【記者発365】(09) 少女の遺品に込められた思い
娘の骨壷を胸に抱き、故郷の北海道・新千歳空港に降り立った。さゆりさん(※仮名、47歳)は涙が止まらなかった。元気になって、手を繋いで戻ってくる筈だった。娘のりんさんは、10歳の誕生日を迎えたばかりの昨年7月5日、息を引き取った。2年と3ヵ月、心臓移植を待ち続けた末、長い入院生活にピリオドが打たれた。運動が大好きな女の子。だが、小学1年生の時に学校健診で異常が見つかった。精密検査を受け、心機能が低下する難病『肥大型心筋症』・『拘束型心筋症』と診断を受ける。医師からは「心臓移植しか完治はない」と告げられ、手術が可能な大阪大学医学部附属病院(※大阪府吹田市)に入院した。北海道から大阪へと引っ越し、さゆりさんは24時間、付き添った。入院生活は過酷だった。3本の点滴に24時間繋がれ、心臓に負担をかけないように厳しい食事制限があった。外出もできない。特に苦しんだのが水分制限だ。りんさんは「口が砂漠のよう」と喉の渇きを何度も訴えた。気を紛らわせたかったのだろう。『YouTube』で見ていたのは、大食い番組と、“ゴクゴク”と喉を鳴らす音声動画。さゆりさんは見守るしかなかった。入院が長引くにつれ、「私は幸せではない」「北海道に帰りたい」と訴えるようになっていた。弱音を吐く娘に、ついつい語気が強くなる。「皆が支えてくれているんだよ」「そんなことは言わないよ」。睡眠薬を服用せずには、ストレスで眠れなくなっていた。外の世界を見るのがつらいと、窓から眺めるのも止めた。それでも心が落ちついた時、「北海道から一緒に来てくれてありがとう」と笑顔を見せてくれた。入院仲間が、移植手術を受け退院していく。その姿に、「いつの日か」と希望を抱き、耐え忍ぶ日々だった。
『日本臓器移植ネットワーク』によると、臓器移植法が施行された1997年10月から先月までの25年半の間で、749人が心臓移植を受けた。その一方、長い待機期間中に550人もの人が命を落としている。りんさんは、このうちの一人だ。2021年の内閣府の世論調査によると、移植に関心のある人が6割を超え、提供したい人も約4割に上った。だが、その意思が十分に生かされているとは言えない。背景の一つに、人の死の“ダブルスタンダード”がある。“脳死=人の死”とする欧米諸国と異なり、“心停止=人の死”とする日本では、臓器提供者に限って脳死を人の死と法律で定めている。心臓は脳死でないと移植はできない。移植待機患者とその家族を支援する非営利団体『トリオジャパン』の青山竜馬会長(43)は、臓器移植法改正の必要性を訴える。「世論調査からも提供意思がある人達が十分にいることは明らかです」と指摘し、「子供が脳死状態と診断され、臓器提供するとなれば、本来は医師が告げるべき“死”を、親が決めなければならない。それは残酷ではないでしょうか」と問いかける。心臓移植の待機者は、ドナー側の苦渋であろう選択を待つしかない。そのことを、りんさんも理解していた。「私も、誰かの為にできることがしたい」。自分で決めて、髪を寄付しようと黒髪を伸ばしていた。同じ小児病棟に、抗癌剤を服用しウイッグ(※鬘)を着けていた友達がいたから。「私は外で太陽の光を浴びることも、運動をすることもない。だから、綺麗な髪の毛を提供できると思うの」。入院中、りんさんは“帰ったらしたいこと”リストをノートに書いていた。3歳下の弟、りょうちゃんが大好き。面倒見がいい、優しいお姉さんの姿が思い浮かぶ。〈りょうとかくれんぼしたい〉〈りょうとおにごっこしたい〉〈りょうとおふろに入りたい〉〈こうえんに行きたい〉〈走りたい〉〈りょうりしたい〉――。心臓移植を待っていた10歳の少女が夢見ていたのは、何でもない日常だった。 (デジタル報道グループ 生野由佳)
2023年5月28日付掲載
『日本臓器移植ネットワーク』によると、臓器移植法が施行された1997年10月から先月までの25年半の間で、749人が心臓移植を受けた。その一方、長い待機期間中に550人もの人が命を落としている。りんさんは、このうちの一人だ。2021年の内閣府の世論調査によると、移植に関心のある人が6割を超え、提供したい人も約4割に上った。だが、その意思が十分に生かされているとは言えない。背景の一つに、人の死の“ダブルスタンダード”がある。“脳死=人の死”とする欧米諸国と異なり、“心停止=人の死”とする日本では、臓器提供者に限って脳死を人の死と法律で定めている。心臓は脳死でないと移植はできない。移植待機患者とその家族を支援する非営利団体『トリオジャパン』の青山竜馬会長(43)は、臓器移植法改正の必要性を訴える。「世論調査からも提供意思がある人達が十分にいることは明らかです」と指摘し、「子供が脳死状態と診断され、臓器提供するとなれば、本来は医師が告げるべき“死”を、親が決めなければならない。それは残酷ではないでしょうか」と問いかける。心臓移植の待機者は、ドナー側の苦渋であろう選択を待つしかない。そのことを、りんさんも理解していた。「私も、誰かの為にできることがしたい」。自分で決めて、髪を寄付しようと黒髪を伸ばしていた。同じ小児病棟に、抗癌剤を服用しウイッグ(※鬘)を着けていた友達がいたから。「私は外で太陽の光を浴びることも、運動をすることもない。だから、綺麗な髪の毛を提供できると思うの」。入院中、りんさんは“帰ったらしたいこと”リストをノートに書いていた。3歳下の弟、りょうちゃんが大好き。面倒見がいい、優しいお姉さんの姿が思い浮かぶ。〈りょうとかくれんぼしたい〉〈りょうとおにごっこしたい〉〈りょうとおふろに入りたい〉〈こうえんに行きたい〉〈走りたい〉〈りょうりしたい〉――。心臓移植を待っていた10歳の少女が夢見ていたのは、何でもない日常だった。 (デジタル報道グループ 生野由佳)

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