【Deep Insight】(16) 巨熊ロシア、暴れさせぬ策

前半生の大半をロシア(ソビエト連邦)のスパイ機関で過ごしたウラジーミル・プーチン大統領。相手に警戒を解かず、本心を明かさない人物として知られる。彼にとって、安倍晋三首相は主要国の首脳の中でも、数少ない友人の1人だ。そんなプーチン大統領は昨日、通算17回目となる会談の為、モスクワに安倍首相を迎えた。「両者は互いの考えを知り尽くし、本音で語り合える仲だ」(首相周辺)。ところが、舞台裏に光を当てると、プーチン政権の態度は寧ろ、日本に対して刺々しくなっている。原因は日本自身というより、強まるアメリカへの警戒心にある。先月下旬に来日したセルゲイ・ラブロフ外務大臣とセルゲイ・ショイグ国防大臣は、日本がアメリカと進めているミサイル防衛協力に、こう不満をぶつけたという。「アメリカ主導のミサイル防衛網によって、ロシアは包囲されている。西はポーランドとルーマニア、東側は日本と韓国だ。このままでは、我が国の核抑止力が傷付いてしまうではないか」。日本のミサイル防衛網は北朝鮮を睨んだものであって、ロシアを狙っている訳ではない。ロシアはそれでも、「自分たちの封じ込めに利用される」と疑っている。日露関係筋によると、プーチン大統領の懐刀であるロシア安全保障会議のニコライ・パトルシェフ書記は、昨年11月に訪露した国家安全保障局の谷内正太郎局長に、こうも迫った。「在日アメリカ軍のミサイル防衛システムのレーダーは、ロシアにも向けることができる。『そうじゃない』と日本は言うが、アメリカ軍のシステムを制御できるのか? できない筈だ」。米露が対立を深めたのは、ロシアによる2014年のクリミア併合がきっかけだ。親露的なドナルド・トランプ大統領の就任で雪解けするかにみえたが、アメリカ軍のシリア空爆にロシアが猛反発し、「過去最低の状態」(トランプ大統領)に冷えた。ロシアは、アメリカと同盟を結ぶヨーロッパ諸国にも軍事挑発を強める。日米のミサイル防衛協力を敵視するのも同じ流れだ。ロシアは世界最大の国土を持ち、強大な核戦力も抱える。本気で暴れたら、世界は混乱してしまう。彼らと、どうつき合ったらよいのか? その手掛かりは、何故そこまで彼らがアメリカに疑心暗鬼を募らせるのかを考えることにある。日米欧の専門家らによると、ロシアはアメリカに限らず、「いつも敵対国に包囲されている」との強迫観念を抱き続けているという。それは、歴史に根差したトラウマだ。ロシアは13世紀から約240年間、モンゴル人の支配を受けた。19世紀にはナポレオン軍、第2次世界大戦ではナチスドイツに攻め込まれた。米ソ冷戦では西側諸国に封じ込められ、1991年に旧ソ連は崩壊した。そして今、『北大西洋条約機構(NATO)』と日米同盟を足場にして、アメリカが再びロシアを包囲しようとしている――。プーチン大統領はそう考え、激しく押し返そうとしているという訳だ。

ロシアは時に熊に譬えられる。体が大きく、警戒心が強い。普段は大人しいが、縄張りを侵されると牙を剥き、凶暴になる。そんなロシアに対応する選択肢は3つに分かれる。

【路線①封じ込める】外交や軍事圧力を使い、東欧等に挑発を強めたり、縄張りを広げたりできないよう、厳しく対抗する。アメリカの議会保守派や国防総省で聞かれる戦略だ。
【路線②融和策で友人になる】首脳間の交流や経済交流を深め、友好的パートナーになろうとする。安倍路線はこれに通じる。
【路線③信用せず、つき合う】「友好的パートナーになる」との期待は抱かず、強い警戒心を絶やさない。但し、追い詰めることもせず、必要な協力は保つ。「今のドイツがこれに近い」(ヨーロッパ外交筋)。

何れも短所がある。封じ込め路線を突き進めば米露冷戦が再燃し、ロシアは更に凶暴になるだろう。ヨーロッパでのロシア軍による挑発の現状は、「冷戦後、最大の規模」(イギリスの軍事専門家)。シリアや北朝鮮問題での協力も難しくなる。かといって、融和路線も限界がある。安倍政権は経済協力を提示しているが、ロシアは北方領土での軍拡を止めようとしない。抑々、強権国が自由や“法の支配”という民主主義の価値を共有するパートナーになれるのか、疑問だ。だとすれば、一番現実的なのが③の中間路線だ。実は、ロシアの危なさを最もよく知り、この政策を忠実に実行しているのが中国である。「ロシアとは長い国境を接している。両国は今は友好国だが、いつまで続くのかわからない」。中国当局者は、こう打ち明ける。1960年代末に中露は戦火も交えた。両国は蜜月を強調しながらも、胸の内では決して警戒を解かず、付き合っている。そんな中国とロシアが強かに連携し、既存の国際秩序を崩しにかかるような展開は阻まなければならない。中露に楔を打つには、日米欧が足並みを揃え、中国よりも巧みに、融和策でも封じ込めでもない、現実的な対露戦略を再構築する必要がある。人気スパイ映画の『007シリーズ』で、主人公の所属機関として描かれる『イギリス秘密情報部』(通称“MI6”)。2年半前までそのトップを務めたジョン・サワーズ前長官も、そんな外交を提唱する。「ロシアは危ないと思えば、寧ろ危険な行動に出かねない。とはいえ、(融和策が)行き過ぎるのも危険だ」。彼は長官当時、ロシアによるクリミア併合危機に対処した。そんな経験に裏打ちされた現実論だけに、重みがある。 (本社コメンテーター 秋田浩之)


⦿日本経済新聞 2017年4月28日付掲載⦿
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