【木曜ニュースX】(397) 金正恩が脱北阻止を徹底…「もはや中朝国境越えは物理的に不可能」、体制動揺を警戒し鉄条網増
北朝鮮から中国を経由し、韓国に入国する脱北者が急減している。北朝鮮が新型コロナウイルスの流行期、中朝国境地帯の鉄条網を増設する等、国外脱出を阻む態勢を強化したからだ。北朝鮮の住民が抑圧や飢餓から逃れるルートが閉ざされかけている。 (取材・文/ソウル支局長 中川孝之)

「金正恩は脱北をゼロにしようとしている。中朝国境を越えるのは、物理的に不可能になった」――。韓国の『脱北者同志会』の徐宰坪会長(53)は厳しい表情で語る。自身も北朝鮮出身だ。北朝鮮で地質調査の仕事をしていた約20年前、韓国のラジオ放送を聴いて逮捕されそうになり、故郷を脱出した。今は韓国で脱北者を支援する。徐さんは先月、北朝鮮の住民から切迫した声で「このままでは餓死する。韓国に行きたい」と相談された。北朝鮮北部では中国製の携帯電話を使い、韓国と通話することができる。「今は助ける方法がない」。そう答えるしかなかった。北朝鮮から脱出する場合、韓国との軍事境界線は両国軍の警備が厳しい上、無数の地雷も埋まっており、一般人が通過することはできない。この為、ブローカーの手を借りながら中朝国境を越えて中国に入り、陸路で東南アジアまで南下するルートが利用されてきた。タイ等で韓国政府の保護を求めれば、空路で韓国に入国することができる。北朝鮮はコロナ禍をきっかけに、このルートを潰そうとしている。金正恩政権は2020年1月、新型コロナウイルスの流入を防ぐとの名目で、中朝国境でのヒトやモノの往来を止めた。同時に、国境地帯にフェンスを増設する等の大規模な工事を行なってきた。国際人権団体『ヒューマンライツウォッチ』が昨年11月に発表した衛星写真の分析によると、中朝国境を流れる豆満江沿いの咸鏡北道・会寧では、川沿いのフェンスの強化工事が行なわれ、50m毎に監視所が設置された。この第一フェンスに平行し、第二フェンスも建設された。増設工事は、川幅が狭く、脱北ルートになってきた豆満江沿いで先行して実施された。フェンスはコンクリートや鉄条網で造られ、一部区間では電流が通されたとの情報もある。
徐さんによれば、北朝鮮当局は2025年までに、全長約1300㎞以上ある中朝国境全域にフェンスを設置する予定だ。北朝鮮は国境警備隊の配置も頻繁に変更している。1ヵ所で長く勤務し、近隣住民と接する機会が増えれば、「賄賂を受け取って脱北の手助けをする者が出てきかねないから」(徐さん)だという。北朝鮮情報専門サイト『デイリーNK』の李尚龍ディレクター(43)によると、北朝鮮の社会安全省(※日本の警察庁に相当)は2020年8月末、「国境を越えようとする者を発見した場合は射殺してもよい」という布告文を出した。住民に恐怖感を与え、脱北を思いとどまらせる狙いがある。中国の中朝国境近くには、北朝鮮の工作機関である偵察総局の若い要員が送り込まれ、脱北者の捜索や摘発を行なっているという。「脱北者を支援する中国人の動向を監視し、脱北者と接触した現場を急襲することもある」と李さんは証言する。現在の中国国内の状況も脱北者には不利だ。中国は、北朝鮮から逃げた住民を“不法滞在者”と見做し、逮捕すると北朝鮮に強制送還する。顔認証システムや高性能カメラ等、中国の街に設置されたハイテク監視技術が脱北を阻む。元北朝鮮軍人で、過去20年間に数千人の脱北を支援した『脱北難民人権連合』の金龍華会長(70)は、この夏、中国東北部を訪れた。北朝鮮が国境の管理を緩和し、貿易や人の往来が再開する動きがある為、新たな脱北の可能性を探ろうとした。しかし、金さんは「中国国内が危険だ。監視網をかいくぐるのは極めて難しくなった」と結論付けるしかなかった。嘗て中国に逃れた北朝鮮住民らは、ブローカーの用意した偽の身分証で中国朝鮮族になりすまし、鉄道やバスで東南アジア国境まで移動する手法をとった。現在は身分証のデジタル化等が進み、偽造は不可能になった。乗用車やタクシーを乗り継いで東南アジアに向かうしかないが、高速道路でも厳しい検問がある。中国から韓国に帰国する当日、ホテルに来た中国警察から事情聴取を受けた。警察官は、金さんが実際に行った市場の名前等を挙げてみせ、「何の用事で行ったのか?」と質問した。「『行動は全てお見通しだ』という警告だった」。金さんは苦い表情になった。脱北者が増えたのは、“苦難の行軍”と呼ばれた1990年代半ばの食糧危機がきっかけだった。1995年の大洪水等で配給制度が崩れ、数十万~数百万人が餓死したと推定されている。歴代の韓国政府は脱北者を受け入れ、就学や就職、住居の斡旋等の定着支援を行なってきた。その後、北朝鮮からの脱出を支援する団体が活動を強化したこと等から脱北者は増え、2009年には年間2914人が韓国に入った。韓国に定住した脱北者は約3万4000人に上る。しかし、金正恩政権になると国境警備の強化によって減少傾向が続き、中朝国境でのヒトやモノの往来が止められた2020年以降は急減。昨年は67人にとどまり、ピーク時の2009年の40分の1以下になった。今年は6月までに99人が韓国入りしたが、最近の脱北者の殆どは中国やロシア等に労働者として滞在し、職場から逃げた人達だ。中朝国境を越えたケースはごく僅かとされる。徹底した脱北阻止は金正恩総書記の強い意向が反映されている。正恩氏は独裁体制が動揺することを最も恐れているとされる。韓国統一省の関係者は、脱北者が北朝鮮に残る親戚や知人と連絡を取ることで、「外部の情報が北朝鮮に入り、住民が北朝鮮の体制に疑念を持つことに神経を尖らせている」と分析する。正恩氏の指示を受けた妹の金与正氏(※党副部長)が、中朝国境沿いの両江道・恵山を視察し、国境の統制強化を指示したとの情報もある。正恩氏は2021年1月の党大会で、“反社会主義・非社会主義”と闘争するよう大号令を発した。韓国ドラマ等、資本主義文化の流入を遮断することを意味し、脱北阻止もここに含まれる。平壌や地方毎に連合指揮部が設置され、統制強化の成果を競い合っている。

■自由への渇望を止められず 池成浩氏(韓国の国会議員)
北朝鮮出身で、脱北者の人権問題に取り組む韓国与党『国民の力』の池成浩議員(41)に話を聞いた。池氏は北朝鮮での少年時代、生活苦で石炭を盗んだ際に鉄道事故に遭い、左手足を切断。2006年に松葉杖をついて脱北し、中国経由で韓国に辿り着いた。
――金正恩政権は脱北をどう考えているか?
「北朝鮮では幼い頃から、祖国は“楽園”で韓国やアメリカは国民が貧しく、人権もないと教え込まれる。金正恩はアメリカ軍の空母や爆撃機より、外部から真実を伝える脱北者を恐れている。北朝鮮住民の考えが変われば、体制の脅威となるからだ」
――中国での状況は?
「中国で不法滞在者として収監中の脱北者は約2600人と推定され、何れ北朝鮮に強制送還される。送還後は拷問され、政治犯収容所等に送られる。今月、チェコで開かれた国際会議で、脱北者送還阻止で協力を呼びかけた。圧力強化に日本も参加してほしい」
――今後の脱北の展望は?
「中朝国境を越えるのは困難になった。今後は船舶を利用した海上ルートが利用されるかもしれない。自由を渇望する人間の意志を止めることはできない。私自身、(左手足を失うという)とても脱北に成功できないような体で韓国に逃れた」
2023年9月21日付掲載

「金正恩は脱北をゼロにしようとしている。中朝国境を越えるのは、物理的に不可能になった」――。韓国の『脱北者同志会』の徐宰坪会長(53)は厳しい表情で語る。自身も北朝鮮出身だ。北朝鮮で地質調査の仕事をしていた約20年前、韓国のラジオ放送を聴いて逮捕されそうになり、故郷を脱出した。今は韓国で脱北者を支援する。徐さんは先月、北朝鮮の住民から切迫した声で「このままでは餓死する。韓国に行きたい」と相談された。北朝鮮北部では中国製の携帯電話を使い、韓国と通話することができる。「今は助ける方法がない」。そう答えるしかなかった。北朝鮮から脱出する場合、韓国との軍事境界線は両国軍の警備が厳しい上、無数の地雷も埋まっており、一般人が通過することはできない。この為、ブローカーの手を借りながら中朝国境を越えて中国に入り、陸路で東南アジアまで南下するルートが利用されてきた。タイ等で韓国政府の保護を求めれば、空路で韓国に入国することができる。北朝鮮はコロナ禍をきっかけに、このルートを潰そうとしている。金正恩政権は2020年1月、新型コロナウイルスの流入を防ぐとの名目で、中朝国境でのヒトやモノの往来を止めた。同時に、国境地帯にフェンスを増設する等の大規模な工事を行なってきた。国際人権団体『ヒューマンライツウォッチ』が昨年11月に発表した衛星写真の分析によると、中朝国境を流れる豆満江沿いの咸鏡北道・会寧では、川沿いのフェンスの強化工事が行なわれ、50m毎に監視所が設置された。この第一フェンスに平行し、第二フェンスも建設された。増設工事は、川幅が狭く、脱北ルートになってきた豆満江沿いで先行して実施された。フェンスはコンクリートや鉄条網で造られ、一部区間では電流が通されたとの情報もある。
徐さんによれば、北朝鮮当局は2025年までに、全長約1300㎞以上ある中朝国境全域にフェンスを設置する予定だ。北朝鮮は国境警備隊の配置も頻繁に変更している。1ヵ所で長く勤務し、近隣住民と接する機会が増えれば、「賄賂を受け取って脱北の手助けをする者が出てきかねないから」(徐さん)だという。北朝鮮情報専門サイト『デイリーNK』の李尚龍ディレクター(43)によると、北朝鮮の社会安全省(※日本の警察庁に相当)は2020年8月末、「国境を越えようとする者を発見した場合は射殺してもよい」という布告文を出した。住民に恐怖感を与え、脱北を思いとどまらせる狙いがある。中国の中朝国境近くには、北朝鮮の工作機関である偵察総局の若い要員が送り込まれ、脱北者の捜索や摘発を行なっているという。「脱北者を支援する中国人の動向を監視し、脱北者と接触した現場を急襲することもある」と李さんは証言する。現在の中国国内の状況も脱北者には不利だ。中国は、北朝鮮から逃げた住民を“不法滞在者”と見做し、逮捕すると北朝鮮に強制送還する。顔認証システムや高性能カメラ等、中国の街に設置されたハイテク監視技術が脱北を阻む。元北朝鮮軍人で、過去20年間に数千人の脱北を支援した『脱北難民人権連合』の金龍華会長(70)は、この夏、中国東北部を訪れた。北朝鮮が国境の管理を緩和し、貿易や人の往来が再開する動きがある為、新たな脱北の可能性を探ろうとした。しかし、金さんは「中国国内が危険だ。監視網をかいくぐるのは極めて難しくなった」と結論付けるしかなかった。嘗て中国に逃れた北朝鮮住民らは、ブローカーの用意した偽の身分証で中国朝鮮族になりすまし、鉄道やバスで東南アジア国境まで移動する手法をとった。現在は身分証のデジタル化等が進み、偽造は不可能になった。乗用車やタクシーを乗り継いで東南アジアに向かうしかないが、高速道路でも厳しい検問がある。中国から韓国に帰国する当日、ホテルに来た中国警察から事情聴取を受けた。警察官は、金さんが実際に行った市場の名前等を挙げてみせ、「何の用事で行ったのか?」と質問した。「『行動は全てお見通しだ』という警告だった」。金さんは苦い表情になった。脱北者が増えたのは、“苦難の行軍”と呼ばれた1990年代半ばの食糧危機がきっかけだった。1995年の大洪水等で配給制度が崩れ、数十万~数百万人が餓死したと推定されている。歴代の韓国政府は脱北者を受け入れ、就学や就職、住居の斡旋等の定着支援を行なってきた。その後、北朝鮮からの脱出を支援する団体が活動を強化したこと等から脱北者は増え、2009年には年間2914人が韓国に入った。韓国に定住した脱北者は約3万4000人に上る。しかし、金正恩政権になると国境警備の強化によって減少傾向が続き、中朝国境でのヒトやモノの往来が止められた2020年以降は急減。昨年は67人にとどまり、ピーク時の2009年の40分の1以下になった。今年は6月までに99人が韓国入りしたが、最近の脱北者の殆どは中国やロシア等に労働者として滞在し、職場から逃げた人達だ。中朝国境を越えたケースはごく僅かとされる。徹底した脱北阻止は金正恩総書記の強い意向が反映されている。正恩氏は独裁体制が動揺することを最も恐れているとされる。韓国統一省の関係者は、脱北者が北朝鮮に残る親戚や知人と連絡を取ることで、「外部の情報が北朝鮮に入り、住民が北朝鮮の体制に疑念を持つことに神経を尖らせている」と分析する。正恩氏の指示を受けた妹の金与正氏(※党副部長)が、中朝国境沿いの両江道・恵山を視察し、国境の統制強化を指示したとの情報もある。正恩氏は2021年1月の党大会で、“反社会主義・非社会主義”と闘争するよう大号令を発した。韓国ドラマ等、資本主義文化の流入を遮断することを意味し、脱北阻止もここに含まれる。平壌や地方毎に連合指揮部が設置され、統制強化の成果を競い合っている。

■自由への渇望を止められず 池成浩氏(韓国の国会議員)
北朝鮮出身で、脱北者の人権問題に取り組む韓国与党『国民の力』の池成浩議員(41)に話を聞いた。池氏は北朝鮮での少年時代、生活苦で石炭を盗んだ際に鉄道事故に遭い、左手足を切断。2006年に松葉杖をついて脱北し、中国経由で韓国に辿り着いた。
――金正恩政権は脱北をどう考えているか?
「北朝鮮では幼い頃から、祖国は“楽園”で韓国やアメリカは国民が貧しく、人権もないと教え込まれる。金正恩はアメリカ軍の空母や爆撃機より、外部から真実を伝える脱北者を恐れている。北朝鮮住民の考えが変われば、体制の脅威となるからだ」
――中国での状況は?
「中国で不法滞在者として収監中の脱北者は約2600人と推定され、何れ北朝鮮に強制送還される。送還後は拷問され、政治犯収容所等に送られる。今月、チェコで開かれた国際会議で、脱北者送還阻止で協力を呼びかけた。圧力強化に日本も参加してほしい」
――今後の脱北の展望は?
「中朝国境を越えるのは困難になった。今後は船舶を利用した海上ルートが利用されるかもしれない。自由を渇望する人間の意志を止めることはできない。私自身、(左手足を失うという)とても脱北に成功できないような体で韓国に逃れた」

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