【誰の味方でもありません】(04) 間違いが少なかったから東大に入れた

テレビの収録で会った東大生が、こんなことを言っていた。「東大生というのは、間違えてこなかった人。人生に間違いが少なかったから東大に入れた」。この時代に東大に入ることが本当に“間違いじゃない”と胸を張って言えるのかと突っ込みたかったが、確かに日本のエリートには失敗を経験していない人が沢山いる。学校のテストでは満点ばかり。受験も難なくクリア。卒業後は大企業に入社したり、国家公務員になっていく。失敗の無い人生――。一見すると、非常に素晴らしい。誰だって失敗なんてしたくないからね。だけど、ちょっと考えると、それが非常に危うい思考法だということがわかる。何故なら、生きる為に必要なルールというのは、時間が経てば変わってしまうからだ。例えば、インターネットの普及で記憶力の価値は著しく落ちた。応仁の乱の顚末から神楽坂の名店の電話番号まで、殆どのことは検索すればわかってしまう。大昔の人は電話番号を数十も暗記していたらしいが、今では自分の番号さえ知らない人も多い。ある時代の正解は、別の時代では間違いともなる。例えば、“大企業の正社員になれば安心”という昭和型の発想。昭和の花形企業だった筈の『東京電力』も『東芝』も『シャープ』も、あんなことになってしまった。『新潮社』も昔は学生に人気の企業だったらしい。

今では企業側も、自分たちの先行きに不安を感じているのか、何の失敗もしてこなかった人よりも、失敗を繰り返しながら様々な状況に対応できる人材を求めている。最近、『フジテレビ』のドラマが不調な理由の1つも、制作陣のトライ&エラーの少なさにあると思う。ドラマのプロデューサーは、挑戦できる機会が兎に角少ない。1人のプロデューサーが担当できる作品は年に1本程度だ。それにも拘わらず、1回でも企画が失敗したら“できない人扱い”されてしまう。これでは中々、優秀な作り手は育たない。一方で、漫画原作のドラマや映画が兎に角多いのも、場数が関係していると思う。漫画編集者は、新入社員時代から何十人もの作家を担当し、膨大なトライ&エラーを繰り返す。数を熟すということは、一般に思われているよりも遥かに大事なことなのだろう。実際、ヒットメーカーには多作な人が多い。音楽の秋元康も、小説の東野圭吾も、映画の川村元気も、その名前を1年の内に何度も見ている。抑々、名作だけを生み出した大家はいない。どんな作家にも絶対に駄作は存在する。尤も、どんな駄作でも崇めてくれる一定のファンを獲得してしまえば、名作ばかりに見えてしまうことはあるけれど。そして、このエッセイ。今回の内容が“つまらない”と思った人も、これからのトライ&エラーの中で素晴らしい回もあるかもしれないので、期待しておいてほしい。


古市憲寿(ふるいち・のりとし) 社会学者。1985年、東京都生まれ。東京大学大学院博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。著書に『希望難民ご一行様 ピースボートと“承認の共同体”幻想』(光文社新書)・『絶望の国の幸福な若者たち』『誰も戦争を教えてくれなかった』(共に講談社)等。


キャプチャ  2017年6月1日号掲載
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