【Deep Insight】(10) 起業大競争と内向き日本

日本の産業界を取材していて感じるここ数年の変化は、起業機運の高まりだ。IT分野を中心に、面白いスタートアップ(創業間もないベンチャー企業)に出合う機会が増えた。『ジャパンベンチャーリサーチ』の調査では、昨年の国内ベンチャー投資額は2030億円と過去最高。起業家が投資家や大企業と交流する催しも日々ある。嘗て“ベンチャー不毛の地”と言われたことを思えば前進だ。しかし、喜んでばかりもいられない。世界のダイナミックな動きと比べた途端、日本は霞んでしまう。先月半ば、アメリカの半導体大手『インテル』が約1兆7000億円の巨額買収を発表した。対象はイスラエルの『モービルアイ』。自動運転を実現する画像処理を得意とする。イスラエルは“スタートアップ国家”と呼ばれる。IT教育が充実し、軍事関連のハイテクの蓄積が厚く、起業が盛ん。モービルアイのような新興勢力が育つ。そんな環境に注目した起業支援会社の『サムライインキュベート』は2014年、イスラエルに拠点を設けた。人工知能(AI)や情報セキュリティー等の約30社に投資する。「イスラエルは日本の20年先を行く」と榊原健太郎代表取締役。自動車や部品等、日本の大手メーカーが同国に出かけ、スタートアップと技術やサービスを共同開発する動きが活発だという。イノベーションのハブ(中心)といえばシリコンバレーが真っ先に思い浮かぶが、足元で進行するのはハブの多極化だ。ドローン(小型無人機)生産の世界最大手『DJI』の本拠地として知られる深圳。秋葉原の何十倍もの規模で様々な電子部品が売られ、少量でも製品を生産してくれる工場が犇く。身に着けるウェアラブル機器からロボットまで、アイデアを直ぐ製品化できると、世界の起業家が集う。ハードウェア系スタートアップを支援する投資会社のプログラム『HAX』にこれまで参加した134社の出身地域は、北米50%、ヨーロッパ25%、中国15%と多彩だ。中国と共にシリコンバレーへの技術者の供給源だったインドでも、人の流れが変わりつつある。中間層の増加をチャンスとみて、母国で起業する人が増えている。ハブは、“インドのシリコンバレー”の名を持つ南部のバンガロールだ。「IT人材の数は2020年に本家を抜く」との試算もある。例えば、家庭用インターネット機器会社を創業したアミット・プレミー氏は、『シャープ』を買収した台湾の『鴻海精密工業』から出資を受けた。世界が開発を競うAIやロボットで主導権を握れるかは、将来の国力そのものを左右する。過去20年、インターネット空間での競争はシリコンバレー勢が圧勝したが、あらゆるモノがインターネットに繋がる“IoT”等、リアル空間を巻き込む次なる争いはこれからが本番だ。

ハイテク競争からは遠ざかっていた印象のフランスも名乗りを上げた。税制優遇や資金援助等で起業を促す政策“フレンチテック”に力を注ぎ、凝ったデザインのIoT機器のスタートアップ等が台頭する。今年1月のアメリカの家電見本市には、188社が出展した。パリでは近く、1000社が入居できる世界最大級のスタートアップ施設がオープンし、海外の起業家も受け入れる。“花の都”が“起業の都”への変身に挑む。翻って日本。「変化のスピードについていかないと成長できない」。安倍晋三首相がシリコンバレーを訪れたのは、2年前の春だった。『Facebook』本社等を視察し、起業の重要性を訴えた。起業家をアメリカへ研修に送り込む等してきたが、世界では影が薄い。未上場ながら、企業価値が10億ドル(約1100億円)以上に膨らみ、“ユニコーン”と呼ばれる有望ベンチャーはアメリカ中に集中する。日本勢は物品売買アプリの『メルカリ』だけだ。資金や人材の確保が容易で、スタートアップが発展し易い場所のランキングを見ると、20位までにシリコンバレー、ロンドン、バンガロール等が並ぶが、東京や大阪は蚊帳の外だ。カナダで起業し、HAXに参加する数少ない日本人である藤本剛一氏は言い切る。「日本にいては世界が見えない」。何が問題か? スタートアップの専門家たちの指摘は、大きく2つに集約される。先ず、起業がIT関連に偏り、ゲームアプリ等で“そこそこ成功する”パターンが定着したこと。そして、“有名大学卒で金融機関出身”といった最近主流の優等生起業家は、プレゼン上手でそつが無いが、裏を返せば、ここ一番でリスクを取れないということだ。要は、アニマルスピリット不足で内向き志向。10兆円ファンドを設け、鼻息荒い『ソフトバンクグループ』の孫正義社長のような存在もいるが、“日本を代表する起業家”と言えば常に孫社長が脚光を浴びる状況は、層の薄さの反映でもある。目を凝らせば、iPS細胞から人工血液をつくる『メガカリオン』、合成クモ糸繊維の『スパイバー』等、世界を目指す個性派スタートアップは少なくない。日本の強みが生きる生命科学や素材等の領域は、起業の伸びしろが大きい筈だ。2006年のライブドア事件でベンチャー軽視の空気が広がったものの、そんな冬の時代を乗り越え、起業は着実に増えている。ただ、過去最高とはいえ、日本のベンチャー投資額は他の主要国に比べると尚少ない。折角の芽も、世界から隔絶された“温室栽培”では強く育たない。こぢんまりした起業では、世界は変えられない。 (本社コメンテーター 村山恵一)


⦿日本経済新聞 2017年4月7日付掲載⦿
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