【憲法のトリセツ】(09) 伊藤博文の立憲主義は本気だった

20170517 08
「大日本帝国憲法(旧憲法)には自由主義的な側面がかなりあった」と前回書きました。にも拘わらず、日本が軍国主義国家になってしまったのはどうしてでしょうか? 帝国憲法のどこに問題があったのかを考えてみましょう。先週の土曜日は建国記念の日でした。日本書紀によれば、初代の神武天皇は2677年前の元日に即位しました。これを今の暦に換算して、2月11日を国の始まりの日と定めたのです。戦前は“紀元節”と呼んでいました。明治22(1889年)のこの日、帝国憲法は発布されました。「国の始まりの日に、新たな国家のスタートを宣言したい」――。明治政府のそんな気分が窺えます。明治維新は、天皇を囲む公家と江戸幕府からの権力奪取を目指す薩長土肥の藩閥勢力の連携でなされました。当初は公家が太政官等の高位に就き、藩閥勢力はその下に置かれました。君主制から立憲君主制への移行には、近代国家としての体裁を整えると同時に、天皇の名を利用して権威を保とうとする公家を追い落とす狙いもあった訳です。更に、藩閥勢力の内部でも勢力争いはありました。1877年の西南戦争と相前後して、長州の木戸孝允と薩摩の大久保利通が亡くなり、伊藤博文や井上毅ら官僚が台頭しました。他方、軍備強化に伴い、山県有朋ら軍人も勢いを増していました。帝国憲法の条文には、こうした権力闘争が反映されています。

起草者である伊藤や井上は、「天皇の権限があまりに大きくなると公家の発言権を高めかねない」と懸念。律令型の統治機構を内閣制に移行させることで、省庁を掌握する官僚が国を動かす仕組みにしようとしました。その為に帝国憲法に盛り込んだのが第55条です。「国務各大臣ハ天皇ヲ補弼シ其ノ責ニ任ス」。“補弼”とはお手伝いのことですが、「責任がある」とも書いてあります。伊藤自らが書いた帝国憲法の解説書である『憲法義解』を現代語に訳した相沢理編著『“憲法とは何か”を伊藤博文に学ぶ』(アーク出版)から引用します。「法律・勅令およびその他の国事にかかわる詔勅は、大臣の副署によって初めて実施すべき効力を得る」。つまり、「大臣が賛同しなければ天皇の命令でさえも紙屑である」というのですから、相当に厳格な君主権の制限です。現憲法第7条「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」と比べても、遜色ありません。伊藤は初代の首相として、明治政府の最高権力者の地位を手に入れました。山県ら軍も黙っていませんでした。伊藤が行政のトップに立つことは認めましたが、「軍の領域には踏み込んでくるな」と押し返したのです。それが、帝国憲法第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」です。軍は天皇が統帥、つまり直に率いているので、行政から独立した存在であると読めます。伊藤は再び、「“補弼”を活用しよう」と思い立ちました。「日露戦争(1904~1905年)に勝ち、存在感を高めた軍の力を削ごう」と、1907年に明治天皇に“公式令”という勅令を出させました。その第7条は勅令について、「内閣総理大臣年月日ヲ記入シ之ニ副署シ」と定めました。勅令は内閣の補弼で出すことも、軍の要請で出すこともあったのですが、この結果、軍が自分に都合のいい勅令を出させることに成功しても、首相が日付を記入するという事務手続きを怠れば発効しなくなったのです。振り返れば、伊藤は帝国憲法の制定過程において、枢密院でこんな発言をしています。「憲法ヲ創設スルノ精神ハ第一君権ヲ制限シ、第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ」。自分が権力を握りたいとの下心が見え隠れしていたとはいえ、伊藤が本気で日本を立憲国家にしようとしていたのは間違いありません。

20170517 09
公式令ができた1907年、軍は対抗手段として“軍令”という文書を出し始めました。帝国憲法に規定されていないので、当初は法的効力は曖昧でした。幕末に同じ『松下村塾』で学んだ伊藤と山県の間には、「行政と軍が互いに口を出さない」という暗黙の了解があったようです。2年後、伊藤は中国のハルビン駅で暗殺され、山県も1922年に病没しました。帝国憲法は字面だけで判断されるようになり、軍は1930年、遂に浜口雄幸内閣が調印した『ロンドン軍縮条約』に反旗を翻しました。所謂“統帥権干犯問題”です。「軍備の規模は天皇の統帥の下にあり、内閣には決める権限が無い」――。軍はこう主張し、軍縮に前向きだった犬養毅首相(※右画像)を暗殺する等の実力行使にも出ました。日本がロンドン条約を正式に脱退するのは、1936年のことでした。帝国憲法には、もう1つ問題がありました。輔弼の権限を“国務各大臣”に付与したのです。相沢本によると、伊藤は首相の役割を「大政の方向を指示して、各省をすべて統括・監督する」としながらも、「各大臣の進退はひとえに天皇の叡慮により、首相が決めることはできない」としました。「将軍のような存在を作ってはならないし、お手伝いは天皇との相対で行うもの」という判断があったのでしょう。結果として、「軍部大臣が首相に従わなくてもよい」という根拠を与えました。統帥権は伊藤と山県の痛み分けの産物ですが、国務大臣の首相からの独立は伊藤の失敗だと思います。伊藤の本気の立憲主義を突き崩した蟻の一穴。これが、戦前日本の運命を大きく左右しました。


大石格(おおいし・いたる) 日本経済新聞編集委員。1961年、東京都生まれ。東京大学法学部卒。国際大学国際関係学科修士課程修了後、1985年に『日本経済新聞社』入社。政治部記者・那覇支局長・政治部次長・ワシントン支局長として、様々な歴史的場面に立ち会ってきた。現在の担当は1面コラム“春秋”・2面コラム“風見鶏”・社説等。


⦿日本経済新聞 2017年2月15日付掲載⦿

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