【新聞ビジネス大崩壊】(09) 早期退職と閉塞感…記者が新聞社を去る理由

長らく花形職種であった新聞記者だが、近年、その状況も一変している。ベテランは肩叩きで、中堅は見切りをつけ、多くの記者が他業界に転職している。記者たちの“第2の人生”を追った。 (取材・文/フリージャーナリスト・元新聞記者 安藤海南男)

20170523 14
嘗て、行政・立法・司法に次ぐ“第4の権力”とも形容されたマスコミ。その筆頭格として君臨してきた新聞業界が、岐路に立たされている。業界内での人材の流動化に拍車がかかり、業態に見切りをつけて人生の再出発を図る記者が続出しているのだ。大メディアの“傘”から抜け出した彼らは何を思い、何を目指すのか? 其々の人生模様を追った。「この年齢では再就職もままならない。かといって、会社に残っても今後のキャリアは望むべくもない…。迷った末に、第2の人生を歩むことにしました」。こう語るのは、首都圏近郊に住むA氏(52)だ。A氏は50代を目前にした3年前、20年以上籍を置いた某大手新聞社を辞めた。現役時代は地方支局で行政・警察取材を経験。東京本社に転じてからは、主に社会部の遊軍記者として活躍した。退職後は、これまでの経験を生かして、民間企業や政治家を対象とした広報戦略のアドバイザーとして活躍している。「私の場合は、経歴がちょっと特殊だったんです。というのも、元々記者職で新聞社に入った訳ではなく、営業局で10年以上働いた後に編集に移った。だから、広報のイロハもわかっていたし、人前でプレゼンする能力もありました。記者時代に培った人脈を頼って、何とかやっていますよ」。大組織から抜け出して、裸一貫での再出発の道を選んだA氏。安定したサラリーマン生活を捨てて、フリーランスとして生きていく決断を下したきっかけは何だったのか? 「正直、迷いはありました。ただ、50代手前の年を食った記者が今後、社内で厳しい立場に立たされるのも目に見えていた。特に、私のような生え抜きではない記者は尚更です。丁度、社内で早期退職者を募集していた時期で、『退職金が割増し支給される』と聞いて、『それなら』と…」。新聞業界全体に沈滞ムードが漂う中、A氏が所属する新聞社も、ご多分に漏れず深刻な財政難に陥っていた。とりわけ中高年社員の人件費高騰も重大な懸案事項になっていたといい、幹部候補から外れたべテランには容赦のない“肩叩き”が行われていたという。

「新聞記者の出世コースというのは大体、パターンが決まっている。有望株は、社会部なら警視庁担当や司法担当、政治部なら与党担当に配属されるのが相場です。そこで成果を出せば、キャップ→デスク→部長と上がっていく訳です。専門分野を持っていて現場に拘りがある人や、途中でラインを外れた人には、編集委員や論説委員のポストが用意される。ただ、望み通りの役職を得られるのは極々一部です。意に沿わない仕事をやらされて腐っていく人も少なくありませんよ」(同)。地方の支局を盥回しにされたり、子会社や関連会社への出向を命じられたり、何らかの原因でミソが付いた記者に与えられる選択肢は僅かだ。A氏が所属していた新聞社には、ラインから外れた記者が集まる吹きだまりのような部署もあったという。「うちの会社では、使えないベテラン社員は、読者からの苦情を受け付ける専門部署や、記事や写真の管理部門に回されるのが常道でした。数年前には、編集局とは別に、記事広告を扱う専門部署が新設され、そこもダメ記者の受け皿になっていました。追い出し部屋とまでは言いませんが、人事面での冷遇で追い詰めて、暗に退職を迫る会社の悪質な意図を感じました」。中高年社員の人件費高騰は、A氏が所属していた新聞社固有の問題ではない。最近では、業界2位の発行部数を誇る『朝日新聞社』が、2016年1月から2度目の早期退職制度の募集を開始し、大きな話題を呼んだ。「2010年、『45歳以上を対象に、年収の50%、最大10年分を毎年支払い続ける』という破格の条件で早期退職者を募集しましたが、今回は40歳以上を対象に、『退職金とは別に、年収の40%を最大10年分、一括支給する』というものです。早期退職者の間口を広げたのは、経営を圧迫する人件費の圧縮に本気で取り組み始めた証左と言えるでしょう」(朝日新聞OB)。ベテラン社員がこれまで積み上げてきたキャリアの見直しを迫られる一方で、現場の第一線で活躍する若手記者が会社に見切りをつけるケースも目立つ。入社10年目の節目に、ある大手新聞社を退職したB子さん(34)は、こう語る。「仕事も好きで、同僚たちとも仲良くやっていたんですが…」。東京都内の有名大学を卒業後、新聞社に入社。6年間の地方支局勤務を経て、30代になる直前に東京本社に上がった。上司との関係も良好で、社内での評価も高かった。一見、順調な記者生活を送っていたが、その心の奥では会社への不信感を募らせていた。「東京に上がってきてから、民間企業担当から突然、省庁担当に変えられる等、1年毎に担当をコロコロ変えられました。僅か半年で交代させられた時もあります」。担当替えを繰り返す度に、築いた人脈がその都度リセットされるのも悩みの種だったという。「『自分に問題があるのか?』と悩んで上司に相談しても、『お前には期待している』と言うばかり。そのうち、『結局、いいように使われているだけじゃないのか?』という思いが強くなってきましたね」。仕事を介して知り合ったNPO代表から誘われたのを機に、転職を決意。現在は地方都市の振興支援の仕事に携わっている。「年収は記者時代に比べて半減しましたが、プレッシャーも無いし、纏まった休みもある。精神的には楽ですね」。

4年前に大手紙の社会部記者からIT業界へ転身したC氏(33)は、「僕も記者時代の頻繁な担当替えにはうんざりした経験があります。メモ上げばっかりで、満足に原稿も書かせてもらえない。会社の業績がみるみる悪化した時でもあったので、将来への不安があったのも確かですが、硬直化した人事制度に見切りをつけたという面もあります」と振り返る。多くの新聞社では、彼らのような働き盛りの中堅社員の離脱が相次いでいるという。特にその流れが加速したのが、2008年のリーマンショック以降だ。若年層の“新聞離れ”による部数の落ち込みに加え、広告収入の激減が新聞社の経営を直撃。「新聞社の将来を悲観した若手記者が次々と取材現場を離れた」(業界関係者)というのだ。ただ、一般企業とは隔絶した特殊な職場環境に身を置く記者たちは、転職戦線で苦戦を強いられる。「『記者は潰しが効かない』とよく言われていましたが、自分がその立場に置かれて、改めてその言葉の意味を痛感しました」。4年前、大手紙から地元の地方紙に転じたD氏(40)は、こう振り返る。「転職活動を始めて、記者が如何に特殊な職業かわかりましたよ。一般企業では当たり前のパワーポイントも使えないし、一般的な商慣習にも馴染みが無い。色んな業界にアプローチをしましたが、結局、地元に帰ってもう一度記者稼業をするしかなかった」。これまで記者の定番の転職先となっていたのが、官公庁や学校の職員・企業広報・PR会社・インターネットメディア等だ。ただ、一般企業の社員の平均年収よりも割高な給与を手にしていた新聞社OBが、転職先で従来の生活水準を維持できる例は限られる。前出のA氏は言う。「新聞社の社員は、自分がサラリーマンであるという意識が希薄な面がある気がします。これまで付き合いのあった人でも、名刺から会社の名前が消えた途端に対応ががらりと変わる。そうなった時に初めて、自分が組織に守られていたことに気付く訳です。新聞社を離れてやっていけるかどうかは、現役時代に社外でどれだけ密な人間関係を築けるかにかかっていると言えます」。2014年9月、朝日新聞は、その年の5月に報じた『東京電力』福島第1原発事故に纏わる吉田調書記事と、過去の従軍慰安婦報道の一部を訂正する謝罪会見を行った。ライバルの読売新聞や産経新聞は、朝日の報道姿勢を厳しく追及する論陣を張ったが、この“朝日ショック”は新聞業界全体への打撃ともなったという。朝日の失態に便乗し、部数増を画策して拡張キャンペーンを展開した読売は逆に部数を落とす結果となったが、同時に他社の対応も含めて、朝日の問題が新聞業界全体の信頼失墜に繋がった面は否めない。「この問題以降、朝日の報道姿勢は明らかに変わりましたね。政権批判は鳴りを潜め、記者クラブの発表ものに毛が生えたような当たり障りのない記事が、紙面を埋めるようになった。こうした“事無かれ主義”が、業界全体に広がっているんです」(前出の業界関係者)。強まる同調圧力と閉塞感――。業界全体に漂う重苦しい“空気”が、新聞社からの人材流出という現象となって現れているのか。何れにしても、“メディアの巨人”が曲がり角に立たされているのは間違いない。


キャプチャ  キャプチャ

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

【送料無料】新輝合成/新聞ストッカー/OT−988−215−0
価格:1166円(税込、送料無料) (2017/5/23時点)




スポンサーサイト

テーマ : テレビ・マスコミ・報道の問題
ジャンル : ニュース

轮廓

George Clooney

Author:George Clooney

最新文章
档案
分类
计数器
排名

FC2Blog Ranking

广告
搜索
RSS链接
链接
QR码
QR