【「佳く生きる」為の処方箋】(48) 20年目の解答

心臓外科医としての初心、それは「父親の病気を治したい」という非常に私的な思いでした。心臓弁膜症だった父は、私が医学部2年生の時に僧帽弁置換術を受け、一旦は見違えるほど元気になりました。しかし、9年後に受けた2回目の手術では、新しく交換した機械弁が縫合不全を起こして容態が悪化。結局、3年半後に3回目の手術を受け、そこで命を落とすことになりました。66歳でした。何故、縫合不全になったのか――。それをずっと考え続けてきましたが、数年前、やっと自分なりの“解答”に辿り着きました。機械弁自体に問題があったのです。私も父に使用したのと同じ機械弁を多くの患者さんに使ってきましたが、弁が外れて通常よりも早く再手術が必要になる例が相次ぎました。自己組織への適合性が悪く、縫い付けた弁が心臓に馴染んでいなかったのです。「これだったのか」。父の縫合不全は手術をした側に問題があったと思い込んでいましたが、本当の原因は別にあった訳です。もっと言えば、悪かったのは結局、自分。あのタイミングで手術を決めた自分の判断ミスと勇み足が、父の死期を早めてしまったのです。私が心臓外科医として一人前になれたのは、人より器用だったとか、一生懸命トレーニングに励んだということもありますが、一番は失敗をそのままにしなかったからだと思っています。何故、手術が上手くいかなかったのか、どうして助けられなかったのか、その原因を分析して必ず答えを導き出し、次に生かすのです。でないと、同じ失敗をまた繰り返すことになります。こうした積み重ねが今の私を作り、治療成績の向上にも繋がったと確信しています。

父のことでは、答えがわかるまでに20年以上かかりましたが、逆にいうと、この道で長年ずっとやってきたからこそ、答えを見つけられたのです。辛い現実ではありましたが、やっと父の死を受け入れられたと思いました。このことと関係するのか、その頃から最重症の患者さんへの接し方が変わりました。「負けたら死ぬかもしれない。でも、助かる方法は今の医学では手術しかありません。それでも手術をしますか?」と、患者さんにはっきり話すようになったのです。外科医にとって、患者さんの死は敗北です。嘗ての私はそれを認めたくない、自分をよく見せたいという気持ちから、“死”を前面に出すことを避けていました。けれども、そんな中途半端な気持ちではダメだ、もっと自分をぎりぎりまで追い込んで、患者さんと一緒に闘わないといけない――。そう思うようになったのです。手術をしなかったら、座して死を待つばかり。かといって、手術をしても、自宅に帰れないまま亡くなる危険もある。それでも少しでも可能性があるなら、それに賭けたい、未来に向けて夢を見たいという患者さんはいます。勿論、外科医にしてみれば危ない橋を渡ることになりますから、“初めから手術をしない”という選択肢もあります。逃げるのは簡単。そのほうが治療成績は上がりますし、評判を落とすリスクもありません。しかし、私はやっぱり患者さんと一緒に闘いたいし、諦めたくはありません。どの心臓外科医よりも高い確率で助けられるよう、準備万端にして手術に臨み、患者さんが願っている未来への夢を見させてあげたいと思うのです。私の父も、手術が上手くいって元気になっていれば、孫の顔を見て相好を崩す良いお爺ちゃんになっていたでしょう。救えなかった患者さんたちにも、見たい未来があった筈です。「患者さんの夢の実現を後押しできる外科医でありたい」。そう思うと、立ち止まってはいられないのです。


天野篤(あまの・あつし) 心臓外科医・『順天堂医院』院長。1955年、埼玉県生まれ。日本大学医学部卒。『亀田総合病院』『新東京病院』等を経て、2002年に順天堂大学医学部心臓血管外科教授に就任。2012年2月18日に天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀。2016年4月より現職。著書に『一途一心、命をつなぐ』(飛鳥新社)・『この道を生きる、心臓外科ひとすじ』(NHK出版新書)等。


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