【熊本地震1年・教訓と課題】(上) 災害に強い町、早く

震度7の激震が2度襲った昨年4月の熊本地震から間もなく1年。各自治体は、復興に取り組む中で、人口の流出にも直面している。瓦礫を撤去した更地と、揺れに耐えた建物が混在する被災地。多くの住民は生活再建を見通せず、現在も4万人以上が仮設住宅等で暮らす。スピード感のある復興の実現が急務となっている。

20170425 09
熊本市に隣接するべッドタウンで、町内の98%に当たる約1万棟が損壊した熊本県益城町。嘗て住宅・商店・病院等が密集していた県道沿いは、損壊家屋の解体が進み、更地が目立つ。整地や測量の作業員たちが慌ただしく動く。県や町が目指すのは、防災や輸送機能の強化も見据えた“創造的復興”だ。地震当時、2車線で幅10mの狭い道路に瓦礫が食み出し、緊急車両の通行を妨げた。県は、この県道3.5㎞を10年かけて4車線、幅27mに拡幅する事業に取り組む。熊本市と熊本空港を結び、九州自動車道にも近い交通の要衝。「益城を熊本復興のシンボルにしたい」と蒲島郁夫知事は意気込む。ただ、課題は多い。区画整理の対象は450世帯を超す。激震で損壊しながら、今も残る建物は多い。県道沿いの自動車整備工場。鉄骨プレハプの建物は、地震で柱の一部が傾いた。工場の半分を使った業務が続く。経営者の熊宮敏紘さん(49)は、「補修資金を調達して、ここで再建する予定だったのに、区画整理されるのでは前に進めない」と首を振った。

住民からは、「地域の将来像が見えない」と戸惑いの声が上がる。町の人口は3万3000人余り。現在、その2割超は仮設住宅や町内外のアパート等での避難生活だ。開発に伴う人口の増加傾向は一転し、昨年は転出超過が全国の市町村で6番目に多い1319人。人口の多い熊本市も1540人の転出超過で、県全体では6791人の超過だ。益城町の自宅が全壊して、避難生活の末、娘がいるさいたま市へ移り住んだ武田和博さん(73)は、「夫婦とも70代。復興に10年間かかると聞いて、町を離れることにした」と明かす。大規模な土砂崩れが発生した同県南阿蘇村の被害も深刻だ。交通の大動脈だった阿蘇大橋は崩落し、水道等の社会基盤が復旧せず、集落の存続が危ぶまれる地域もある。“創造的復興”は、1995年の阪神大震災で兵庫県知事だった貝原俊民氏(故人)が掲げた理念だ。原状回復だけでなく、新たな都市再生を言指す――。地域の実情に合わせた複興が、その後、各地で続いた。東日本大震災の被災地では、人口減少に対応する為、行政機関・商業施設・住宅等を集約して整備する“コンパクトシティー化”が進む。宮城県女川町・石巻市・岩手県大船渡市。何れもJRの駅周辺に施設を集める計画だ。政府は今年2月、マグニチュード7級以上の地震が起きる可能性がある主要活断層帯を新たに16追加し、計113断層帯とした。大地震は全国で起こり得る。神戸大学の室崎益輝名誉教授(防災計画)は、「東日本では復興事業が遅れ、人口減が続く地域もある。流出を防ぐには、住民が希望を持てる地域作りを急がねばならない」と指摘する。 (上村広道)

20170425 05
「建物の解体が進み、学生たちの声も消えた。私の知らない土地のように感じることもあるんです」――。熊本地震の影響で閉鎖中の東海大学阿蘇キャンパスが広がる熊本県南阿蘇村黒川地区。今月6日夕、渡辺武さん(70)は、学生アパートが解体された更地に足を運んだ。経営していたアパートと下宿計4棟は、昨年4月16日の本震で全壊。アパートの下敷きになった住人の同大4年生・脇志朋弥さん(当時21)が亡くなった。住民の2倍を超す約800人の学生が住んでいた地区は“学生村”と呼ばれたが、地震で一変した。脇さんを含む学生3人が死亡し、阿蘇キャンパスは講義棟や動物舎等52棟全てが損壊した。大学は約25㎞離れた熊本キャンパス(熊本市)での講義を再開し、学生は地区を離れた。地区への大学進出は44年前。住民と学生らは毎年、親睦の球技大会を開き、4年前には約20年ぶりに地域の祭りを復活させた。地震前、学生アパートや下宿は約60棟あったが、多くの大家は廃業した。「学生のいない黒川は想像もできなかった」と渡辺さんは話す。住民らはキャンパスの存続を求めて、大学に嘆願書を提出。大学は「全面的再建は不可能」としながらも、「2018年度以降、一部の実習を再開する」と発表した。ただ、学生が戻る見通しは立っていない。約1500棟が全半壊した村には先月、復興計画の具体化を公約に掲げた新村長が誕生。同月には村役場の新庁舎も完成した。地震後に新設した“復興推進室”を課に昇格させ、復興への動きを加速させる。

地区の住民代表と村職員らは同月20日、黒川の将来像等を話し合う初の会合を開いた。今月に区長に就任した今村哲也さん(70)は、「積み上げてきたものが地震でゼロに戻った。今から全てを作り上げるつもりで前を向くしかない」と話す。阿蘇外輪山を東西に貫く俵山トンネルで南阿蘇村と繋がる西原村は、本震で震度7を観測した。2004年の新潟県中越地震の被災地・旧山古志村(※現在の長岡市)をモデルに、地区の再生に取り組む。共に中山間地域を抱える。住民同士の絆を重視した旧山古志村の経験を生かし、地区毎に同じ仮設団地に入居した。昨年6月には、6つの地区で復興の方針について話し合いが始まった。議論には、旧山古志村の復興に携わったNGO関係者らも加わる。約30世帯の約8割が全半壊した古閑地区は、斜面に住宅が並ぶ。地区の一部は“急傾斜地崩壊危険箇所”に指定され、地震で土砂崩れも起きた。当初は移転を希望する声が相次いだ。住民らは昨年10月、2005年の福岡県西方沖地震で住宅の約7割が全半壊した玄界島(福岡市)を視察。全島避難から3年間で希望者全員の帰島を果たした島民から、住民が団結することの重要性を聞いた。断層を研究する学識者らから地震の発生周期や対策等も学び、住民の議論が深まるにつれて意識は変化した。「“安心して暮らせる”と納得できるなら、慣れ親しんだ土地に残りたい」。木造2階の自宅が全壊し、移転を希望していた運転手の新川俊幸さん(60)は、地震から1年を経て地区内での再建を目指すようになった。今では15世帯ほどが地区での自宅再建を望み、宅地造成の計画を描く。地区復興委員長の竹口幸宏さん(58)は、「元々あった地区の絆が強みになる。地区再生に向けて力を合わせたい」と話した。中越地震で26世帯が被災しながら、大半の世帯が纏まって自宅再建を果たした旧山古志村木籠地区の松井吉幸区長(58)がエールを送る。「壮大と思える計画も、少しずつ具体的になっていく。住民が団結し、復興のゴールを共有しながら進むことが大切です」 (峰啓・金掘雄樹)


⦿読売新聞 2017年4月11日付掲載⦿




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