東日本大震災から6年…明日への活力を生む10のキーワード

■白いカンバス  熊谷達也氏(作家)
東日本大震災の発生から丁度3週間後、私は三陸のとある海辺に佇んでいました。嘗て3年間ほど、中学校の教員として暮らしたことがある港町の海岸です。目にしている光景に、以前の海辺の光景が全く重なりません。津波によって全てが破壊され、どこまでも荒涼とした光景が、ただただ広がっているだけでした。呆然として立ち尽くす私の背後の瓦礫では、自衛隊員による遺体の捜索が続けられています。雲ひとつ無い快晴の日でした。よく晴れ渡った空の下では、空以上に青い海が眩しいくらいキラキラと輝いています。海からは何の悪意も感じられません。あれだけ沢山の人の命と営みを奪った癖に…。その海を見つめているうちに、何故か私は、1枚のカンバスを思い浮かべていました。何の絵も描かれていない白いカンバスです。但し、新品のカンバスではありません。白の絵の具で一面が塗り潰されたカンバスです。余程目を凝らせば、その白い絵の具の下に、これまで海辺に暮らしてきた人々が描いてきた絵が、微かに見えます。「このカンバスに、もう一度新たな絵を描きなさい」――。そう海が私たちに命じているように思えました。これまでも同じカンバスに、何層にも亘って様々な絵が重ねられてきたに違いありません。新たな絵を描くには、絵の具が必要です。絵筆も必要です。油絵ならば、絵の具の溶き油も必要です。できればパレットもあったほうがいい。しかし、それらの道具は悉く海が持ち去ってしまいました。これでは何も描けない…。途方に暮れていた時に、誰かがどこからか、絵の具を持って来てくれました。そっと絵筆を握らせてくれた人もいます。手作りのパレットをはにかみながら差し出す人も…。そうした人たちの沢山の助けを得て、あまりに大きな代償を払いながらも、「今後も海と一緒に暮らそう」と決意した人々が、三陸の海辺の彼方此方で、其々のカンバスに新しい絵を描き始めています。どれも完成には程遠い絵です。進み具合にも差があります。ですが、全てのカンバス上で個性豊かな素晴らしい絵が完成することを願って止みません。

■イマジネーション  山口晃氏(画家)
父は所謂“日曜画家”でした。誰に請われるでもなく、仕事から帰ると一人黙々と絵を描く。静物画から謎の抽象画、漫画の類に至るまで、興味の赴くままに自ら楽しむという風でした。私は、そんな父の性分を受け継いでいるような気がします。私の作品制作は、見たり聞いたりした外からのインプットがあってイメージが閃き、それを追っていくうちに最終的に絵として仕上がるもの。何れの過程も楽しく、喜びが何段階にも分かれています。イマジネーションは、“ぼんやりすること”で鍛えられるかもしれません。例えば、流れ星を探す時は夜空をぼんやり眺めますよね。ぼんやりすればするほど視野が広がる。気になる部分が勝手に引っかかってくるんです。それを先ず、ざっくりと取っておくことが大切です。私の場合は先ず、大掴みな図を描いて、それに最低限の言葉を添えたりもします。くっきり、はっきりさせない。豆腐を水から直接手で引き上げると、直ぐに干からびてしまいます。どちらかというと、その周りの水ごと持ってくる感じです。そうすると、水の底で豆腐が揺らいでいて、色々なものが見えてくる。ざっくり描いた下書きから色々な絵が見えてくるのです。特に、仕上がりに近付けば近付くほど、最初に持っていた茫洋としたイメージを思い出すようにしています。人間関係でもイマジネーションは大切でしょうが、但し、それは相手の好みそうなことをイメージするのではないように思います。目の前のその人を見るのではなく、その人と同じほうを見て呼吸を合わせていくんです。下手に相手を慮らないというか、相手と同期できれば御の字というくらいでいいような気がします。自分でイメージした完成形も、作品にするとその6~7割にも至らないことが多い。すると、不完全な“完成品”が「これで終わりですか?」と突っついてくる。「いや、まだまだ、次こそは!」と次作に繋がっていきます。かの葛飾北斎は、88歳で亡くなる間際に「あと5年あったらちゃんと絵描きになれたのに…」と言ったそうですが、彼のイマジネーションは現存作品よりもずっと高い所を求めていた訳です。

■大切な人を想う  原田マハ氏(作家)
昨夏、父を亡くした。紫陽花が彼方此方で重たげな頭を雨に濡らしている時期だった。父は口達者で破天荒な人だった。美術全集や百科事典のセールスマンをしていて、日本全国を飛び回っていた。見本を1冊持って、学校や家庭を訪問し、「どうですか? お子さんの情操教育に」等と売り込んでいたらしい。出かける時は、いつも唐突に「じゃあ行ってくる」。帰ってくるのも突然で、学校から帰ってきたら父が茶の間で昼寝をしていた…なんてことも。まるで“フーテンの寅さん”を地でいくような人だった。真っ赤なスポーツカーに乗って帰ってきたこともある。兎に角、“サプライズ”が好きな人だった。家族を驚かせたり、喜ばせたり。また怒らせたり、悲しませたり。兎に角、家族は「またパパがやってくれた(※或いはやらかした)」と思うのが常だった。ハラハラしたり、ワクワクしたり。“家庭内シアター”とでも言うべきか。父はいつもその主人公だった。私が小学4年生の時、父の単身赴任先の岡山へ、母と兄と共に出かけていった。父は私に、「岡山には凄い美術館があるぞ。絶対にお前は気に入る筈だ」と言って(※そんな風に期待を高める前口上をするのもお手のものだった)、ある美術館に連れていってくれた。それが『大原美術館』だった。父の予言通り、私はすっかりこの美術館に夢中になった。中でも衝撃を受けたのが、パプロ・ピカソ作『鳥籠』(※下画像)。この作品の前で、私は身動きできなくなった。ショックだったのである。「こんな下手糞な絵が美術館に展示されてるなんて…!」と。そして、「私のほうが巧い」とまで思い、その後、ピカソをライバル視して猛然と絵を描くようになった。その結果、ピカソは――そしてアートは私の人生の友となり、美術館をまるで友だちの家のように親しみをもって訪れるようになった。人生で最も大切なサプライズギフトを、あの時、私は父に与えられたのだと、今更ながらに気が付いた。今、父のいない世界を生きながら、父を想う。生きていれば、嬉しいことも辛いこともある。それらを全てサプライズギフトとして受け止めればいい。そして私は、それらを物語に紡いでいこう。

20170508 13

■共存  畑正憲氏(作家)
つい先日、ブラジルから帰ってきたばかりです。ブラジルは多様な人種と民族で構成されていて、自由な雰囲気と温かみがあって好きですね。原稿を書いたり、向こうでも日本と同じように生活をしています。60歳の時にポルトガル語を習得して、今ではブラジルでは殆ど日本語を聞かないし、話さないのですよ。世界中の国と様々な民族を見てきましたが、「本当に“見る”・“わかる”とはどういうことだろう?」といつも考えます。コミュニケーションを自分の力で取らずに、ガイドブックに書かれてあることをそのまま確認するだけの旅では、土地や人々を理解したとは言えません。言語が得意でなくても、工夫次第で世界中の人とコミュニケーションを取ることはできます。インドのメガラヤという、とてもとても田舎の町に行った時のことです。どんどんこの町に入り込んでいき、独特な婿入り婚等の習俗をこの目で見ることができました。でも、ただ質問するだけでは誰もが答えてくれる訳ではないんです。僕は見るからに東洋人の風貌をした“余所者”。広場にいる時は石を投げられもしました。そんな時は、“コミュニケーション”のきっかけを探るのです。ふと見ると、お婆さんが重い荷物を担いで向こうからやって来た。僕はすかさず近付いて、荷物を代わりに担いで、お婆さんの顔を笑顔で覗き込みました。僕の手伝いを喜んでくれたお婆さんと一緒に集落に入ることができた。すると、それを見ていた集落の人たちにとって僕の評価は一転し、遠い国から来た面白いおじさんになった訳です。そして、笑顔や喜びや驚きの表情を作ることは、人類共通のコミュニケーションツールです。これを最大限に使ってみる。異文化といって拒否するのではなく、相手の存在を認め、理解をして受け入れる。これが、「世界の広さと多様性を、知識ではなく身体で感じたい」と願ってきた僕が見つけたコミュニケーションのちょっとした“コツ”です。

■甦る  村田沙耶香氏(作家)
小説を創作する作業の中で、“甦る”という感覚はいつも身近に思っている感覚です。というのも、自分の書く小説が、何かをゼロにすることから始まるというタイプのものが多いので。例えば、“家族とは何か”というテーマだと、一旦それを解体することによって、改めてその意味を考えてみる。元々、既成概念で構築されていたものが壊されることで、自分にとって新しいものとして甦るように思えて、いつもそれを模索しているからです。『コンビニ人間』(文藝春秋)を書いた時にも、既成概念に全く縛られていない主人公の女性から見て、“普通”であることを盲信している人たちがどれだけグロテスクに見えるかを描くことで、炙り出されてくるものについて考えてみたのでした。最近、特に興味があるのが縄文時代。『世界遺産ラスコー展』に行って、クロマニョン人が描いた洞窟壁画も見てきました。当時使われていた、木のスプーンみたいなものに獣脂を乗せて火を点けるランプは、「壁画を描く際に真っ暗な洞窟内を照らす為に使われた」との説明があるのですが、獲物の捕獲や備蓄の為ではなく、“絵を描く”という目的の為に貴重な木や油が使われていたことを知りました。生きるのに必須ではない好奇心からの贅沢な行為。自分が体験した筈のない遥か昔のことが他人事には思えず、現代に生きる自分の中にも、2万年前の自分が息衝いている気がしました。「あの時代に生まれついていたとしても、頭の中で物語を作ったりと、今と同様のことをしていたのではないか?」と。そんな小説家としての自分の身体の中には、ちょっとした人の目の動きとか、誰かがぽろっと口にした言葉といった様々な要素が、ちくっとした違和感と共に冷凍保存されています。書くことによってそれらは解凍され、芋蔓式に甦ってきて、小説の一部となって生まれ変わります。昔の記憶や経験が今に活かされるのと似ていますが、普段はすっかり忘れているのです。小説家になっていなかったら全部忘れたままだったろうし、“小説を書く”という作業をするからこそ、幼少期の記憶から何から身体の中に保存されていたものが甦ってくる。何らかの意味があって自分の中に冷凍保存されていたものたちを、そのまま風化させてしまうのではなく、蘇らせたい。それを全部使い切って、新たに小説として生まれ変わらせて生涯を全うできたら…と願っているのです。

■ひとに寄り添う 村田兆治氏(元プロ野球選手)
野球は、1つのボールの下に9人が寄り添い合うスポーツと言っていい。但し、プロともなれば、技術の頂点を極めた者同士が更に切磋琢磨し合うことになる。厳しい世界です。現役時代、私の女房役は、法政大学で江川卓とバッテリーを組んでいた袴田英利というキャッチャーでした。当初、投球練習で決め球のフォークボールを投げると、彼は全然捕れませんでしてねぇ。ミットに触ればマシなほうで、股間を抜けて後逸したり、レガースに直接当てて逸らす等、前途多難、どうなることかと思いました。でも彼なりに、ミットの芯から綿を抜いて手袋のように柔らかくする等、工夫を重ねて捕れるようになった。私の球質は決して軽くはないから、手には激痛が走った筈だけれど、そんなことは噯にも出さなかった。軈てはノーサインでも捕ってくれた。私、引退試合では1つだけ、金田正一監督に我が儘を言いましてね、「最後は袴田に受けてもらう」と、2軍にいた彼を引き上げてもらったんですよ。そして、2人は同時に引退したんです。実生活の女房とは、新婚3ヵ月で初めて喧嘩しましてね。後にも先にもそれ1回だけですが、食卓にハンバーグ含め2~3品。「こんなもの食えるか!」とひっくり返しましたよ。投げるにはカロリーが絶対的に足りない。以来、現役中はバランス良く15~16品は並ぶようになった。右肘靭帯断裂で、フランク・ジョーブ博士の手術を受ける為に渡米した際は、女房が航空会社の元OLでイギリスに語学留学した経験が生きましたね。手術で入院した3日間は連日、一睡もせず看病してくれたものです。離島を巡って野球教室を開くようになったのは、北海道中標津町の酪農家の方から1通の手紙を頂いたのがきっかけです。「是非、子供たちに夢と希望を与えに来てほしい」。そういう文面でした。村の人口より牛のほうが多い過疎の村でしたが、行って良かった。子供たちの純粋さ・純朴さ、キャッチボールした時の目の輝き。感動しましたもの。以来、長崎県の生月島を皮切りにして、これが『国土交通大臣杯 全国離島交流中学生野球大会』にまで発展しました。今年で区切りの10回目を迎えます。人に寄り添い、寄り添われてきた積み重ねのおかげですね。

■つなぐ  大林宣彦氏(映画作家)
私は、「映画は世界を繋ぐものだ」と思っています。世界は互いに繋がれていると平和なんです。繋がっていると、お互いの違いはあっても、会話が通じるからです。現代は情報化社会でしょう。情報というのは、そのポイントだけを見て是か非かで物事を考えます。でも、映画は物語ですから、観客も映画を観ながら考えるんです。立場や考えの違う人たちの会話や物語を味わって、「何故そうなったんだろう?」「何でそんな風に言うんだろう?」と考えることで、意見の異なる人同士が同じ社会で共存できることを理解するようになるんです。映画も、最近はスマホやタブレット等で1人で見ることが多くなりました。ですが、やはり映画は皆で一緒に見るほうがいいんです。映画館で見ると、隣の人の気配がわかるでしょう。一緒に見たことがきっかけになって話が生まれ、共に考えることで、気持ちが繋がって、お互いの絆が深まります。新潟県長岡市では、8月1日(前夜祭)の22時30分、昭和20年に焼夷弾が落ちた時間に慰霊の花火が上がります。映画『この空の花 長岡花火物語』(2012年公開・PSC)には、生きている人だけでなく、亡くなった人も出てきます。様々な立場の違う人が登場して、あの日々のことを思い、傷付き合い、敬し合い、軈て愛を覚え、共に生きていこうと決意するようになるのです。『この空の花』は世界各地で上映しているのですが、2012年にハワイのホノルル市に持って行きました。この時は流石の私も心配でした。反日感情は未だ根強いですから。上映後、夫を真珠湾攻撃で亡くした夫人の1人が大変な勢いで飛んできて、私の手を握って振り回しながら、「この映画は、未来を生きるアメリカと日本の若者への素敵なプレゼントです。どうもありがとう」と、そして「わかりますか? これは私の勇気です」と言うのです。“敵を赦そう”という勇気に心を打たれました。芸術は正義よりも、寧ろ人間の本能を、正気を描いています。だから、人々の記憶に残り、歴史を創っていくのです。それは映画も同じなんです。映画は決して風化しません。私は、未来の子供たちがいつか平和を実現できる日の為に、映画という物語を通して、平和への思いを世界に繋げていきたいと思っています。

20170508 14

■探究心  岩合光昭氏(写真家)
最早、岩合といえば“猫のおじさん”という印象でしょうが、当の本人はまだまだ野生の動物たちに魅了されていて、探求心も変わらず旺盛なつもりです。今年も昨年に続いて、ブラジルのパンタナールという日本の本州くらい広い大湿原地域を再訪する予定。ジャガー、カビバラ、ブラジルバク、オオアリクイ、カイマン(ワニ)等、多くの野生動物が生息する、人の手が加わっていない素晴らしい場所です。そこで、動物たちの命を繋ぐ水そのものをテーマに撮ろうとも考えています。特にジャガーは昔から撮りたかった動物ですが、これまでは非常に難しい被写体でした。というのも、パンタナールの土地の大半が牧場に属していて、牧場主が牛を襲うジャガーを殺してしまっていたんです。それが近年、釣り客の口コミで各国から人が集まってくるようになり、今度はジャガーウォッチングが名物となった。牧場主も、「殺すより見せたほうが得だ」と思い始めたのです。湿原の移動は主にボートですが、最近開通したパンタナール縦貫自動車道を四輪駆動車で移動もします。偶々、雨が降り始めた時に新鮮な水を求めて、道路の周囲に蝶々が集まってきて、まさに何十㎞も続く蝶々のトンネルの中を走り抜けたことがあります。神秘的な体験でした。未舗装の道路の最終地点から、今度はボートで移動し始める訳です。野生動物ですから、ジャガーを撮るには本当に時間が必要。しかも、撮りたいのは自分の身体以上に大きいカイマンを捕えるシーン。滅多に遭遇できないだけに、相当の忍耐力が強いられます。パンタナールから戻れば、直ぐまた猫。“猫さま次第”というほど追うのが大変ですが、オスの後をついていくと、ある程度の距離を保ちつつもメスたちを紹介してくれたり、自分の身体が大きく見える場所に故意に立つのが見られる。自分を誇示する行動。人間の生活に溶け込んでいるネコでも、野性は保っている。それを読者や視聴者にお伝えしたいと、常に考えているのです。実は、最初から動物そのものに興味を惹かれていたという訳ではなく、彼らも含めた自然の情景そのものに居心地の良さを感じていました。そうした自然には、癒しではなく逆の、力強いエネルギーみたいなものがある。動物の保護というと動物だけを考えがちですが、先ずは環境が必須。彼らが許してくれる範囲内で、探求心を失わずに撮り続け、それを伝えていきたいと考えています。

■アグレッシブ  井村雅代氏(シンクロナイズドスイミングコーチ)
おかげ様で昨夏、シンクロ日本代表は、デュエット・団体とも銅メダルを獲得できました。私は2004年に日本を離れ、中国やイギリスで指導して参りましたので、母国の代表を再び預かることが楽しみでもありました。ところが、実際に復帰してみると、シンクロの選手なのに泳がせたら遅いし、テクニックも稚拙。「貴女たち、一体何を練習していたの?」と呆れ返ったほど。練習に取り組む姿勢、日常生活の過ごし方、考え方…。どれ1つとってもなっていなかった。何故か? 「負けても精一杯やったから、それでいいじゃないの」という言葉で甘やかされ続けてきたからなんですね。そこでどうするか。時間が無い中で、あれもこれもと欲張ったら駄目なんです。泳ぐスピード、脚を動かすスピード、それだけ教えて、兎に角、動きをシャープにする。この1点に集中した。復帰して半年後、2014年の大会でウクライナに勝って、初めてメダルを取った。彼女たちが本気になり、全てのスタートはあそこからでした。直前のグアム合宿は、山手にある屋外プール、突風は吹き付ける、雨も降る、過酷な練習メニューと、最悪なコンディションを求め、本番で何があっても大丈夫なまで追い込みました。朝の5時40分から自主練習、朝食後にストレッチとウォームアップして、8時から練習開始。昼食と筋トレを挟んで、21時まで練習。その後も練習ビデオのチェック等があり、夜中の12時までシンクロ漬け。多い時は腹筋・背筋も2500回ずつ。優に3時間半はかかりますけれど、やらせました。1日に朝食と夕食の前に必ず2回体重を測定し、必要ならお餅を4個、寝る前にもとろけるチーズと一緒に食べさせました。正に、食べることも重要なトレーニングでした。団体本番直前、私は彼女たちに「私の指導歴の中でも一番ハードな練習をしてきた貴女たちにできない訳がない」と声をかけ、更にこう付け加えました。「丁寧はいらないからね」と。「本番で失敗したくない」と思うと、丁寧な演技を心掛けてしまう。「無難な演技に着地させよう」と思ってしまうのです。だからこそ、「丁寧はいらない」を付け加えたおかげで、アグレッシブに吹っ切れましたね。

■夢を掴む  竹内薫氏(サイエンス作家)
セルロースナノファイバーは“日本発の夢の素材”。19世紀が鉄の時代、20世紀をプラスチックの時代とすると、21世紀はセルロースナノファイバーの時代と言われるほどです。紙と同じパルプから生まれたのに、ナノレベルの繊維まで細かくすると、鉄の5分の1の軽さで5倍の強度があり、粘性が高いのに力を加えると液状になる等、ユニークな性質を持つようになるのです。文具や紙オムツでは既に実用化され、自動車・化粧品・食品等、様々な分野でも実用化に向けての研究が進められており、2030年には1兆円のマーケットに成長すると試算されています。“木の国ニッポン”で生まれた、植物由来で環境にも優しい、日本にとっては救世主になるかもしれないという、その意味でも夢の素材です。私は昨春から、サイエンス作家の傍ら、フリースクールの代表として、学校経営(※日本の小学校に相当)に乗り出しています。今の日本の学校教育が余りにも旧態依然としていて、グローバル化への対応ができておらず、近い将来、世界で活躍できる日本人を育てようと思ったら、自分で学校を作るしかないと思ったからです。私の学校では、“トライリンガル教育”を核にしています。これは“3つの言語の教育”という意味で、日本語教育に英語教育、そしてプログラミング言語の教育です。これからの子供たちは、自分でプログラミングができる能力、つまりその背景にある数学を理解できなくてはなりません。数学がわかれば、プログラミングは言語と捉えることができます。日本語できちんと考え、英語で自由にコミュニケーションし、プログラミング言語が使えるというのは、グローバル社会では必須です。セルロースナノファイバーの発見と開発もそうですが、日本に優れた科学者が多く、ノーベル賞受賞者が輩出しているのは、日本が長年、独自の科学技術を大切に育ててきたということの証です。また、消費者の使い勝手の良さや、利便性をとことん追求していく開発の背景には、日本人ならではの精神がある。日本の工業社会は、匠の精神、日本人のDNAに支えられているのです。教育も、キーワードは“ニッポン”です。日本語と日本の文化を土台に、英語を使いこなして、世界を舞台にアクティブに活躍できる日本人を育てたいですね。


キャプチャ  2017年3月16日号掲載
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