだろう。劉鶴副首相を派遣し、アメリカのジャネット・イエレン財務長官との会談にも応じた。劉氏の演説も、外国企業や外国人投資家に安心感を与えるリップサービスが満載だった。金融リスクの解消や不動産市場の安定化に向けた努力を強調して、中国経済の健全性をアピール。更に、共同富裕について“長期的な課題”と位置づけ、「外国人実業家を含む企業家は社会の富を創造する重要な要素だ」と強調した。昨年末にゼロコロナ政策を突然、撤回して以降、習指導部の対外姿勢にソフトムードが漂う。年末に発表する恒例の新年挨拶で、習氏が前年と違い、台湾との統一に触れなかったことが注目された。コロナ禍の急拡大に加え、昨年の経済成長率が3%にとどまり、人口も減少に転じた。厳しい国内情勢を考えれば、各国との対立を緩和させたいと考えるのは不自然ではない。グローバル化の行方は中国と密接に関連する。3月に退任する劉氏の発言が実質を伴うものか、見守っていきたい。
坂東賢治(ばんどう・けんじ) 本紙論説室特別編集委員。1957年、長崎県生まれ。東京外国語大学中国語科卒。秋田支局、政治部、香港支局長、中国総局長、ニューヨーク支局長、北米総局長、外信部長等を歴任。

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