【JR・栄光と苦悩の30年】(09) 覚悟の“連判状”実名を初公開! 今明かされる国鉄改革の真実

20人の若手改革派が署名した連判状が、国鉄改革のうねりを作り出した。膨張する借金に、荒廃した職場――。『日本国有鉄道』の惨憺たる状況が、30~40代の若手志士たちに腹を決めさせた。

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幻の“連判状”と呼ばれるものがある。日本国有鉄道が崩壊し、JRが発足する2年前の1985年初夏、国鉄の若手改革派20人が、経営陣に反旗を翻して改革をやり遂げる覚悟を示すよりどころとして、署名押印したものだ。現在、その連判状はある国鉄OBの手元にある。本誌では、関係者への取材を基に、連判状に名を連ねたメンバーの実名を明らかにした(※左図)。国鉄末期の状況を物語る貴重な資料である。俗に“国鉄改革三銃士”と称される井手正敬氏・松田昌士氏・葛西敬之氏らの名前がズラリと並ぶ。連判状に添えられた文書は僅か2枚のメモだったが、それを目にした三塚博運輸政務次官(※当時・故人)は、その著書で「共感と軽い興奮を覚えた」と記している。そのメモには、国鉄を改革するには、先送り的な弥縫策ではなく、分割民営化こそが最善の策であること。そして、その実現の為には経営陣の刷新が不可欠であることが認められていた。当時の国鉄は、借金が膨れ上がり、破産寸前。分割民営化による改革を志した30~40代の若手改革派が、水面下で政治家に働き掛ける等、改革の萌芽が見られつつあった。しかし、保守派たる経営陣は分割民営化には反対。改革派の動きに目を光らせ、中心人物を地方に飛ばす等、改革派を排除しようとした。厄介なことに、改革派も必ずしも一枚岩とは言えなかった。経営陣へのクーデター行為とも取れる連判状に名を連ねることに抵抗した者も、少なからずいたという。それでも、結果的には改革派は勝利した。この直後、仁杉巌総裁他6人の国鉄の重役全員が、中曽根康弘首相(※当時)に辞表を提出。事実上の更迭だった。連判状という“切り札”が終ぞ白日の下に曝されることはなかったが、その存在が政治を突き動かしたことは紛れもない事実である。潮目は変わった。改革のうねりが一気に生じたのだ。地方に飛ばされていた中心メンバーは東京に呼び戻され、杉浦喬也新総裁の直属として、改革に向けた新体制が出来上がった。連判状メンバーが主要3ポスト――組織と幹部人事を司る“総裁室”、資産分割を進める“経営計画室”、労使問題を担当する“職員局”を独占。分割民営化に向けた作業が急ピッチで進められた。

そして1987年4月、国鉄は崩壊し、JRが誕生した。連判状メンバーの殆どには、優良な営業基盤を受け継いだ本州3社(『JR東日本』・『JR東海』・『JR西日本』)の幹部ポストが宛がわれた。因みに、『JR北海道』と『JR四国』には連判状メンバーは送られていない。リーダー不在のままスタートしたこの2社が、30年の歳月を経て苦境に立たされている。当時の幹部人事が、今日のJRグループの力関係にまで影響を及ぼしていることは非常に興味深い。抑々、国鉄の若手幹部が退路を断って改革に挑んだのは何故だったのか? 大まかに言えば、その理由は2つある。政治介入の排除、そして肥大化する労働組合の解体である。第一に、政治介入について。国鉄時代は、運賃の値上げや不採算路線の廃止といった重要な経営マターには、必ず国会の承認が必要だった。しかし、選挙民に配慮する国会議員が運賃値上げや廃線を認める筈もない。その為、政治とは決別し、自主独立経営を目指そうとしたのだ。第二に、労働組合について。経営側は自民党支持、労働組合側は社会党支持を掲げ、当時の国鉄は日本の政治の対立構造をそのまま内包していた。45万人の職員を抱える『国鉄労働組合』は、日本全国の労働組合の中核でもあった。時代は1970年代初頭に遡るが、経営側が推進したマル生運動(生産性向上運動)の失敗が徒となり、労使関係は一気に労組の強大化へと傾いていった。職場規律は乱れる一方だった。組合員に生産性を上げる動機が何一つ無かったからだ。国会は運賃値上げを認めないし、かといって国鉄の財務が悪化しても政府は民間並みの給料を保証してくれる。働かないほうがマシなのだ。職場では多くの闇協定や悪慣行が生じ、組合の闇専従者は全国で数千人規模に膨れ上がったという。政治介入と労組肥大化により、国鉄の生産性は著しく低下した。収入に占める人件費の構成比が85%になっていた。同時期の私鉄の同構成比が30~40%だったというから、この高水準は異常だと言わざるを得ない。国鉄の財政は火の車だった。東海道新幹線が開業した1964年に赤字に転落してから23年間、一度も黒字化することは無かった。最終的に積もり積もった累積債務は25兆円(※債務は37兆円)。国会主体の経営、肥大化する労組、膨大な借金――。最早、国鉄には“崩壊の道”しかなかったのである。時の中曽根政権にとっても、国鉄改革は渡りに船だった。『日本電信電話公社』(※現在の『NTT』)・『日本専売公社』(※現在の『JT』)も含めた3公社の民営化は、重要な政治テーマだったからだ。若手改革派はそこに働き掛けることで、改革を実現させていったのである。分割民営化は、ある側面では成功した。親方日の丸体質から脱却し、民間企業として生まれ変わったJRは、経営意識を持ち、サービス改善に努めるようになった。汚いまま放置していたトイレを清掃する、朝夕の通勤・通学客に挨拶をするといった地道な取り組みから始めていった。毎年1兆円もの経常赤字を垂れ流していた状態から、2015年度にはJR7社で経常利益1.1兆円を生み出せるまでになった。

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その一方で、国鉄時代から引きずっている課題もある。その1つが、労働組合の影響力である。国鉄時代に最大派閥だった国労は、分割民営化に反対して分裂し、勢いを失った。それに対して、激しい労働運動で知られた『国鉄動力車労働組合(動労)』は、穏健派の『鉄道労働組合(鉄労)』と統合して、民営化賛成に回った。JRは一企業一組合の体制でスタートしたのだが、程なくして分裂。JRが発足してからも、“労労対立”の構図を引きずった。2011年の石勝線の脱線事故を始め、繰り返し不祥事を起こしたJR北海道では、杜撰な現場管理の実態が明るみに出た。その背景には、労使のなれ合いや、「組合が違うと飲み会や結婚式にも呼ばない」といった組合間の不協和音が浮き彫りになった。ある国鉄OBは、「JR北海道の経営の機能不全には労組問題も影響している」と断言している。もう1つ、分割民営化の主目的であった政治介入の排除も解消されたとは言えない。JR東日本では、この3年間、“専務”ポストを設置していない。副社長の直下の役職は常務というのが慣例になっている。これは、「政治と一定の距離を置きたい」との狙いがあってのこと。霞が関官僚が居座るには重過ぎる“副社長”ポストと、軽過ぎる“常務”ポストしか置かないことで、天下りを回避しているのだとか。それと対照的なのがJR東海だ。葛西敬之代表取締役名誉会長は、安倍晋三首相を囲む『四季の会』を主宰する等、現政権と蜜月の関係にある。「葛西さんは巧い。政治を利用しながらリニアを推し進めている」(国鉄OB)。ドナルド・トランプ政権発足後の日米首脳会談では早速、安倍首相に超電導リニアについて言及させることに成功した。また、リニア建設の財源として、政府から条件のいい財政投融資3兆円を引き出した。総工費9兆円にも上るビッグプロジェクトの完遂には、政治力も必要なのだろう。そこには、国鉄改革が目指した“政治との決別”とは程遠い姿がある。


キャプチャ  2017年3月25日号掲載
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