【中外時評】 正社員の賃上げ阻むのは

人手不足でパートやアルバイトの賃金が上がっている。正社員も、今年4月の有効求人倍率は0.97倍と、求人件数が求職者数を上回る1倍超えが視野に入ってきた。「より良い待遇を求めて転職する動きが増えれば、企業は人材確保の為に賃金を上げざるを得ない」との見方もある。ただ問題は、持続的に賃金が上がっていくかどうかだ。人件費負担が重くなり、「中小企業は賃上げの余力が乏しくなる心配がある」(『日本総合研究所』副主任研究員の下田裕介氏)。懸念材料は他にもある。正社員の賃金は、ここ何年も、企業収益は好調なのに、期待されるほど伸びてこなかった。力強い賃上げを阻んでいる原因を見極め、それを取り除く必要がある。労働経済学や人事・組織分野の研究成果を基に、低調な賃上げの根にあるものを探ってみよう。先ず、「日本では、一旦賃金を上げると後で下げるのが難しい」と多くの経営者が考えている問題がある。慶應義塾大学の山本勲教授と早稲田大学の黒田祥子教授が、『経済産業研究所』から発表した分析が興味深い。従業員10人以上の776社について、過去10年間の賃金動向を調査。基本給にあたる所定内給与を4回以上カットした企業は、1回もしなかった8割強の企業に比べ、2012年度以降の毎年の賃上げ額が、平均で月あたり780円多かった。賃上げの平均は月3500円ほどなので、賃下げ経験の有無の影響は小さくない。「従業員の理解を求めて賃金カットをした企業は、『必要ならまた賃下げできる』という自信やノウハウを得ている。それが、『賃上げできる時には上げよう』との姿勢に繋がっている」と山本教授は話す。逆に言えば、「所定内給与をカットしなかった企業は、コスト増への恐れが先に立って賃上げが鈍い」と言えそうだ。「賃下げを経験している企業は、経験していない企業より、利益率が高まった時に賃上げ額が増える傾向にある」という分析結果も出ている。

労使協調の下、日本企業の多くは苦境の時でも賃金の維持に努めてきた。だが、それが却って賃金の上昇を抑えているようにみえる。賃金の伸び悩みの背景にある生産性の低迷にも、問題が潜む。法政大学の梅崎修教授は、仕事を通じて技能や問題解決能力を高める職場内訓練(OJT)が弱まった点を指摘する。OJTは、単に先輩に仕事を教えてもらうことではない。梅崎教授によれば、「どんな仕事を、どんな順番で経験させるのが能力の向上に効果的か考え、計画的に取り組むもの」だ。段階的に仕事のレベルを上げ、着実に力をつけてもらうことを狙っている。ところが、非正規社員の活用や業務の外部委託が進み、「若手で経験しておきたい下積み的な仕事等、OJTの機会が減ってしまった」(梅崎教授)。1990年に2割だった非正規比率は現在、4割近くに上昇。正社員の育成への悪影響も増大している格好だ。原因がみえてくれば、対策は立て易くなる。“後で下げ難いので賃上げに慎重になる”問題では、経営環境や業績の変化に応じ、賃金を柔軟に変動させる仕組みを企業の労使で作る必要がある。労働組合も、グローバル化やデジタル化の進展を直視して、硬直的な賃金制度を見直す姿勢が求められる。日本企業の強みでもあったOJTの機会の減少は影響が大きい。企業は、人材育成への取り組み方を一から点検すべきだ。どんな能力を持った人材を育てる必要があるか考えるには、伸ばしたい事業が明確でなければならない。経営戦略そのものが問われる。梅崎教授は、「OJTの機能を担う拠点を地域に設けられないか?」と考えている。「技能を習得する為の施設を確保し、教える人と学びたい人を結び付ける。企業内でOJTを展開し難ければ企業“外”で…」という発想だ。分野毎に企業の労組が集まる産業別労組等が協力してはどうか? 正社員の賃金の伸びが弱いのは、要は上がっていく基盤に不備がある為だ。そこを整えなければ、人手不足の追い風も生かせまい。 (上級論説委員 水野裕司)


⦿日本経済新聞 2017年6月15日付掲載⦿
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