公明党委員長2人が相次ぎ身内に提訴されたのは先生逆鱗のせいか――都議選睨み知事に急接近? 『創価学会』最高幹部7人を訴えた理由

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「我らは仏意仏勅の教団 大法弘通の“創価学会仏”」――。昨年11月、『創価学会』は会則を改正して、組織が丸ごと“創価学会仏”に昇格したことを宣言した。会員にとっては天にも昇る吉報である。でも何故、仏教系の宗教団体が唐突に“仏”になったのだろうか? 原田稔会長が総務会(※創価学会の重要決定機関)で、“仏”になった経緯についてこう説明した。2代会長・戸田城聖氏(故人)、3代会長・池田大作先生(※同期の会則改正で、同氏の敬称が“名誉会長”から“先生”に変更された)が、「創価学会の組織は何れ尊い“仏”の存在になる」と予言をしていたからだという。身内の歴代会長2人が残した言葉だけで“仏”の存在になった創価学会が、この7月に実施される大選挙、東京都議会選挙に臨む。公明党は創価大学卒11人を含む23人の候補者を承認しているが、支持・支援団体の創価学会が高貴な“仏”の組織になって初めての選挙戦である。大勝利で飾りたいところだろうが、例の都議選と異にして分厚い壁が立ちはだかった。目下、都民の人気が高い小池百合子知事を旗頭にする“小池新党”の風が吹いているのだ。選挙が近付くにつれ、大阪の橋下維新のように、風が強風に変わったらどうなるか。昨夏の都知事選で、小池氏に対抗馬を出して敗れた自民・公明の両党にとっては、旗色が極めて悪くなる。機に敏な公明党は昨年暮れ、ほぼ20年間も密月関係にあった自民党と決別した。同時に、都議選を睨みながら、小池知事が提唱する都政大改革に賛同を示す形で、擦り寄りを始めたのである。他方、年明け早々から原田稔会長は、都心部の各地を訪ね、会員の激励に余念がない。創価学会仏・公明党は、衆参の国政選挙よりも重要視している夏の都議選に向けて、もう選挙活動の幕が上がったようである。前回、創価学会に係る主な裁判ケースにスポットを当てた。引き続き、同会とは表裏一体の関係にある公明党の主な裁判についても触れてみよう。公明党の歴代委員長2人が順次、法廷に立つという、他党に例を見ない裁判が公明党史に残されている。最初は竹入義勝氏だ。昭和34(1959)年4月、田端に住む創価学会員の竹入義勝氏(1926年、長野県生まれ)が、創価学会の推薦を受けて文京区区議会選挙に立候補して当選。1963年4月の都議選で、今度は北区から『公明政治連盟』(※現在の公明党)の公認を受けて立候補し、当選した区議会議員時代、竹入氏の創価学会における役職は、青年部の部隊長という幹部要職であった。

当時の竹入氏を知る古参幹部が、こう回想する。「私の記憶では、竹入夫婦は田端にある豆腐屋の2階に住んでおりました。竹入さんは青年部の部隊長という幹部で、私はその部員だったのです。当時、皆貧乏で、学会活動が終わる深夜12時頃、竹入宅を訪ねますと、奥さんがよく、かりん糖を袋ごと出してくれて、『食べなさい!』と勧めてくれたものです。あの時代、学会は『台東体育館』で毎月、本部幹部会を開催しておりました。最高幹部たちが入場する際、いつも先頭に立っていたのは、学会旗を持った竹入さんで、その後ろに池田大作3代会長が続いておりましたね。私たち直属の部員は、あの竹入さんの雄姿を誇らしげに見ていたものです」。1967年1月、公明党は衆議院議員選挙に進出する。竹入氏は10区(※現在の17区)から立候補して初当選(※以降、連続8回)し、公明党の中央執行委員長に就任した。1986年、政界在職20年の直前にして、委員長を退任。公明党最高顧問に就任する。1990年に政界から引退し、1997年に勲一等旭日大綬章を受章している。こうした経歴を持つ竹入氏が創価学会・公明党と争うきっかけになったのは、他でもない。1998年8月から9月にかけて、朝日新聞に12回に亘って掲載した『秘話 55年体制のはざまで』と題する政界回顧録の手記である。手記の一部に、創価学会と公明党との政教一体関係にさらりと触れた部分があったが、一般読者にはそれほど注視する内容でもなかった。ところが、どうやらこの竹入氏の回顧録が、池田大作名誉会長の逆鱗に触れたらしい。創価学会・公明党による竹入バッシングがスタートした。例えば、こんな調子である。聖教新聞2006年8月17日付に掲載された首脳座談会(※肩書は当時)では、

蒼木(理事長)「忘恩といえば竹入!」
秋谷(会長)「最近も、党の資金500万円を横領していたとして党から訴えられたばかりじゃないか」
原田(副理事長、現在は会長)「公明新聞にも、一般紙にも大きく出ていたな」
佐藤(男子部長)「訴えによれば、あいつは都内の高級百貨店で、女房に宝石の指輪を買った。それも党の資金から500万円もネコババして、指輪を買った。重大な着服、横領の疑いだ」
原田「金は怖い。権力は怖い。この狂いに狂った竹入のザマを見ろ!」
秋谷「ここまで人間が腐るという1つの証拠だ。この事実を知った全国の支持者の怒りが、どれほど凄まじいか、ファクスが、日本全国から殺到している」

4日後の同紙では更に、「竹入氏が高級料亭・銀座通い・芸者遊びをしていた」と非難し、青木理事長がこう罵倒している。「金、金、金、女、女、女。どこまで下劣か、畜生か、正体がいよいよ暴かれてきたな」「傲慢、ウソつき、インチキ、金狂い、恩知らず!」。創価学会が支持・支援してきた公明党で、20年間も委員長を務めてきた竹入氏に、「あいつ、狂っている、ネコババ、インチキ」と口汚い言葉を投げつけたのである。本人に対する罵倒に限らず、機関紙で竹入夫人や子息、死去した親族の名誉や人格にまで激しい攻撃を加えた。

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こうした竹入バッシングと並行して、公明党が竹入氏(左画像)を裁判に訴える。どのような裁判であったのか。先の首脳座談会でも話題にされていたが、竹入氏が公明党の資金を着服していたとして「550万円の損害賠償を求め」、2006年5月、公明党より東京地裁に提訴されたのだ。訴訟を要約すると、1986年7月6日に投票が実施された衆参同日選挙期間の最中(※同年6~7月頃)、竹入氏が妻の喜久さんと共に日本橋にある三越本店宝飾品部を訪ね、500万円のダイヤモンドの指転を購入した。その代金は公明党の資金を横領着服して支払ったものだから、返還せよという訴訟だ。裁判の経過については割愛するが、2年後の2008年3月18日、次のような判決が出た。「衆参同日選挙戦の最中に、旧公明党トップであった被告(竹入義勝氏)が三越本店を訪ね、妻のために私的に指輪を購入すること自体、大きな疑問を差し狭まざるを得ない」「被告は、原告(公明党)の中央執行委員会の委員長であったことから、当該選挙の原告における最高責任者とも言い得るところ、そのような被告が、かかる重大な選挙戦の最中に、選挙運動ではなく、私的な買い物のため、しかも、妻の高価な装飾品のために、多数の一般買物客もいることが予想される三越本店を訪れることはにわかに措定し難い」「原告主張通り、被告が妻の喜久のために、500万円を支払って、サイズの補正もしたダイヤモンドの指輪を購入したのであるから、喜久がこれを身につけるなどして所持してしかるべきであると言い得るが、喜久が当該指輪を、所持していたと認めるに足りる的確な証拠もない」。

判決は、党の委員長が選挙戦の真っ最中に、秘書・護衛者も付けず、衆人監視の有名デパートを訪ね、妻の為にダイヤモンドを購入する行為など、“大きな疑問”・“不自然”と判示したのである。公明党の提訴はやや無理筋だったようだが、原告の同党は判決を不服として控訴した。だが、高裁の幹旋で和解に合意している。因みに和解条項は、「被控訴人は、公明党委員長の職にあったものとして、控訴人の主張する本件500万円の支出について、事実の解明のために控訴人が本件訴訟を提起せざるを得なかったことにつき、遺憾の意を表明する…他に、何らの債権債務がないことを相互に確認し、今後、お互いに相手方に対し、違法な誹謗中傷をしないことを確約する」とした。実質、被告・竹入氏の勝訴である。しかし、裁判の当事者ではない創価学会は同氏に対し、その後も「なんというウソつきの犬畜生」等、罵詈雑言を浴びせている。現在、竹入バッシングは消えたものの、双方間の溝は広がったままだ。2人目は、竹入氏が20年近く公明党の委員長を務めていた時代、書記長として支えてきた後継の矢野絢也委員長である。書記長・委員長と20年余に及び、党の最高幹部として在籍した矢野氏も、創価学会と裁判で争っている。2008年5月12日、矢野氏は東京地裁で記者会見を開き、「創価学会の最高幹部7人を“名誉毀損”で提訴すると共に、5月1日、家族揃って創価学会を退会した」と、原告として同会と裁判で争うことを初めて公にした。双方の抗争が幕を開く。訴状によると、スタートラインが先の竹入氏と酷似していて、“言論活動”が火種になっている。1993年から1994年にかけて、矢野氏が月刊『文藝春秋』に手記を連載した。その中で、創価学会と公明党の関係を「政教一致と言われても仕方がない部分があった」と記載したことが、創価学会の反発を買ったらしい。掲載当時、創価学会は無視をしていたが、掲載から12年後、創価学会が宗門と離反した3年後の2005年になって、矢野氏に勢い牙が向く。訴状によると、矢野氏が創価学会本部に呼び出しを受け、青年部の最高幹部たちから「土下座しろ」「評論家を辞めろ、今後は書くな」等執拗に威迫を受けた。また、関西創価学会の最高幹部が巨額の寄付を強要したこと等も、具体的に記していた。加えて、元公明党議員たちが矢野氏の自宅を訪ね、30年間に及ぶ政治活動を記録していた“黒い手帳”類を強引に持ち去ったという。

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当時、メディアの取材に応じて矢野氏(右画像)は、心境をこう述べている。「1970年に創価学会と公明党による“言論出版妨害事件”があり、『池田大作会長を国会に証人喚問せよ』と連日他党から責められました。私は公明党の書記長として創価学会と池田先生をお守りするために事態の収拾にあたりました。あれから38年経ったいま、自分自身が当の創価学会言論活動を妨害されるのだから。感概無量ですよね」(『週刊現代』2008年5月31日号)。同会を訴えた目的について矢野氏は、記者会見でこうも述べていた。「国会議員として多年に亘って基本的人権の擁護に尽力してきた経緯から、こうした違法・不法な人権蹂躙行為を無視・放置することは、国会に籍を置いてきた者としての責任放棄であり、人権蹂躙行為を阻止することこそが自らに課せられた責任だ。創価学会の誤った姿勢に唯々諾々と服従することや泣き寝入りすることが、創価学会に対する“恩返し”にならず、寧ろこうした反社会的な行為を明らかにし、阻止することこそ、創価学会やこれまで支持してくれた人々や社会への恩返しである」。裁判の詳細な経過は、矢野氏が上梓した『“黒い手帳”裁判全記録』(講談社)に譲るが、矢野氏と創価学会が争った都合4件に及ぶ裁判は、高裁から「両者の社会的地位立場からも好ましいことではない」と勧告され、和解に持ち込まれている。竹入氏や矢野氏は、創価学会の草創期時代には幹部として活動。池田氏からも重宝がられ、公明党の議員に転じたのも池田氏の指示であった。2人は公明党の委員長まで務め、今日の党の基礎を築いた功績者である。しかし、生涯を創価学会・公明党に燃焼してきた両氏でさえも、「創価学会を批判した言論は許さない」という、同会の教条的な体質が露わにされた裁判だったと言えよう。


段勲(だん・いさお) フリージャーナリスト。1947年、宮城県生まれ。東洋大学文学部卒。『週刊ポスト』記者を経てフリーに。宗教・社会問題・人物・健康等について幅広く執筆。著書に『千昌夫の教訓』(小学館文庫)・『創価学会インタナショナルの実像 池田会長が顕彰を求める理由』『反人間革命 創価学会へ入信した男の一生』(共にリム出版新社)・『定ときみ江 “差別の病”を生きる』(九天社)等。


キャプチャ  2017年3月号掲載
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