【東京情報】 追憶の教育勅語

【東京発】久しぶりに浅草を散歩した。この辺りで酒を飲んでいると、観光客に間違われることが多い。この日も、居酒屋のテーブルで相席になった老人から“May I help you?”と声をかけられた。2人は兄弟で、こちらがお世話をしなくてはならないような齢である。私が日本語で「ありがとうございます。この店は偶に飲みに来るんです」と言うと、興味を持ったようで、色々問いかけてきた。ベレー帽を被った弟(83)が言う。「私は1934年生まれなので、所謂戦前派だ。当時は国民学校だが、今話題の教育勅語を暗唱するのが義務でね。歴代の天皇の名前も暗唱させられた。天皇皇后両陛下の御真影と教育勅語が、学校の奉安殿に飾られていたな。暗唱は毎日ではなくて、週に2回くらいだ。あれは大したもので、子供時代に覚えたものは未だに暗唱できるんだ」。森友学園問題に端を発する一連の疑獄事件において、教育勅語を教材として使用することの是非について、やや過熱気味な議論が行われている。官房長官は態々、「否定しない」との談話を発表。右翼は「教育勅語を積極的に活用すべき」と言い、左翼は「とんでもない」と目くじらを立てる。この状況を、戦前の人はどのように見ているのだろうか? 弟が生ビールを傾ける。「明治以降の日本は、近代化の為に欧米の制度を取り入れることが急務だった。でもね、教育勅語のモデルになるようなものは、欧米には無かったと思うんだ。ビスマルク時代のプロイセンにも、歴史が長い王室を持つイギリスにも見当たらない。如何にも教育勅語的なものがありそうな国なのに」。

ニコニコしながら頷いていた兄(87)が口を開いた。「わしが小学2年生の時が支那事変ですわ。小学6年生の時、校庭で遊んでいたらラジオで日米開戦が告げられ、中学校に入ると本格的な戦争になった。中学4年生で終戦だから、占領軍の命令で歴史の教科書を黒く塗り潰した経験は無い。だから、わしの考え方は戦前のままなんだ」。弟が続ける。「教育勅語で謳われているのは真面な道徳律で、特殊でも新しくもない。『親孝行をして、兄弟仲良く、夫婦仲良く、友だちとは互いに信じ合い、行動を慎み深くしろ』というだけのことですわ。反対派の人が問題にしている“一旦緩急アレバ”という部分も当たり前のこと。何かがあれば国にお返しするのは、国民の役目なんだ」。2人とも日々のニュースを追っているようで、矍鑠としている。尤も、元気だからこうして兄弟で酒を飲んでいられるのだろう。兄がワインに切り替えた。「祝祭日には小学校の講堂に集まり、白髪で痩身の見るからに気高い雰囲気の校長先生が御真影を恭しく持って、教育勅語を奉読する。そして、教室に戻って担任の先生の話を聞き、紅白饅頭を貰って自宅に帰るんだ。いつのことかは忘れたが、海軍の軍人が来て、頭を垂れて真剣に校長先生の奉読を聞いていたことがあった。あれは印象的でね。出来が悪いのを派手なバッジで誤魔化す陸軍と違い、海軍は地味な隠しボタンが付いた良い上着を着ていたな」。弟が笑う。「兄貴はよくそんなことを覚えているな。今思うと、当時の子供はいつも鼻水を垂らしていた。木綿の上着の袖口は鼻水で光っていた。下を向いていると、どうしても鼻水が出る。奉読が終わり、『直れ』と言われて頭を上げると、子供たちは一斉に鼻を啜るんだ。“ズズーッ”という音が講堂に響き渡って、何ともおかしかったな」。店員が生ビールのお代わりと串カツを運んできた。3本あったので、勧めて頂き1本頂戴した。弟は、思い出話が止まらなくなったようだ。

「毎月1日は興亜奉公日といって、小学校の先生に連れられて、近くの神社にお参りに行くんだ。そして、『早くこの戦争が終わりますように』と祈る。恐らく、先生がそう教えたのだろう。でも、当時は誰もがそう思っていた。父親や兄が戦争に行く家庭は多かったからな。昭和17年に興亜奉公日が大詔奉戴日に名前を変えてからは、『アジアを征服してきた西洋人が早く帰りますように』という 祈りに変わった。これは物騒な祈りではなくて、素朴に平和を求める気持ちだったんだ」。素読とは、内容の理解は二の次にして、文字だけを声に出して読むことだ。森友学園の幼稚園で園児たちに教育勅語を暗唱させる光景を見て、多くの日本人が違和感を表明したのは、洗脳の一種に見えたからではないか? 確かに、暗唱には強力な教育効果がある。ドイツの学校ではゲーテの詩を暗唱させるが、それにシューベルトが曲を付けた『野ばら』は日本でも知られている。1つひとつの言葉が韻を踏んでいて素晴らしい。これを節を付けて朗詠することにより、詩のリズムを学ぶことができる。弟が同意する。「私たちの父親は番頭上がりだが、教育勅語を敬意を以て扱うべきものだということは知っていた。無条件に頭を下げるものが無い人生は砂漠と同じ。神社の前を通る時には、帽子を取って一礼する。人としての深みは、そういうところから出てくるんだ。戦後は、『戦前的なものを蔑むことがインテリだ』という風潮がありましたな。でも、そういう人は魅力が少ない」。兄が目を瞑る。「わしはこの齢になっても、教育勅語に従って生きている。そういう教育を受けてきたのだから仕方がない。それよりも、『戦前教育を止めようと努力し、忘れようとしてきた戦後の日本人がどれだけ立派になったのか?』と問いたいな。森友学園問題自体が、モラルの崩壊を示している訳ではないか。稲田朋美という防衛大臣が教育勅語を擁護しましたな。『日本人は道徳を大切にして、道義国家を目指すべきだ』と。でも、その本人は国会で嘘ばかり吐いていた。わしは、『教育勅語で愛国心が育つ』と考えるのも、『軍国主義に傾く』と考えるのも間違っていると思う。ただ、如何わしい政治家に教育勅語を利用されたくないですな」。やはり、戦前の日本人は筋が通っている。 (『S・P・I』特派員 ヤン・デンマン)


キャプチャ  2017年4月27日号掲載
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