【男の子育て日記】(49) ○月×日

この頃、父のことをよく考える。54歳で逝った父のことを。父は優しい人だった。働き者だった。どうしてあんなに温厚な人だったのか。サービス精神が旺盛で、いつも皆を笑わせようとしていた。僕は一文がとても愛おしい。そして思う。「父も僕に、同じような気持ちを抱いてくれていたのか?」と。父に抱き締められた記憶は無い。かといって、父が冷たかったとは思わない。父の時代の家族像と、自分の時代のそれとは大きく違う。日曜日は決まって、近所のサウナとパチンコ屋に連れて行ってくれた。子供の愛し方がわからなかったが、父なりの愛情表現だったのだろうと思う。父は自分の父に、つまり僕の祖父に殴られて育った。父はよく言っていた。「だから自分は絶対に子供を叩かない」。それでも、父は僕に2度、手を上げたことがある。1度目は僕が小学生の時。日曜日の夜、肉屋を営んでいた父に「お母さんにも給料を払え」と意見した。「生意気を言うな」と頬に張り手を喰らった。2度目は僕が中学生だったか。夜、泥酔した父が帰宅して、自分の部屋で布団の中で寝転がっている僕を「何で未だ起きているんだ!」と怒鳴り、蹴り出した。しかも激しく泣きながら。僕も泣くしかなかった(※断っておくが、僕はこの場で父を断罪したい訳ではない。この手のエッセイにありがちな、親を実物以上の人間に祀り上げて、お涙頂載の美談にしたくないだけ)。父は普通の、気が小さい人だった。父は人並みに野心家で、肉屋以外に幾つも店を興したが、全て失敗した。自分に裏切られることに疲れ果てて、早く逝ってしまった。父が逝った時、自宅で検死官が取り囲む中、僕は彼の顔に近付いて心に誓った。「あんたの人生の復讐は必ずする」。その復讐は叶ったのだろうか? 生きていたら76歳。記子と会わせたかった。一文に会わせたかった。嘗て、ショーン・レノンは父親について、こう語ったことがある。彼の父親が殺された時、ショーンは5歳だった。覚えているのは1つだけ。愛と平和を唱えていた父親が、狂ったように自分を叱りつけている光景だという。ショーンは言う。「それでもパパに会いたい」。僕は父に会いたいとは思わない。父は僕の中にいるから。一文の中にいる。一文の笑顔に父を見る。僕と一文、兄と妹、妹の子供たち、父の弟と妹の子供たち、そして孫。皆が生きている限り、お父さん、貴男も生きています。育児日記、今回で終了です。ご愛読ありがとうございました。 =おわり


樋口毅宏(ひぐち・たけひろ) 作家。1971年、東京都生まれ。帝京大学文学部卒業後、『コアマガジン』に入社。『ニャン2倶楽部Z』『BUBKA』編集部を経て、『白夜書房』に移籍。『コリアムービー』『みうらじゅんマガジン』の編集長を務める。2009年に作家に転身。著書に『日本のセックス』(双葉文庫)・『ルック・バック・イン・アンガー』(祥伝社文庫)・『さよなら小沢健二』(扶桑社)等。


キャプチャ  2017年4月27日号掲載
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ジャンル : 育児

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