【寝言は寝て言え!】(05) ダニエル・K・イノウエ空港にて

ゴールデンウィークを利用して海外へ行かれた方も多いでしょうが、僕はGWが明けてからハワイへ行きました。この時期は航空券も安くなりますし、休みが取れるのであれば絶好の機会です。2度目のハワイ。ビーチで水着美女を横目に思いっきり遊んで…とはならず、今回は観光というより勉強がメインでした。空港に着いて集合時間までは少しあったので、ベンチに座っていると、空港で働いていると思われる日本人女性から「若しかして動画に出ていませんか?」と声をかけられます。どうやら、僕の動画を夫婦で見てくれていたようです。まさか海外で声をかけられるとは…。驚きと共に、「あまり海外でもハメを外せないな」と自分を改めて戒めました。そういえば最近、『ホノルル国際空港』の名前が『ダニエル・K・イノウエ空港』へと改められました。ダニエル・イノウエ氏は、名前の通りの日系人で、ハワイに生まれ、医学を志し、勉学に励んでいましたが、1941年12月8日、日本による真珠湾攻撃により、状況が変化します。アメリカ本土で日系人は隔離され、強制収容されることになりました。ハワイも例外ではありません。しかしハワイの場合、日系人の比率が高かったので、全員を収容すると経済が成り立たなくなります。そこで、日系移民の1世や2世等、指導的立場の人たちが主に収容されました。

日系人への偏見が高まり、社会的地位が変化する中、アメリカへの忠誠を示す為に、日系人は軍隊へ志願するのです。排斥されていた日系人がアメリカに忠誠を示すには、命を賭けるしかありませんでした。何とも悲しい時代です…。イノウエ氏も軍へ志願し、『第442連隊戦闘団』という殆どが日系アメリカ人で構成される部隊に配属される訳ですが、これがまぁ~過酷なところに送り出されます。彼らはヨーロッパ戦線で勇敢に戦い、多くの勲章を得ることになりました。イノウエ氏も戦闘によって右腕を失います。軍隊に志願し、命を賭しての活躍によって、戦争後の日系人の地位は徐々に向上することになります。戦傷したイノウエ氏は医学の道を諦め、大学で政治学を専攻し、1962年、日系人としては初めて連邦上院議員に選出されました。その後、9期務め、上院仮議長まで登り詰めます。2012年に88歳で亡くなりますが、当時のバラク・オバマ大統領は「真の英雄を失った」と声明を発表。安倍総理も2015年4月のアメリカ議会演説で、「日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした」とイノウエ氏を讃えています。2つの祖国と時代に翻弄されながら、アメリカにおける日系人の地位向上に多大な功績を残したダニエル・イノウエ氏。彼の名前を冠する重要な建築物の候補は幾つかあったようですが、ハワイ州下院議員は「あのレベルの権威に相応しいのは空港ということになった」と地元メディアに語ったといいます。彼の名誉は、空港の名前として長らく語り継がれていくことでしょう。


KAZUYA YouTuber。1988年、北海道生まれ。2012年、『YouTube』に『KAZUYA Channel』を開設。著書に『日本一わかりやすい保守の本』(青林堂)・『バカの国 国民がバカだと国家もバカになる』(アイバス出版)等。近著に『日本人が知っておくべき“日本国憲法”の話』(ベストセラーズ)。


キャプチャ  2017年6月8日号掲載
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