【不養生のススメ】(01) 認知症患者の人生の終え方

20170502 16
2年ほど前の『ニューヨークタイムズ』で、筆者の自宅から車で30分くらい離れたマサチューセッツ州デダムに住む、引退した弁護士のジェローム・マダーリ氏(88)の記事を読んだ。彼は認知症に苦しむ知人を目の当たりにし、若し我が身に同じことが起きたら「死にたい」「少量のウオッカにバルビツレート(※安楽死に用いる薬剤)を溶かして飲みたい」との心境を吐露している。だが、アメリカでは認知症への安楽死の適用は認められていない。そこでマダーリ氏は、仲間が推奨するように、“医療委任状”をプラスチックのケースに入れて、玄関の戸棚に吊るすことにした。医療委任状には、終末期の心肺蘇生、人工呼吸器や栄養チューブ等の生命維持治療の拒否を示している。日本では、認知症になってもできる限りの治療を施し、頑張って生きることが善とされるが、アメリカではマダーリ氏のように、余計な医療の世話にならずに死を迎えることを望んでいる人は多い。これは18年前の、ミネソタ大学の研究者らの論文が示している。研究者らは、認知機能の正常な高齢者を対象に、「若し認知症になったら、どのような生命維持の処置を受けたいか?」という希望を調査した。結果(※右表)は、どのレベルの認知症でも多くは生命維持治療を望まなかった。特に重症になると、95%以上が生命維持治療を拒否した。筆者は、この結果に驚かない。何故なら、多くのアメリカ人は、尊厳を失い生きることは、死ぬことより恐ろしく感じているからだ。

ところで、“医療委任状”という言葉は耳慣れないかもしれない。アメリカでは、日本と異なり、法的に医療を拒否する権利が認められており、個人の意思を“事前指示書”に示すことができる。事前指示書は主に、自分の意思を実現してくれる代理人を指定する“医療委任状”と、自分で意思を記す“リビングウィル”に分類される。これらは、本人が自己決定能力のある時に作成し、自己決定が不可能になった時に有効となる。各州で制度が異なり、マサチューセッツ州は医療委任状が法的文書である。マダーリ氏の医療委任状の代理人は妻であり、夫の望みを十分に理解している。ところが、折角事前指示書を作成しても、緊急時に救急隊や医師に希望が伝わらないことがある。例えば、1人暮らしで自宅の戸棚に事前指示書を保管していたら、誰も気が付かない。また、リビングウィルは“回復の見込みの無い場合の生命維持治療の拒否”という表現をよく使用するが、医療の現場では回復の見込みは少なくともゼロではないことが多く、医師は患者の意思に反して救命する場合がある。更に、終末期医療の現場は、関係者の感情が不安定で混乱が生じ易く、代理人が医療委任状の指示に従い難い場合が多い。そこで、事前指示書の補助となる『生命維持治療に関する医師指示書(POLST)』が全米で普及している。POLSTは、患者が医師と終末期医療について話し合い、医師がその希望を医療記録に保管するものだ。つまり、POLSTは治療計画の先決めである。このPOLSTにより、認知症患者が自己決定権を失う前に人生の終わり方を選択できる。しかし一般的に、認知症患者が生命維持治療を必要とするのは、長い年月を経てからのことだ。それ故、マダーリ氏は「愛する人を認識できない」「纏まった考えや文章を明確に述べることができない」等、10のリストを作成し、その内の3つの状態が数週間続いたら“食事の介助や水分補給の拒否(自発的飲食停止:VSED)”を希望している。VSEDは、倫理に反し、残酷と感じる人もいるだろう。『ニューイングランドジャーナルオブメディシン』の2003年の論文によると、VSEDを選択した患者の多くは、「死を迎える覚悟ができており、生活の質が悪く、生存し続けることを無意味と判断」したことを理由としている。そして、飲食中止後15日以内に患者の85%が死亡した。VSEDに携わった看護師による死亡の質の評価(※0=非常に悪い死から9=非常に良い死)では、評価の中央値は8であり、VSEDを選択した患者が“良い死を迎えた”と判断されている。抑々、飲食は医療行為ではない。飲食の拒否は個人の自由で、他人が飲食を強いれば人権の侵害となる。

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但し、認知症患者へのVSEDの適用に関しては、倫理学者や弁護士等の間で異論も出ている。VSEDをきちんと理解できたのか不明な認知症患者に、絶飲食を実行することが人道的に正しいかどうかが議論されている。どんな制度でも完璧は無い。倫理学者らが投じる一石は、生と死に向き合うアメリカの真剣さと健全性を示している。改善すべき点はあるにせよ、アメリカ社会は認知症患者による人生の幕の下ろし方について、議論と選択肢を着実に広げているのだ。数日前、友人のスーザンの母が、認知症の為、ホスピスで亡くなった。スーザンは、「母は体中が痛くて、モルヒネで緩和した。モルヒネの量が多くて死は早まったが、平和で安らかに眠った」と言う。85歳以上の30%が認知症と推定されるアメリカでは、その子供に当たるベビーブーム世代の人々が、年老いた両親の世話をしながら、認知症の現実と重い負担に直面している。スーザンも、その内の1人だ。『ピッツバーグ大学生命倫理学・保健法センター』のアラン・メイゼル博士は、「50代と60代の人々は、『自分はこうはなりたくないし、家族に介護を強いたくない』と頻りに言っている。彼らは、『認知症を発症したら長く生き続けるべきではない』という考え方を示す可能性がある」という。若しかすると将来、アメリカでもオランダのように、認知症の安楽死が認められるかもしれない。扨て、冒頭のマダーリ氏。「私の死の選択に矛盾することは、教会・政府・医者・病院、更に家族にもしてもらいたくない」と主張している。長い間、弁護士として活躍し、多くの人の重要な意思決定に関わってきた人物だ。「人生の最後の瞬間を自分で責任を以て決めたい」という彼の希望は、果たして“不養生”だろうか? 自らの死に際を他人に一切委ねてしまうことのほうが、寧ろおかしなことのように思えてならない。


大西睦子(おおにし・むつこ) 内科医師・医学博士。1970年、愛知県生まれ。東京女子医科大学卒業後、同大学血液内科入局。『国立がんセンター』・東京大学医学部附属病院を経て、2007年に『ダナ・ファーバー癌研究所』留学。2008~2013年にハーバード大学で肥満や老化に関する研究に従事。現在はマサチューセッツ州ケンブリッジ在住。著書に『カロリーゼロにだまされるな 本当は怖い人工甘味料の裏側』(ダイヤモンド社)・『健康でいたければ“それ”は食べるな ハーバード大学で研究した医師の警告』(朝日新聞出版)等。


キャプチャ  2017年4月号掲載




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