【ふるさと納税が日本を滅ぼす】(07) 寄付は利己的であってもいい

20170522 03
ふるさと納税の予想外のブームを、日本人のお金というものに対する感覚から読み解いていくとどうなるでしょうか? 僕自身は、ふるさと納税は良い制度だと思っています。実質的には寄付であるにも拘わらず、豪華な返礼品がある。「寄付本来の姿から外れている」という意見もあるようですが、人間なんて抑々利己心の塊です。利己を満たすと同時に利他のことをできるのであれば、それで十分ではないか。寄付なんて考えたこともなかった人たちをその気にさせたのです。「寄付は清く正しいものでなければならない」という“寄付原理主義”に立つ必要はありません。例えば、アメリカには寄付文化が根付いていると言われ、確かに寄付総額で見ると、日本はアメリカの3%程度です。しかし、これはアメリカの税制度が整っていて、控除額が大きいからでもあって、税対策は本来利己的なことです。“寄付月間”をご存知ですか? 「1年に一度は寄付について考えよう」という趣旨で、2015年12月に始まったものです。12月を寄付月間としたのは、何となく財布の紐が緩む時期だからです。僕は推進委員を務め、昨年12月の2回目のキックオフイべントでは司会を務めました。イベントの中で、「寄付文化は日本でも数年前よりは広まってきたけれど、何故海外と比べて中々定着しないのか?」という疑問が出ました。僕だって正解なんてわかりません。そこで、会場の方々に向かって、「これからその理由として考えられる選択肢を5つ挙げますから、これだと思うものに手を挙げて下さい」と聞いてみました。1番が“文化の違い”、2番が“税制度の違い”、3番が“日本人はケチだ”、4番が“どのような効果があるかわからない”、5番が“抑々、寄付ということを知らない”。1番の文化や2番の税制度の違いがいつも指摘されますが、実はそうでもない。会場では1番も2番も案外、手が挙がりません。3番も幸い、挙がりませんでした。多かったのは4番と5番です。意外な結果でしたが、そうであれば、寄付について周知を図ると共に、その結果を積極的にフィードバックしていけば、日本にも寄付文化が定着する可能性があると言える訳です。

寄付と似て非なるものに、募金があります。募金は箱の中にお金を入れて、いってらっしゃい、頑張って、さようならで、その後のことは詮索しません。でも、寄付はキャッチボールです。寄付をした人は、それがどういう風に使われ、どのような効果があったかを知りたいと思っている。寄付された側は、寄付をした人にフィードバックする必要があるのです。でも、分厚いレポートを作っても、そんなものは誰も読みませんから、写真と共に「こんな笑顔が増えました」の1行でいいのかもしれません。僕の考える現代日本の最大の問題は、お金が流れないことです。投資にも勢いが無く、皆、必死にお金を抱えて離そうとしません。日本人はお金のこととなると「そんなはしたない」なんてポーズを取りますが、その実、お金そのもの、現金が大好きです。アメリカ人のように資産を株や不動産で持つのではなく、現金で持っている。1740兆円を超える個人金融資産の半分以上が現金・預金で、その意味では世界一のお金持ちです。投資に回しているのは20%以下なのです。政府が何とかお金の流れを作ろうと、お金の価値を意図的に下げているにも拘わらず、国民が保有する現金の残高は増える一方です。こうなったら現金税をかけるしかないのかもしれませんが、既に今の金融政策は現金税のようなものです。終末期ケア施設を運営している友人から、こんな話を聞きました。90歳を超えて施設に入っているお婆ちゃんが、銀行口座に数千万円のお金を持っているという。友人が「お婆ちゃん、そんな大金どうするの?」と聞いたら、「だって先生、将来が不安じゃないですか」と。笑い話のようですが、こういった話は案外、身近なところに転がっているかもしれません。日本人は何故、将来に漠然とした不安があるのでしょうか? 私が思うのは、「日本人は見えるものしか信じない」ということです。見えるものしか信じないし、見えるものにしかリスクがないと思っている。原発がそうだったように、リスクが顕在化しなければ気にも留めないけれど、見えた瞬間、大騒ぎを始める。現在から未来へという時間軸に弱いのかもしれません。60歳以上の世代は、高度成長の恩恵を受け、貯金もあれば年金制度にも支えられています。殊更に意識しなくても、世代としての蓄えがあります。問題は、今の40代から下の世代です。未来のことはわからないとしても、人口動態はある程度確実です。日本人の数は減るのです。今のやり方で持続できないのは明らかなのですから、自分たちの未来の為にお金を世の中に循環させなければなりません。上の世代の人たちも、自分たちはいいとして、自分たちの子や孫たちの世代が大変だということはわかっている筈です。自分の子や孫と限定して考えれば利己的ということになるのかもしれませんが、次世代を視野に入れた時、彼らへの投資は利他に繋がります。ただ、今後は変化が期待できるかもしれません。2020年以降、過去の成功体験を持っていない人たちの層が一番厚くなるのです。過去の成功体験はどうしても、新しいことにチャレンジできないという弊害にもなります。世の中はモノからコトへと大きく転換しています。今までのように人口が増えて、モノが増えて豊かになるというモデルは成り立たなくなります。でも、1人ひとりの日常生活においてコトを豊かにしていくことは可能です。人口が減ってAIが発達していくことを考えれば、多分、必然的に賃金は上がっていく。どんな仕事も最終的にはヒトが必要なのですから、悲観的になることはありません。人口が減るということは、1人ひとりの存在がもっと重要になるということなのです。更に、世界全体で見てみれば、未だ若く、成長していく地域はいくらでもあります。その成長を呼び込むような取り組みは、まだまだできる筈です。

気になるのは、日本ではお金の教育があまりされないことです。子供向けの投資教育等というものが行われたりもしているようですが、働くことの対価がお金であるという大事なところが、お金の教育の中から抜けているように思うのです。働くということは価値を作るということであり、お金はその価値創造に対する投資です。僕がアメリカにいたのは小学校から大学までですが、特別にお金や投資の教育を受けた記憶はありません。でも、子供の頃からレモネードをスタンドで作って売ったり、隣の家の芝生を刈ってアルバイト代を貰ったり、そういうことが普通にあったおかげで、家でテレビを見る代わりに、仕事をして価値を作ることによって対価を貰い、それでおやつを買うことができるという感覚が身に付いたような気がします。日本の場合、ある意味、子供を大事にしていて、子供を働かせるなんて余程のことがない限りありません。でも、逆にお年玉で物凄い大金を子供にあげたりしている。その結果、お金に対する正しい価値観を持たないまま、社会に出てしまう人が少なくないと思うのです。僕は、「未来の成長資金を循環させていくのが資本主義の原点だ」と思っています。例えば、僕たちは“銀行”と聞けば、それがどんなものかをイメージすることができますが、僕の高祖父の渋沢栄一が明治6(1873)年に日本で初めての銀行『第一国立銀行』を設立した当時、“銀行”という言葉を耳にしたことがある人はどこにもいませんでした。ベンチャーの1つに過ぎなかった銀行というものを当時の日本人に理解させる為に、渋沢栄一は銀行を次のように譬えました。お金に、人を利し、国を富ませる力があっても、銀行に集まってこないうちは、水溜まりの水やぽたぽた垂れる滴と変わらない。散らばっていたお金が銀行に集まれば、水位は少しずつ上がり、淵からちょろちきょろと流れ始める。その小さな流れは軈て大きな川になっていく――。即ち、“滴から大河へ”です。確かに、明治から大正・昭和と日本の経済発展は、国民のお金が銀行に集まり、それが大きな川となって産業を支えることによって成し遂げられました。大きな川は、現在から未来へと流れていたのです。金融とは、お金がある人とお金が無い人とを繋ぐものですが、ただ単にお金が欲しい人にお金を貸すのではありません。「お金が無いけれど、未来に向かって何かを成し遂げたい」という意欲と未来性が大事なのです。アフリカで元子供兵の社会復帰支援等の問題に取り組む『テラルネッサンス』というNPOを主宰する友人が、こんなことを言いました。「我々は微力であるかもしれませんが、決して無力ではありません」。無力は何回足し算しても掛け算してもゼロですが、微力なら足し算や掛け算を繰り返していくことで、いつか社会を変える勢力になることができるというのです。足し算や掛け算とは、具体的にどういうことでしょうか? 僕が考えたのは、共感・共助・共創という3つのキーワードです。共感が無ければ、散らばったものを1つに集めることはできません。そして、集まってきたものも、そのままでは強弱や長所と短所、得意不得意がありますから、お互いの不足しているところを補うことが必要になります。これが共助です。ここまでは足し算ですが、未来に向かって価値を創造すること=共創によって、一気に掛け算がなされます。これが渋沢栄一がイメージしていた資本主義というものではないかと、僕は思います。最近の資本主義は、資本家の権利・労働者の権利というように権利ばかりが強調されて、自分の権利を主張するうちに暴走が始まり、それが限度に達すると今度は政府が介入してきて、国家資本主義の様相を呈します。資本主義の王道を歩む人があまりに少ないと感じるのです。話がすっかり大きくなりました。でも、ふるさと納税も同じで、共感・共助・共創なのではないか。共感が無ければ寄付なんかしようとは思いません。お互いが不足しているものを補い、新たな価値を作り出すことができるのであれば、その為に美味しい牛肉を貰ったとしても、卑しいことでも何でもない。寄付は、持続的な成長を維持する為の長期投資です。日本人に欠けている未来への時間軸を意識して、お金をもっと循環させていくこと。ふるさと納税がその第一歩となることを願って止みません。 (『コモンズ投信株式会社』会長 渋澤健) =おわり

               ◇

ふるさと納税でいくら寄付できるかを、年収別に試算するサービスがインターネット上にあります。配偶者と子供のいる世帯で試すと、年収が500万円・1000万円・1500万円の場合、上限額の目安は其々、年4万円・15万6000円・35万3000円でした。年収200万円では0円。制度は使えません。地元自治体への納税額から他の自治体への寄付額を減らせる(控除)制度なので、高額納税者ほど多額の寄付ができるのです。そのこと自体はおかしくないのですが…。宮崎県都城市のような“還元率”7割の自治体に寄付すると、其々最大2万8000円・10万9200円・24万7100円相当の返礼品が、控除対象外の2000円の負担で手に入ります。寄付がお得な通販に化けるカラクリです。財務省の麻生太郎大臣の昨年の国会答弁によると、2人以上世帯の消費税の負担割合は、年収200万円以上250万円未満では6.4%(12万8000円~16万円)、1500万円以上では2%(30万円以上)です。高所得者がふるさと納税をフル活用すれば、消費税による負担増をかなり“取り戻せる”計算です。低所得者は使えないのですから、逆進性が潜んでいると言えるでしょう。地方支援という政策目的の為にどこまで許容できるか、納税者目線の議論も必要です。 (本誌編集長 齋藤孝光)


キャプチャ  2017年3月号掲載


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