「安保闘争最盛期は左翼の運動に好意的な人が多かったんですよ」――本橋信宏氏(著作家)インタビュー

安保闘争――。それは1960年代・1970年代と、2度に亘って日本で展開された、日米安全保障条約に反対する国会議員・労働者・学生・市民、及び批准そのものに反対する国内左翼勢力が参加した日本史上最大規模の政治闘争であった。国会議事堂の周囲をデモ隊が連日取り囲み、傷害事件・放火事件・器物損壊等が日常茶飯事であった。その中心となっていたのが、急進派学生が結成した『共産主義者同盟(ブント)』が主導する『全日本学生自治会総連合(全学連)』。「安保を倒すか、ブントが倒れるか」。彼らが“行動”に出る時、そこには必ずと言っていいほど、自らの思想を掲げる“犯行声明”があった。先鋭的な創作活動を続け、嘗て『“全学連”研究 革命闘争史と今後の挑戦』(青年書館)を上梓した著作家の本橋信宏氏に、当時を振り返ってもらった。 (聞き手/編集プロダクション『V1パブリッシング』 左文字右京)

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――1960年代から1970年代には、左翼による過激な事件が相次ぎました。思想的な事件と犯行声明は切っても切れませんが、『よど号ハイジャック事件』の「…最後に確認しよう。われわれは明日のジョーである」なんて、今考えると非常に現実離れしている感覚があります。当時の社会は、どういう風にこの事件を受け止めていたんでしょうか?
「政治的運動体になると、必ず犯行声明がありますよね。但し、よど号事件に限ってだと、日本初のハイジャック事件ですから、私たちもよくわからなかったですね。実行犯はブントの赤軍派です。赤軍派の塩見孝也議長も後に仰っていましたが、実行メンバーは飛行機に乗るのも初めてで、まるでバスや電車に乗る感覚だったそうです。取り敢えず空港に行って、“次の便1枚”って感覚。だから、乗り遅れて一度失敗しているんですよ(笑)」

――本当は3月27日に決行する筈が、メンバーが時間通りに集まらなくて、結局、31日に延期しています。司令塔である塩見議長が直前に逮捕されて、もう後が無い状態で、しかもぶっつけ本番で犯行に臨んだ訳ですが、逆にそんな状態でよく北朝鮮に亡命できましたね。しかし何故、彼らはそんな犯行を思いついたんでしょう?
「塩見議長の唱えた“国際根拠地論”に基づいているんですね。『革命を進めるには日本だけじゃダメで、世界各国でブロックを作って、そこを拠点に革命戦争を起こす』という計画。本当はキューバに行きたかったんだけど遠過ぎて、だから北朝鮮なんだと。結局、逆に向こうでオルグされ、『拉致問題に関与したのでは?』ということで問題になりました。向こうに行った若林盛亮さんたちにもお会いしましたが、随分日本のことに詳しかったですよ。すっかり憂国の人になっておられた」

――国際手配中の皆さんも、『何でもアリ!? よど号のyobo-yodo』でツイッターもしてます。ただ、オルグの関係もあるので、その真意を疑われてしまっていますが…。実際に、実行部隊の赤軍派を含めて、“新左翼”とか“全共闘”の時代は、「そういう過激な行動を起こす人間が現れるかもしれない」という空気に満ちていた訳ですね。
「先ず、60年安保で闘ったのは日本共産党と社会党、そしてブントでした。『先の大戦は先進資本主義国同士が引き起こしたもの。平和を実現する社会主義・共産主義国家建設には、暴力革命でしか辿り着けないのだ』とブントは主張していました。後にタカ派に転じた闘士もいましたが、ブントで挫折して、そしてその中の一部が革共同(革命的共産主義者同盟)に流れて、中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)・革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)等に分派していきます。そして、70年安保の“新左翼”と呼ばれた時代を迎える訳です」

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――旧来の左翼とは異なる左派勢力ということで、“新左翼”なんですね。右傾化して久しい昨今だと、想像するのも難しいムーブメントです。それにしても、過激派から急進派・穏健派まで、かなり幅があります。先程の赤軍派は急進派ということになりますね。
「フランスの五月革命(1968年)や中国の文化大革命(1966~1977年)等、世界中で反体制的な運動が高揚していて、マルクス主義に未だ希望があったという時代。当時の人たちは理想に燃えていましたね。その源泉はどこにあったかというと、これは塩見議長もブントの荒岱介元議長も同じ答えだったんですが、ベトナム戦争だったんですね。ベトナム戦争では、同じアジア人が毎日のようにアメリカに殺されていて、しかも日本がその中継基地になっていた訳です。ベトコンゲリラの処刑写真や、戦場の残酷な映像がテレビで流れて、その片棒を担いでいるのが日本だったと。正義感ですよね。それは素朴な感情ですよ」

――バラバラなようでいて、皆さん、同じ時代に同じ方向を見ていたんですね。具体的には、動機としては大学経営陣の汚職もあったし、社会矛盾があったりした訳ですよね。それは今も変わらずありますが、中々そういう動きには繋がりません。最近だと、解散してしまいましたが、『SEALDs』という集団もいましたが…。
「当時、平和的には“ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)”のようなグループがいましたし、中核派も革マル派も赤軍派も皆、“反ベトナム戦争”の部分は変わらなかったし、大学のキャンパスでも普通にそういう動きはありましたからね。具体的に高揚していく契機になったのは、学費値上げや使途不明金等を問題にした大学紛争でした。今は右傾化して保守的になっているけど、当時は左派に勢いがあったし、今と逆ですよね。今はそういう層は皆、『安倍(晋三)万歳!』とか言っている気がします(笑)。SEALDsとの類似性はあまり感じませんね。『色々あっていいんじゃないか』と言っときましょう。無難なとこでね」

――赤軍派はその後、塩見議長が逮捕され、よど号事件で主要メンバーもいなくなって、勢力が著しくダウンします。そして1971年、『京浜安保共闘(日本共産党革命左派神奈川県委員会)』と合流して、あの悪名高き『連合赤軍』が結成されます。
「赤軍派は元々、無国籍というか多国籍というか、日本的なものが薄いグループ。何といっても世界同時革命ですから。一方の京浜安保共闘は、“反米愛国”を党是とする一国社会主義革命。毛沢東主義のグループです。どちらも銃による革命を目指す点で戦術は合致していますが、本来は水と油。カネはあるけど武器が無い赤軍派と、武器はあるけどカネの無い京浜安保共闘が連帯したのが連合赤軍ですね。赤軍派は“M作戦”と称して強盗をやっていましたから、資金力がある」

――M作戦の“M”はマネーのMなんですか? そりゃあ、お金ありますよね(笑)。我々にとってやはり連合赤軍というと、どうしても1971年・1972年に起きた極悪非道の『山岳ベース事件』や『あさま山荘事件』を起こした犯罪集団という見方をしてしまいます。
「最盛期は、左翼の運動に好意的な人が多かったんですよ。最近、テレビで新宿騒乱事件(1968年)を取り上げていましたが、あれはベトナム戦争で使用するアメリカ軍のジェット燃料運搬を阻止する為の暴動で、一般市民も一緒になって投石運動をしていました。市民からカンパもあったし、世間の理解もあったんです。でも、銃で武装して権力を倒すとなると、平和的な関係は築けない。武装して長野や軽井沢のアジトに潜んで…嫌な予感しかしないですよね」

――1972年2月から警察の山狩りが進められ、17日に森恒夫と永田洋子ナンバー1とナンバー2が逮捕されます。そして、山荘に人質を取って立てこもったメンバーに対して、緊迫の人質救出作戦が実行されます。28日の突入作戦はNHKと民放各社で生中継され、日本の歴史上初めてとなる銃撃戦の生中継になった訳ですね。
「あの銃撃戦で新左翼に対して幻滅した人間は多かったんですが、評価する人間も一部にはいたんです。『今まで口先だけだったけど、やっと本気で闘う奴が現れたじゃないか』と。ところがその後に、山岳ベース事件で12人、印旛沼事件を合わせると14人を、“総括”の名の下に殺害して埋めていたことが発覚すると、皆無言になってしまいました。警察も、既に捜査を終えている遺体発見現場の写真を、マスコミに態々に公開したりしています。

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――左翼の恐ろしさを伝える宣伝工作ですね。当時、過激さで売っていた某写真週刊誌が、1985年に山岳ベース事件の遺体写真を掲載していますが、あれも意図的なリークなんでしょうね。それに加えて内ゲバが起きて、新左翼の時代は終焉に向かう訳ですね。海外に活路を求めた日本赤軍の場合はどうでしょう?
「やはり、重信房子(※左画像)のカリスマ性ですよね。1970年代の美少女アイドルの必須条件は長い黒髪。麻丘めぐみ・栗田ひろみ・村地弘美…皆、ロングで真ん中で分けていた。捕まった時は切ないんだけども。絶対的存在の塩見議長がいて、重信がいて、美人で長い黒髪で。ポイントは、喋り方にしても“嫋やか”であるということ。今で言うと、右派のイデオローグとなっている女性論客もそうでしょう。そのイメージが、カリスマ的女性リーダーの条件かもしれませんね。ともあれ、彼女の行動も、塩見議長が唱えていた国際根拠地論の実践です」

――新左翼の時代が終わったといっても、当時は彼方此方で爆弾が爆発していた訳ですよね。中でも最も衝撃的なのが、1974年の『三菱重工ビル爆破事件』です。実行犯の『東アジア反日武装戦線』は、大道寺将司という活動家がキーマンになっていますが、やはり同じ流れで見ていいのでしょうか?
「学生運動が終わってしまうと、残ったのは強固な思想犯ばかりになりました。彼らは確信犯だから、より尖っていて、例えばあさま山荘事件で連合赤軍の坂東国男や坂口弘は逃げずに銃撃戦を闘っています。但し、大道寺のことは表に出ていないから、誰も知らなかった。それに、労働者階級を主体としたマルクス主義の本流とは異なる“窮民による革命”を目指していた為に、労働者ですら搾取階級として批判してしまう。既存の左翼や新左翼グループに縁の無い組織だったので、公安も中々その存在を掴めなかったんじゃないでしょうか」

――大道寺は、ゲリラ心得を纏めた『腹腹時計』を地下出版しています。昔の日本共産党が出版していた地下出版物『たべある記』・『ビタミン療法』・『球根栽培法』を真似たもので、その出版物自体が犯行声明を兼ねていると言えます。彼は昭和天皇のお召し列車を爆破しようとしましたが、そういう行動を起こす左翼グループはいなかったんですか?
「反天皇制を掲げる組織も無いことは無かったですが、そこまで過激なのはいなかったですね。皇居にロケット弾を飛ばすような“ロケット御三派”というのがありましたが…。球根栽培法は武装闘争路線の指令書でした。権力に対抗する非合法出版物は、何故か名称がアヴァンギャルドになりますね」

――結局、無差別テロ行為や内ゲバによって新左翼は支持を失いますが、現在の活動家の人たちは革命を望んでいるのでしょうか?
「思っているんだろうけれども、これまでの暴力革命一辺倒の路線とは異なるものを模索している最中ですね。それに、当時の新左翼は本当に皆さん若かったんですが、今はそのまま60代・70代になっています。大体、日本のマルクス主義者は還暦を過ぎると民族派に転じることも珍しくないですから。個人的には、指名手配写真で有名な渋谷暴動事件の大坂正明(中核派革命軍)、連統企業爆破事件の桐島聡(東アジア反日武装戦線“さそり”)の消息を知りたいですね」

――大坂が67歳、桐島が62歳…ですか。
「そうですね。彼らが今、どこで何をしているのか…。とても気になりますね」


キャプチャ  2017年2月14日増刊号掲載




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