【ヘンな食べ物】(40) 世界一くさいパーティ

“世界で一番臭い食品”で名高いスウェーデンのニシンの発酵食品『シュールストレミング』。現地在住の友人が一時帰国の際にお土産でくれたのだが、「あまりに臭いので屋内では食べられない」と聞いた。かといって、車も持っていない私には、屋外のどこで食べればいいかわからず、そのままベランダに放置。1年以上経った最近気付くと、平べったかった缶詰は何とパンパンに膨らんでいた。“要冷蔵”なのに常温で放置していた為、内部で発酵が進んでしまったらしい。「危ない、もうすぐ爆発する!」。慌てて試食会を催すことにした。場所は、荒川沿いに住む友人のマンションのバーベキュー場。参加者は私、飼い犬のマド、その他友だち5名。シュールストレミングは、缶詰を開ける時に汁がドバッと飛散する。1滴でも衣服に付くといくら洗っても臭いが落ちないというので、使い捨ての雨具上下とマスクを着用。更に、料理用のボウルに水を張り、その中で缶詰を開けた。緊張しながら缶切りを刺すと、プシューッという音と共に、不気味な灰色の液体が缶から迸り出た。匂いは案の定、強烈。友人たちは5m以上も離れて見ているにも拘わらず、「うっ、臭っ!」「ひゃあ!」等と悲鳴を上げている。「臭い!」と私も叫びつつ、でも、冷静になると思った。「ん? 割と平気だ」。強いて言えば、くさやと温泉卵が合体して更に臭くなったものだろうか。寧ろ食欲をそそられる。期待を胸に、そのまま少しずつ缶を切り、最後に蓋をパカッと開けた。そして仰天した。「何も無い!」。中は空っぽだった。

何と、発酵が進み過ぎて、魚が全て溶けてしまったらしい。浦島太郎になったような気分だ。缶に僅か残った汁を啜ると、塩辛い。ドブの水のようだが、うっすらと旨味の残り香が感じられる。マドが近寄ってきたので、指に付けて差し出すと、ペロペロと美味そうに舐めた。少なくとも、うちの犬は食べ物と認識したようだ。尤も、ガッカリしていたのは私と犬(多分)だけで、他の人たちは寧ろ食べずに済んでホッとした表情である。匂いの感想を聞いてみた。ナガシマさんは、「若し自宅なら、先ず家族を外に逃がしますね」。ガス漏れのようだったという。イオ君は、「脳味噌にガツンとくる匂い。オエッときそう」。ノザキさんは「思ったほどじゃない」と言いつつ、「怖くて(汁を)味見できない」。1歳児の母であるアリオさんは、「子供のオムツが2~3日溜まった時の匂いを思い出した。うんちが発酵した感じ」。最も面白い感想は、カサイさんという山梨県出身の女性。「昔、実家にいた頃、父が時々、冬にクサヤとニンニクをストーブで焼いて食べていたんです。その次の朝、父が出た後のトイレに入ると猛烈に臭くて、それを思い出しました。ちょっと懐かしい」。あぁ、と思った。そうなのだ。発酵の匂いには、いつもどこか郷愁をそそるものがある。しかも、臭ければ臭いほどに。1年も缶詰を放置しておいたのもそうだが、この日、完全防備で挑んだ筈が、肝心の手袋をし忘れていたのも失敗だった。何度石けんで洗っても、指に付いた腐臭は取れない。帰り道、時々その匂いを嗅ぎながら、私も何かを懐かしんでいた。子供の頃によく遊んだドブ川や肥溜めの匂い、或いは隣家の糠漬けの匂いだろうか? 浦島太郎に残されたのは、甘く切ない香りなのであった。


高野秀行(たかの・ひでゆき) ノンフィクション作家。1966年、東京都生まれ。早稲田大学第1文学部仏文科卒。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)・『アジア未知動物紀行』(講談社文庫)・『世界のシワに夢を見ろ!』(小学館文庫)等著書多数。


キャプチャ  2017年6月8日号掲載
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