【ニッポン未解決事件ファイル】(15) 『ロス疑惑事件』(1981)――無罪を主張し続けた三浦和義“謎の死”の真相

30数年前、新聞・雑誌・ワイドショーで連日のように報道され、日本中が大騒ぎとなったロス疑惑事件。マスコミに臆することなく、一貫して無罪を主張し、時代の寵児となった三浦和義だったが――。 (取材・文/ノンフィクションライター 窪田順生)

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1981年11月18日、ロサンゼルス市内の駐車場で、旅行中の日本人夫婦が銃撃された。妻は頭を撃たれて意識不明の重体。太腿を撃たれた夫は、「犯人はラテン系の男だった」と証言した。「何故、妻がこんな目に…」とマスコミに涙ながらに語った夫・三浦和義は、一躍“悲劇の男”として日本中にその名が知れ渡った。そして、襲撃から凡そ1年後、妻は意識が戻ることなく亡くなってしまう。アメリカの銃社会の理不尽さを象徴する悲劇――。そんな世の評価が180度覆ったのは、1984年1月からスタートした『週刊文春』の“疑惑の銃弾”という連載記事だった。そこでは、銃撃事件の直前に妻がホテルで何者かに殴打されていたこと、そして妻が亡くなったことで三浦が保険会社3社から計1億5500万円の保険金を受け取っていたこと等から、「妻を計画的に葬り去ろうとした保険金殺人だったのではないか?」という疑惑を報じていた。“悲劇の男”から一転、“疑惑の男”と名指しされた三浦は、ワイドショーや週刊誌から追いかけ回されるようになった。過熱報道に拍車をかけた背景には、三浦特有の“キャラクター”がある。石原裕次郎を世に出した有名女性プロデューサー・水の江滝子の甥として、幼いころからセレブとして育った三浦だったが、10代後半には強盗傷害事件等を起こして少年院に入ったこともあった。また、女性関係も派手で、愛人や、過去に関係を持ったという女性が次々と現れた。そんな疑惑に押し切られる形で、捜査機関が動き、ほどなく三浦は殴打事件で逮捕。銃撃事件前に妻が殴打されたことについて、「自分が実行した」と主張する、三浦の愛人だったポルノ女優が現れたことが、大きなきっかけとなった。

「“疑惑の男”も愈々年貢の納め時か」と誰もがそう思ったが、三浦は一貫して無罪を主張。それだけではない。抱置所の中から、“容疑者”段階にも拘わらず“犯人”と断定して報道したマスコミほぼ全てを相手に、名誉毀損訴訟を仕掛けて連戦連勝したのだ。因みに現在、逮捕された容疑者の手錠がテレビニュースでモザイク処理されるのは、三浦がテレビ各局に勝訴したからだ。斯くして2003年3月5日。殴打事件で実刑判決を受け、三浦は2年6ヵ月服役したが、銃撃事件に関して三浦は完全無罪を勝ち取った。この間、三浦が拘置所・刑務所にいた期間は16年に及んだ。 こうして、“疑惑の男”から“冤罪の男”となった三浦は、失われた時間を取り返すかのように、精力的に活動を開始。冤罪事件の支援・著述業・テレビのバラエティー番組出演、更には叔母のように映画のプロデューサーまで務めた。だが、僅か5年余りで再び堀の中に戻される。2008年2月22日、友人らと遊びに行ったサイパンで、現地に出向いたロサンゼルス市警に殺人容疑で逮捕されたのだ。日本では無罪となったが、アメリカの捜査当局では三浦は未だ銃撃事件の“容疑者”という説明だった。「そんな無茶な法解釈があるのか?」と日米で様々な議論がなされる中、事件は衝撃的な幕切れをする。ロスに移送された直後、留置所で三浦が死んでしまったのだ。警察の説明によると、シーツで首を吊ったということだった。「三浦の犯行の動機には、“ジェーンドゥ88事件”(88番目の身元不明女性事件)がある」という指摘がある。銃撃事件の2年前、ロス郊外でミイラ化した女性の遺体が発見された。その後の調査で、それが当時、三浦と交際していた女性だったということ、更には三浦が彼女のキャッシュカードで口座から現金を引き出していること等が判明していたのだ。日本では証拠不十分で無罪となったこの事件だが、ロス市警では捜査を続けており、「今回、サイパンで逮捕したのも、何か新たな“物証”を掴んだからではないか?」という指摘があった。「銃撃事件ならいざ知らず、こちらで何か出たらもう逃れようはない。その絶望が、三浦を死に追いやったのではないか?」というのだ。ただ、三浦の弁護士は「真相が明るみになるのを恐れた何者かが口封じをした」と“他殺”を主張。こうして“疑惑の男”は、最期に大きな“謎”を残して、この世を去った。


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