完全に“老害”と化した『スズキ』鈴木修会長の近況――「有能な人材の流出が著しい」、社業“風前の灯”でも続く独善経営

20170518 04
「何でお前がこんな所にいるんだ。出て行け!」――。昨年12月中旬、静岡県浜松市内にある高級ホテルのパーティー会場に怒号が響いた。会場は一瞬で静まり返り、居合わせた人々の視線が一斉に1人の老人に集中した。声の主は、スズキの代表取締役会長・鈴木修氏だった。2009年に『日本経済新聞出版社』から出した著書『俺は、中小企業のおやじ』のタイトル通り、今や3兆円を超す売り上げ規模を誇るスズキを育て上げたにも拘わらず、未だにその会社を中小企業と自認する修会長。御年87歳。来年の1月30日にはめでたく米寿を迎える。しかし今、彼の経営者としての歪みが徐々に明らかになり、その暴走を抑え切れないスズキという会社そのものの行く末に不安を抱く関係者は少なくない。修会長は岐阜県出身。旧姓は松田。1953年に中央大学法学部を卒業し、『中央相互銀行』(現在の『愛知銀行』)に入行。1958年にスズキ(※当時は『鈴木自動車工業』)の2代目社長である鈴木俊三氏の長女と結婚し、婿として姓を鈴木へと改めた。「それより前、俊三氏は後継とするべく、超一流国立大学の出身者を婿に迎えたが、鈴木家内部のゴタゴタに嫌気が差して出ていった」(スズキ関係者)という情報もある。スズキには結婚と同年に入社し、1978年に社長に就任した。2015年に漸く社長を長男の俊宏氏に譲ったが、未だに代表取締役会長職には居座っている。社長在任期間は名目上で延べ30年だが、実質的な会社支配は現在までの40年近くに達するという“日本の自動車業界の化け物”だ。

この間、日本独自の規格である軽自動車の開発・生産・普及に努め、税制優遇も含めた“恩典”を守り抜いた。日本の自動車メーカーとしては逸早くインドに進出する等、スズキを“大企業”に育て上げた功績は大きい。ただ、強大な権力は頻繁に暴走し、親しい仲間以外を信用せずに独善的な経営に陥った。その老害ぶりが顕著になるに至って、“鈴木修=名経営者”の看板は今、地に落ちようとしている。「昔から平気で他人を怒鳴りつける人だった」(スズキの取引先経営者)が、老害によって発生したのが冒頭の事件。パーティーはスズキの取引先を集めた忘年会で、スズキとのトラブルに直面した旧来から取引がある経営者を、公衆の面前で罵倒したのだった。「その場にいた取引先の経営者たちに怯えが広がった」(同)という。このパーティーには俊宏社長も出席し、最近の自動車業界の情勢等を交えた挨拶をしたが、その後にステージに立った修会長は戦争に関連した話に終始し、「その場にそぐわないのは明白だった」(同)。また今年1月、スズキは役員会で『二輪技術センター』の改築を決議して、俊宏社長を含む役員全員が判子を押したが、修会長は「聞いていない」と激怒して、無理矢理撤回させた。それだけでは収まらず、「役員全員に反省文を書かせた」(スズキ関係者)というのだ。売上高3兆円を超す大企業の役員でも、まるで中学生並みの扱いを受けてしまう。社内では「自分にゴマをする人を能力が低くても重用する」(同前)し、意に沿わない幹部の考えは否定したり無視したりする。それどころか、役職の解任もする。番頭として据えた社長2人が健康上の問題で相次いで辞任したのも、本当は同じ理由だ。そんな状態なので、「最近では、技術者も含めて有能な人材の流出が著しい」(同)という話も聞こえてくる。社外では昔も今も、地元・浜松の特定の取り巻き業者と公私に亘り濃密に付き合う一方、地元経済界の主要人物との交際は殆ど無い。また、創業者の道雄氏に連なる鈴木一族でも、中小企業から大企業へと成長する中で、スズキのグループ企業から排斥された人は数知れない。その一方で、自らの出自である松田家の関係者を手厚く保護する。国内外のバカンスに連れ立って出掛けるのは、特定の取り巻き業者や、長年に亘り何かと相談をする相手となっている地元の料亭の親しい女将だけで、「細君を連れていったという話は聞いたことがない」(スズキの取引先経営者)そうだ。浜松市中区蜆塚は、修会長の自宅がある場所だ。ここから同市南区高塚町にあるスズキ本社までの約3.5㎞の住宅街の道は、嘗て修会長の散歩を兼ねた徒歩での通勤路だった。在浜松のスズキ担当記者にとっては、この散歩道兼通勤路が格好の取材機会だった。修会長が歩きながら、会社の最新情報について本音で語ることが多かった為だ。しかし、「近年は、こうした取材は全く無くなった」(元スズキ担当記者)。高齢により長い距離を歩くことができなくなったという背景もあるようだが、「『担当記者からの濃密な取材を避けたい』という意向が働いている」(同)ことも事実だろう。

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また最近までは、決算会見や新型車発表会等、ありとあらゆる記者会見の場に登場し、その度に“オサム節”を披露していたが、この1年間で会見の場に姿を現したのは、昨年5月の決算会見と燃費測定方法の不正を釈明した会見、6月の最高経営責任者(CEO)職を返上すると発表した会見、『トヨタ自動車』との提携交渉入りを表明した昨年10月の会見等、数回だけ。今年2月、スズキの最量販モデル『ワゴンR』の新型車発表会にも姿を見せなかった。“何か”を隠したいのか、昨年末以降は公の場に修会長が登場する機会は極端に減った。これが、“中小企業のおやじ”鈴木修の現状である。問題なのは、この“権力を持つ恍惚の人”の暴走を誰も止めることができないことだ。長男の俊宏氏ですらも、何に遠慮しているのか、親父を諌めることができない。それは社長になる前からで、今の今でも変わっていない。前述の反省文事件が、このことを象徴している。「(修会長は)自らの保身の為にも、死ぬまで実権を持ち続けようとするだろう」(前出のスズキ関係者)との声も聞こえてくる。修会長の豊田章一郎氏への相談に端を発したトヨタ自動車とスズキとの提携話だが、昨年10月の検討開始の発表から4ヵ月が経った今年2月、漸く「業務提携に向けた覚書を結んだ」との発表があっただけ。この覚書も「環境技術・安全技術・情報技術・商品&ユニット補完等に関して、協業の実現に向けた検討に入ることに合意した」だけで、何ら具体策は決まっていない。そこに、トヨタのスズキに対する慎重な姿勢が垣間見られるのではなかろうか。鈴木家内部のゴタゴタを整理し、当主に君臨し続け、めでたく嫡男にバトンタッチすることができた後でも、権力は手放さない。「スズキは大丈夫か?」という不安や疑問は、修会長が生きている限り拡大を続ける可能性が濃厚だ。


キャプチャ  2017年4月号掲載




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