【男たちの貧困】(01) 借金・自殺未遂・海外逃亡…元IWGP王者レスラーの安田忠夫をバンコクで直撃!

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「貯金? 生まれてこのかた、したことないよ。していたら、こんな風になってないでしょ」――。そう言って大きな体を揺すったのは、元プロレスラーの安田忠夫(53)だ。2001年の大晦日の格闘技興行『INOKI BOM-BA-YE 2001』で、『K-1』の猛者ことジェロム・レ・バンナを総合格闘技ルールで撃破し、愛娘をリング上で肩車する姿をご記憶の読者も多かろう。あれから15年、安田はバンコクにいた。「今は日本料理居酒屋の雇われ店長をしていてね。でも、タイ人から見りゃ俺は所詮外国人じゃん? だから毎日、タイ人の女性従業員に苛められてさ。休みは週1日。タイは物価が安いというけど、俺、現地採用みたいなもんだから、給料も現地価格で安いんだ。全然意味ないよな」。果たして何故、安田はそこまで堕ちてしまったのか? 貧困へと繋がる、その流転の人生を振り返ってもらった。大相撲の力士だった安田は、1990年7月場所で小結に昇進するも、生来のギャンブル好きが祟って廃業。非合法の野球賭博等で、知り合いの力士への当時の借金が約2600万円まで膨らんでいたという。1993年に『新日本プロレス』に入団し、翌年2月にデビュー。“どん底に堕ちた男の裸一貫からのスタート”と、当時は話題になった。「実際ね、新日本入って直ぐの時は、ギャンブルは殆どしなかった。というのは、嫁が新日本からの給料を管理していたからさ。そこから小遣いだけ貰う生活で。お金が無けりゃ賭け事はできないだろ? ところがさ、俺が家にあった何かのお金を持ち出して、ギャンブルに遣っちゃったんだよ。そしたら嫁が激怒して、そこからは別居状態。新日本に入って未だ数ヵ月しか経っていなかったんだけどね。給料は俺のところに振り込まれるし、俺も家族がいなきゃ暇だから、またどんどんギャンブルにのめり込んでいった感じだね。嫁は看護師をやっていたし、稼ぎもあった。いつ離婚したかは覚えていないけど、それは必然だったんじゃないかな。そこから、俺は大田区の木造の2階建てアパートを借りて。家賃は7万円くらいだったかな。当時の新日本での稼ぎ? 毎月100万円から150万円は貰っていたよ。でも俺、そのお金はできるだけギャンブルに遣いたかったから、家賃は兎に角安いところにしたんだよ(苦笑)」。

2001年、総合格闘技人気の高まりにより、安田も“猪木軍”の一員として『PRIDE』に参戦。同年の時点で、年収は約2000万円あったという。そして大晦日にTBSテレビ系で放送されたバンナ戦で、“1億の負債を持つ借金王”として煽られながらも、劇的な勝利を果たし、全国的にブレイク。翌2002年2月には、新日本プロレスでIWGPヘビー級王座も獲得。一躍、時の人となった。「俺の場合、PRIDEはワンマッチ500万円だった。だけど、それは後から知ったことでね。実際に入ってきたお金は250万円。猪木さんが半分中抜きしていたんだよ。まぁ、お世話になったし、飯もよく食わしてもらっていたから、特に恨みも無いよ。でもまぁ、ギャンブルはよくやったね。競馬・競輪・競艇は勿論、裏カジノでポーカーゲームもやった。ルーレットもあったけれど、確率が36分の1で、俺は好きじゃなかったな。借金も膨らんで、当時の額は3000万円くらいだった。借用書? 無い。全部、個人的な知り合いから借りたものだったからね。新日本の選手から借りたのも、吉江(豊)くらいじゃなかったかな? ただ、大晦日のバンナ戦の時は、3000万円くらいの借金だとインパクトが弱いから、思い切って借金の額を『1億!』って言ったんだよ。『それくらいじゃないと夢が無いかな?』って(苦笑)」。以降、2004年までは猪木軍や新日本の主力であった安田だったが、同年6月に雲行きが怪しくなってくる。新日本の社長が、藤波辰爾から草間政一に代わったのだ。「それまでも、寝坊とかの試合への遅刻で給与のカットとかはあったんだよ。だけど、本格的にやばくなったのは草間が社長になってから。年俸制でなくワンマッチ契約になったんだよ。そうすると、定期的収入は無い。試合毎の契約と聞いても、試合に呼ばれない。それじゃあ無収入だよな。結局、翌年の1月に新日本を解雇されたんだよね。草間を恨む気も無いよ。結局、会社的にも俺がいらない感じになっていたんだろうな。解雇された年の5月からはIWAジャパンってインディー団体に上がったんだけど、そこがワンマッチ5万円。月に2~3試合だから生活できないよな。でも、中には1試合5000円でやっている若手選手もいるって聞いてさぁ。出てみたら本当に客も少なくて。逆に、『5万円も貰っていいのかな?』って気になったよ。次に猪木さん率いるIGFに上がったんだけど、こっちはワンマッチで50万円から100万円貰っていた。ところが、2~3ヵ月に1回しか試合がないんだ。ハッスルってリングにも上がっていて、こっちも給料は悪くなかった。『お金あるじゃないか』って? 違うんだよ。東京スポーツの記者が俺を的確に表現していたな。『安田さんは10万円貰っても100万円貰っても一緒。あればあるだけギャンブルに遣っちゃうから、結局は同じ』だって。その通りなんだよ。俺の前では、お金は無くなるだけだったんだ。2007年になると、どの団体からも試合に呼ばれなくなって、収入が途絶えた。無銭飲食も2回くらいやったよ。あの、電話がかかってきたフリをして店を出て行くやつ。場所? ファミレスだったかな。勿論、家賃も滞納していた。その年の10月だったな。例の事件を起こしたのは…」。2007年10月4日、安田はアパートの自室で練炭を焚いたまま昏睡状態にあったところを、関係者に救われた。こちらは、焼き肉の雰囲気を楽しもうとした“エア焼肉事件”として知られるが、自殺を試みたことは明らかであった。事実、決行直前には、複数の関係者に死を仄めかすメールを送 っている。

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「俺、睡眠薬もやっていてね。でも、それは随分昔からで、バンナ戦の頃から。エア焼肉まで足掛け6年になるね。どう考えても精神に作用するようなヤバめの薬も、中にはあったな。練炭は、実は何日も前から用意はしてあったんだよ。『こんな生活したくないな』って思いながら生活していて、『いつ死んでもいいかな』みたいな。でも、実行はできなかった。それが偶々、あの日はそういう風になっちゃったみたいな。きっかけ? 何かの拍子というしかないな。勿論、助かったことも含めてね…」。その後の安田は、リングに重きを置かず、職を転々。2008年の初めには猪木の紹介でパチンコ屋に勤め、同年秋から2010年夏までは旧知のレスラーである石澤常光(ケンドー・カシン)が営む青森の養豚場で働いた。2011年2月にプロレスを引退後(※引退試合の相手は天龍源一郎)、その勤務先は次第に夜の街へ。2012年以降は、錦糸町のインターナショナルクラブ『ロシアンルーレット』、新宿の『新宿テコキジェンヌ』・『エロティックマッサージ新宿』等で店長や従業員を務める姿が目撃された。「うん、それでどうにもならなくなって、2014年からバンコクに渡って。まぁ、一時期、日本には戻って来ていたけどね。バンコクは谷川(貞治・元K-1プロデューサー)さんの紹介だったんだけど、何ていうか、その谷川さんが紹介してくれた人に騙されてね…。詳しく聞きたい? 止めようよ。狭い世界だよ? 要するに、バンコクの日本人コミュニティーの人に騙されたということ。日本人が日本人を騙すのなんて、バンコクでは普通。タイなんか来ている人はいい加減だし、いい加減だから俺がいられるのかもしれないけど…。結局、こっちの女店員に苛められて、細々とやっていくしかないのかな。最初は、『ここをきっかけに一旗上げたい』とか思っていたんだ。でも、飲食業で成功するのはきついよ。お金が無いから、ギャンブルも全くできない。日本に帰っても仕事無いし、バンコクにいるほうがマシだと思ってるよ。中途半端に街中で『安田さんですよね?』とか言われるのが、凄く嫌なんだよね。バンコクだったら、せめてそういうことだけはない訳だから…」。 (取材・文/フリーライター 峰尾宗明)


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