全てを知る“文通相手”が見た死の2日前の素顔…岡田有希子自殺、31年目の新証言

1986年4月8日、所属事務所『サンミュージック』の屋上から飛び降り、若干18歳でこの世を去った伝説のアイドル・岡田有希子。死の直前、彼女に一体何があったのか? デビュー前から彼女を知る人物が、その真相を告白した。 (取材・文/フリージャーナリスト 石川正雄)

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岡田有希子。その名前は、40代以上の読者ならアイドルオタクでなくても知っているだろう。華々しくデビューを飾った後は、歌手として、役者としての活躍ぶりも印象的で、それだけに、“18歳のトップアイドルが自殺”という報道は、世間に大きな衝撃を齎した。全国で後追い自殺が相次ぎ、“ユッコシンドローム”と呼ばれる社会問題に発展。当時の国会でも対策が議論されたほどである。自殺の原因についても、ドラマ『禁じられたマリコ』(TBSテレビ系)で共演した峰岸徹との恋愛の縺れからという見方・妊娠説・他殺説等、様々な説が飛び交った。しかし、遺書と呼べるほどのものは残っておらず、具体的な相談を受けた者もいない。2000年には、当時のチーフマネージャーが同じビルのトイレで首吊り自殺、峰岸も2008年に亡くなっている為、依然、真相は闇の中だ。死後30年が過ぎた今となっては、流石にもう新しい情報は出てこないだろう――。そう思っていた矢先、芸能関係者・ファン・同級生とはちょっと違う形で、岡田と関わっていた男性の存在が浮かび上がった。名古屋市在住のM氏は岡田と同い年で、彼女とは何度か会っている他、手紙のやり取りもしていたという。「佳代さん(※岡田有希子の本名)と初めて会ったのは、デビューするかしないかという頃で、未だ名古屋の高校に通っていた時でした。私の母と彼女のお母さんが友人だった為、母から紹介されたんです。『同い年だから話が合うのでは』ということでしょう」。当時、M氏は他県の全寮制の高校に進学していたとのことで、会えたのも数回という。M氏は当時、どんな会話をしたのか? 印象に残っているのは、共通した“絵”という趣味についての話題。岡田がアイドルデビュー後も絵描きとなる夢を持ち続けていたことは、ファンにとって有名だが、彼も幼少時に色鉛筆で描いた絵を褒められて嬉しかったことを話して、共感を得たという。「彼女は学校の成績も優秀で、芸能界で活躍するアイドル。僕にとっては雲の上の存在にも拘わらず、そんな感覚は全く感じさせない、普通の高校生同士という対等な立場で接してくれました。クラスにいる友だちのような関係でしょうか」。

岡田は、アイドルとして本格デビューした後は、東京の『堀越学園』に転校。M氏が彼女と会えるのは、コンサートやキャンペーンで名古屋に帰る時だ。その時も気さくな感じで接してくれたという。M氏が岡田から貰った手紙を見せてくれた。「学kun 金山のコトよく知ってますNe もしかしたら、どっかですれちがっていたかもしれませんね♡ 何か不思議な気分…ネ、そう思いませんか?」(※最初の手紙より抜粋)。岡田直筆の3通の手紙を時系列に並べてみると、歌手デビュー直後の最初の手紙には親密さが感じられるが、その後の手紙は文章が短く、そっけなくなっている。多忙な芸能活動が続くにつれ、一友人への手紙をゆっくり書いていられないのだろう。アイドル全盛期だった当時、今のブラック企業以上に過酷だったというから、それは任方のないことだ。ただ、一緒に添えられていた彼女の母親からの手紙を読むと、少し見え方が変わってくる。「前略ご免下さい お約束致しましたのに 遅くなって 申し訳ございませんでした 何か 疲れてしまい ついつい遅れてしまいましたこと 何とお詫びしてよいかわかりません【中略】正直いって 芸能界でやっていけるかどうか 親として心配でございました 出来ることなら 高校で普通の生活をして欲しかったのですけど 自分の意志を貫いたこと 我が子ながら立派だと思います【中略】佳代にもう少ししっかりした手紙を書いてほしかったのですけど 頼みこんでの手紙がこれでございます 疲れているのだと思います 家では何もさせずに ぼんやりと過ごさせてやりとうございます【後略】」(※岡田の母親からの手紙より抜粋)。手紙は、岡田が自殺する1年ほど前のものだという。母親がM氏の応援に対し、娘に代わって感謝を述べる文章ではあるが、母娘共に“疲れている”という表現からは、単なる過密スケジュールによる肉体的な疲労だけでなく、精神的な疲れも窺える。岡田の母親は、娘が自殺する前から、何か彼女の悩みを共有していた、或いは相談は受けておらずとも察していて、一緒に悩んでいたのではないだろうか? 例えば、所属事務所であるサンミュージックと岡田の関係。「自殺の前から既にかなり険悪なものになっていた」とする説がある。岡田がサンミュージックのビルから飛び降りたのも、「事務所への反抗心が極まった為だ」という見方だ。ただ、母親は死後に出版された遺稿集『愛をください』(朝日出版社)に手記を寄せ、週刊誌のロングインタビューにも答えているが、岡田の自殺の原因についてははっきり語っていない。その母親も、岡田の死から数年後に他界している。1986年4月6日、死の2日前。名古屋でコンサートを終えた岡田とM氏は、直後に楽屋で会ったという。その時の写真も残っている。「数ヵ月ぶりに彼女に会った印象は、化粧の濃さが気になりました。僕が『おしろい濃いね』と茶化すと、『また冗談ばかり言って~!』とポンと叩いてきたのです。よく考えたら、ステージの時は化粧が濃くなるというし、佳代さんの接し方も少しも変わらなかった。『今度、豊橋に来るけど来れそう?』『行くね』という約束もしましたので、正直、2日後に自殺する人には見えませんでした。楽屋には、その後自殺した溝口さん(※当時のマネージャー)もいたし、色々噂のあった専務もいたし、社長もいたんじゃないかな。事務所と不仲だったという点は、その時の印象では感じられなかったのですが…」。

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M氏に接する態度からは、自殺の兆候はわからなかった。だからM氏も、死因が飛び降り自殺だったということに疑念を抱く。「僕は、彼女が飛び降りたサンミュージックのビルにも行って、現場を確認してきました。『付き人が目を離した隙に屋上まで駆け上がって飛び降りた』ということですが、柵の間隔からして、スカートを穿いた女性が簡単に飛び越えられるようなものではありません。当時の関係者の証言も矛盾が窺えるし。どうしても、“窓から突き落とされた”というのが一番しっくりくるのです。狂言自殺をしてまで事務所に反抗しようとした佳代さんを、口封じの為の最終手段に出たという説です」。若しそれが真実なら、母親の手紙の中に押し殺された悩みも、「事務所との対立に悩む娘に対して、何も助けてやれないことに心を痛めていた」という構図が見えてくる。「付き人だったYという女性のことも不審ですね。当時20代ぐらい、少しぽっちゃり体型の人でした。一緒に買物に行ったりとか、いつも佳代さんの近くにいたので、悩み等は把握していなきゃおかしい。最も真実を知っていそうなのに、その後、報道等に全く名前が挙がらないというのも不思議です」。Yという付き人はサブマネージャーのような存在で、M氏ら友人が岡田に会う際、いつも近くで目を光らせていたという。M氏曰く、Yの態度は終始、そっけない印象だった。「Yは今、一体どこで何をやっているのでしょうか? 探し出して言ってやりたいです。『あんた、僕を知っていますよね?』と。岡田の墓は、愛知県愛西市の成満寺にある。命日である4月8日を前に、M氏と共に墓参りに出かけた。彼女の墓がどこにあるかは直ぐにわかった。本人が書いた詩が刻まれた石碑があることもその理由だが、墓の前に献花が溢れ、まるで花畑のようになっている為だ。我々が帰るまで僅か15分の間に、3組のファンと出会った。「群馬から初めて来ました」という女性は、当時、中学3年生。憧れたアイドルの死はかなりの衝撃だったというが、それでも死後、こんなに愛され続けるものだろうか? それに対し、M氏も一言付け加えた。「この母娘と出逢って、あっという間に2人ともいなくなりましたが、多感なあの時期に僕の人生の中で関わりあってくれたことは、本当に感謝しています」。“感謝される人徳”と“自殺という行為”のイメージが、何とも相容れない。やはり、自殺ではなかったのでは?――今も尚、そう思わせるミステリアスなべールに包まれたまま、岡田有希子の死よりまもなく31年が経つ。 《敬称略》


キャプチャ  2017年5月号掲載
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