【JR・栄光と苦悩の30年】(10) 「やるべきことに手が打てず、30年前、“株式会社”に憧れた」――松田昌士氏(『JR東日本』顧問)インタビュー

20170619 13
――国鉄改革を意識するようになった背景について教えて下さい。
「当時の日本国有鉄道は、毎年1兆円ずつ赤字が増えていくのに、改革に手を付けられない状態でした。何をやるにも国会の承認がいる。不採算路線の廃止・余剰人員の整理・運賃の値上げ…やるべきことはわかっているのに手が打てない。廃線は国会議員が反対しますから。当時は物価が上昇基調にあり、私が知るだけでも、国鉄末期の13年間で11回の値上げをしないと収支が合わなかった。毎年1兆円ずつ赤字を計上し、当時は金利が高いので、借金が雪だるま式に増えていきました」

――経営計画とは別に、現場では労働組合の問題も抱えていました。
「労働組合がどんどん大きくなって、左傾化していきました。典型的なのが闇協定の横行です。組合の主導で闇賃金が発生していました。赤字で給料は十分なベースアップとは言えなかったから、給料とは別に闇賃金として闇手当を出していたのです。法律では認められていませんが、全国の管理局が其々勝手にやってしまう。本社は完全に指揮能力を失っていました」

――嘗ての国鉄と言えば、組合活動が過激だった印象があります。
「昭和51年10月から約3年半、私が総務部長を務めた九州・門司の管理局管内も、荒れた職場が多かった。駅長や区長といった管理職は、大勢の組合員に取り囲まれて、『手当を認めよ!』とか詰め寄られる訳です。毎日、何十人に取り囲まれて監視されている状態ですから、ノイローゼになるし、疲れてしまう。自殺した職員も多くいました。また、事故も度々起きて、今の常識では考えられない状況でした」

――それで、「一旦解体するしかない」と。
「不退転の覚悟が必要でした。本気で改革に取り組み始めてからは、家に帰るのは2週間に1回あるかないか。東京駅の前にあった本社の地下3階の風呂に入って寝るという生活。着替えは運転手が取りに行ってくれました。人間、寝なきゃならんので、どこでも直ぐに寝られる体質に変わりましたよ(笑)」

――国鉄の経営陣は、分割民営化には反対でした。松田さんら若手改革派には、制裁人事が行使されたようですね。
「上司が1人支持してくれましたが、後は全員反対。そのうちに北海道への転勤命令が下されました。国鉄の人事発令は午前中にあるのですが、私の時は19時でした。揉めていたのでしょう。夜に仁杉巌総裁(※当時)にお会いして、『札幌に行きますが、国鉄は辞めません。この人事は左遷と受け止めて、必ず国鉄改革を実現してみせます』と宣言してから北海道に行きました。実は、総裁は『国鉄改革が必要だ』と考えておられて、密かに私の考えを支持して頂いた筈ですが」

――民営化後は『JR東日本』の常務に就任しました。
「札幌での名刺の肩書は部長ですが、何の指示もありません。そこで、1ヵ月半かけてローカル列車を全て乗り歩きました。データを整理して、年間3800億円の赤字をどうやれば減らせるか考えた。分割民営化後は生まれ故郷の北海道を率いるつもりでした。ところが、直前になってJR東日本に行くよう言われました。あの頃、『国鉄は政治に使われることから離れて、普通の会社にならなければならない』と思いました。今から30年前に、我々は“株式会社”に憧れたのです」


キャプチャ  2017年3月25日号掲載
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