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【クレディスイスはどこへ】(上) スイス、陰る金融立国

世界有数の金融機関である『クレディスイス』が今年3月、経営危機に陥り、スイス最大手の銀行『UBS』に救済合併されることが決まった。金融立国スイスの象徴とも言えるクレディスイス。その危機と救済劇を、スイスの人々はどう見ているのか。現地を取材すると、喪失感と共に複雑な感情が浮かんできた。



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スイス北部、チューリヒ。中央駅を降りると大きな緑の銅像が目に付く。街の英雄、アルフレッド・エッシャー像だ(※右画像)。欧州の中心部に位置するチューリヒは19世紀、繊維産業を中心に栄えた。だが、交通の便の悪さから陸の孤島のような状態だったという。エッシャーは鉄道網の開発に尽力し、1853年、現在のスイス国鉄の前身である『スイス北東鉄道』を創設した。鉄道の開発は多額の資金を必要とする。そこでエッシャーが設立したのが投資銀行、後のクレディスイスだった。駅前に聳え立つエッシャー像が見つめる約1㎞先に、チューリヒの金融街がある。クレディスイスやUBSが本店を構え、中小多くの銀行も拠点を置く。通りには『グッチ』や『プラダ』等高級ブランドが軒を連ね、その賑わいはエッシャーによる投資が実を結び、チューリヒが世界有数の金融センターに成長したことを物語る。そんな街の発展を牽引してきたクレディスイスは今年3月、167年の歴史に幕を下ろすことが決まった。引き金となったのは、アメリカ発の金融不安だった。アメリカ地銀の経営破綻で不祥事続きだったクレディスイスの経営にも懸念が高まり、株価が急落。クレディスイスは国際的規制で“グローバルなシステム上重要な銀行”の一つに指定されており、破綻すれば世界的な金融危機に発展する恐れがあった。スイスの金融当局は、市場の取引が休みの土日にUBSによる買収を纏め上げ、市場の不安沈静化を図った。「スイス国民にとってクレディスイスの消滅は、単なる一つの銀行の消滅ではない。スイスを象徴する歴史を失う悲しさがある」。『スイス金融博物館』のアンドレア・バイデマン館長は、そう話す。

アルプス等険しい山々に囲まれたスイスにとって、金融業は経済を支える柱の一つとなってきた。どの陣営にも与しない永世中立国という強みと口の堅さをモットーに、世界中の富裕層らの資産を受け入れて発展してきた。そんなスイスの金融業を代表する存在の一つがクレディスイスだった。ただ、バイデマン氏はこうも指摘する。「スイスの銀行は伝統的に大きなリスクを取らず、慎重な経営で今の地位を築いてきた。銀行員は控えめで堅実を美徳とし、それはスイスの国民性そのものだった。だが、クレディスイスはそんな伝統的な銀行経営から逸脱した。それに不満を持つ国民は多い」。実際、スイス国内でクレディスイスを見る目は冷ややかだ。クレディスイスのアクセル・レーマン会長は3月19日、UBSによる買収を発表した記者会見で、「アメリカで始まった出来事が最悪のタイミングで直撃した」と弁明した。だが、ザンクト・ガレン大学金融研究所のエコノミストであるシュテファン・レッゲ氏は、「金融不安は最後のとどめに過ぎない。これまでの経営の歪みがこの結果を招いた。スイスの銀行が積み重ねてきた名声、信用に傷を付けた罪は重い」と手厳しい。“経営の歪み”を招いたものとは何なのか。レッゲ氏は「アメリカ流経営を取り入れ、短期的な利益を目指すようになったこと」を要因に挙げる。スイスの金融業は、富裕層の資産管理を専門とする家族経営のプライベートバンクを中心に発達した。倒産の際には経営者が自らの財産を充てて損失を弁済する無限責任が原則で、株主ではなく顧客と向き合い、リスクを避け、堅実に利益を重ねる独特な経営スタイルで知られた。そんな業界で、株式会社として株主を重視し、常に高い利益を追求するアメリカ流の経営手法を導入したのがクレディスイスとUBSだった。クレディスイスは1978年、アメリカの有力な投資銀行『ファーストボストン』と提携。1988年には事実上買収し、投資部門に注力した。UBSも投資業務を拡大し、自らのヘッジファンドでリスクの高い投資に乗り出した。市場規模が小さいスイスを飛び出し、世界に進出した2行だったが、最初に躓いたのはUBSだった。アメリカの低所得層向け高金利住宅ローン『サブプライムローン』の問題に端を発した金融危機で、2008年に日本円で数兆円規模の巨額の評価損を計上。スイス政府が60億スイスフラン(※当時のレートで約5300億円)の公的資金を注入し、救済した。UBSは事業の抜本的見直しを迫られ、投資部門や市場部門を縮小し、富裕層向けの資産運用業務に回帰した。

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一方、クレディスイス(※左画像の右はクレディスイス本店)は自力で危機を乗り切った。だが、金融業界では「その時の傷が浅かったことが今回の危機の伏線になった」との見方が多い。クレディスイスはその後も投資銀行業務にのめり込んだ結果、2021年にアメリカの投資会社『アルケゴスキャピタルマネジメント』との取引で巨額の損失を計上し、業績が悪化した。昨年6月には、麻薬組織のマネーロンダリング(※資金洗浄)を阻止できなかったとしてスイス連邦刑事裁判所から有罪判決を受ける等不祥事も相次ぎ、信用力を落としていった。アメリカ流経営で、ハイリスク&ハイリターンの取引に突き進んだクレディスイス。「経営陣は、リスクの高い投資に失敗しても、自社の規模が大きい為、『最後は政府が救済してくれるだろう』と甘く考えていたのではないか」。ルツェルン大学スイス経済政策研究所のマルティン・モスラー財政政策部長は、そう指摘する。クレディスイスの総資産はスイスのGDPの約7割に相当し、“大き過ぎて潰せない”という状況が企業統治の緩みを齎したと見る。クレディスイスを買収したUBSは更に巨大になり、“大き過ぎて潰せない”どころか「スイス一国で救済できるレベルではなくなった」(モスラー氏)。合併後の従業員数はスイス国内だけで3万7000人を超え、事業と人員の整理が課題だ。現場では不安が高まる。スイスの銀行従業員で組織する『スイス銀行員組合』のナタリア・フェラーラ書記長は、「クレディスイス、UBS合わせて約1万人の削減が予想され、従業員は今、不安の中にいる。スイス経済はそれだけの雇用を吸収できない。年末までの人員削減を避けるよう、経営側への請願書を集めている」と語る。

だが、雇用への懸念とは裏腹に、スイス経済における金融業の位置付けは近年、変化している。スイス紙『ブリック』によると、スイスのGDPに占める銀行業の割合は、リーマンショックのあった2008年以前の約8%から5%に低下。代わって新たな成長の原動力となっているのが製薬、化学産業で、技術革新を背景に成長が続き、GDPに占める割合も6.3%と銀行業を超えた。前出のレッゲ氏は、「利益を生み出すことと、価値を創造することは異なる。巨大銀行の経営者達は、銀行そのものがどれだけの技術革新を達成し、価値を生み出したかを顧みるべきだ」と批判。「スイスの銀行は堅実な伝統に回帰する必要がある」と語る。地元の大企業の末路を、チューリヒ市民はどう見るのか。エッシャー像前の停留所で路面電車を待っていたIT企業研究職のアレックス・アンティスさん(30)は、「不祥事と経営の失敗を繰り返した経営陣に対する怒りはある」としつつも、「クレディスイスの興隆と衰退は、国際経済とスイス経済の変化を映し出した歴史の一コマに過ぎないのかもしれない」と冷ややかな口調で話した。スイス政府が主導したUBSによるクレディスイスの救済。欧州の経済学者やエコノミストは、今回の救済劇をどうみているのか。アムステルダム大学国際金融学部のエンリコ・ペロッティ教授は、「救済しなければクレディスイスは破綻していた。社債や株式全てが無価値になり、混乱の拡大で欧州や世界の金融システムが不安定になる恐れがあった」と指摘する。イギリスのシンクタンク『経済・ビジネスリサーチセンター(CEBR)』予測分析部門長のカイ・ノイフェルド氏も、「スイス政府が迅速に対応し、金融市場の混乱を抑えたことで、スイスの信用に対するダメージは最小限で済んだ」と評価する。一方、今回の救済劇では、クレディスイスが発行したAT1債と呼ばれる社債160億スイスフラン(※約2兆4500億円)分を、スイスの金融当局が無価値とする決定をし、損失を被った投資家の反発を呼んでいる。通常、企業が経営破綻した時には、社債より株式のほうが先に無価値となる。今回の場合、クレディスイスの株はUBS株と交換できる為、無価値にならず、社債であるAT1債が無価値となった。AT1債は金融機関が自己資本を充実させる為に発行するもので、利回りが高い代わりに経営危機の際には優先的に損失処理に充てられる特殊な社債だ。損失発生のリスクは織り込まれている筈だったが、実際にこれほどの規模で無価値になることは投資家も想像していなかったとみられる。前出のペロッティ教授は、「各国の規制当局がこれまで、投資家に損失を負担させる判断を回避してきた為、AT1債は“安全な債券”という認識が市場で広がった。スイス当局の今回の措置は、高利回りのAT1債が持つ機能とリスクを市場に改めて知らしめた点で評価できる」と話している。


キャプチャ  2023年5月24日付掲載
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