ミャンマー、語られざる民族浄化――筆舌に尽くし難い弾圧を受けるロヒンギャと21世紀最悪の虐殺を放置する国際社会

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ホロコースト――言わずと知れた第2次世界大戦中のナチスドイツによる国家的・組織的なユダヤ民族の迫害と殺戮のことだ。だが、国家的・組織的な民族迫害は過去の歴史ではない。今もアジア、それも民主化した筈のミャンマー(ビルマ)で起きている。この国で続く悲劇は、現代のホロコーストと言える。その犠牲者はロヒンギャ。ミャンマー南西部のラカイン州を主な居住地とするイスラム系少数民族だ。国民の95%を仏教徒が占めるミャンマーにおいて宗教的少数派だが、古くからこの地に暮らす。にも拘わらず、軍事政権が“ミャンマー人”を定義した1982年の国籍法によって、無国籍状態に置かれ続けている。その結果、政府や軍による暴行・強奪・殺戮の対象となり、祖国を脱出する人々が後を絶たず、“世界で最も迫害されている人々”とも呼ばれる。実際、迫害から逃れる為に外国を目指すロヒンギャ難民は、拡大の一途を辿る。しかし、漸く故郷を逃げ出した彼らを待つのが、密航業者の“奴隷船”と“難民収容所”だ。2015年には、ロヒンギャ難民を寿司詰めにした船が海上で密航業者に放置され、漂流する事件が発生した。多くの場合、ミャンマーから目的地のタイまで船旅で数週間かかる。その間、灼熱の太陽に曝され、食事は少しの米だけ。水も僅かしか与えられず、餓死すれば海に捨てられる。辿り着いたタイ国内の密林の収容所で、男性のロヒンギャ難民は暴行、女性はレイプされる運命が待っている。タイの漁船で奴隷労働を強要される実態も発覚した。難民受け入れ・イスラム差別・不法移民の国外追放…現在、世界で政治問題化しているあらゆる悲劇を抱え込んだような存在故、ロヒンギャは難民問題として報道される。だが、本当に深刻なのは、ミャンマー政府がロヒンギャを標的に進める民族浄化策だ。

2015年の総選挙で、ノーベル平和賞受賞者でもある民主化運動リーダーのアウンサンスーチーを事実上の元首とする新生ミャンマーが船出した。軍事独裁政権に別れを告げ、民主化した筈の新政府だが、スーチーと与党『国民民主連盟(NLD)』はロヒンギャ迫害を止めようとせず、虐殺行為は今も続いている。直近の悲劇は昨年10月に始まった。“ロヒンギャ武装集団による国境警察官の殺害事件”を口実に、ミャンマー政府軍がラカイン州で攻撃を開始。ロヒンギャが住む3つの村で、合計430の住居が軍隊によって破壊され、村全体が焼き打ちを受けた。衛星写真に映る襲撃後の村は、住居が消え、更地のようになっている。焼き打ちから逃れた村人が国連の調査団に語った当時の生々しい様子は、筆舌に尽くし難い。襲撃はこんな風に行われた。先ず、ロヒンギャの住む村の上空に軍のへリコプターが飛来し、上空から住居を目がけて次々と手榴弾を投げ込む。爆発に驚いて家から飛び出てきた住民たちを、待ち構えていた地上部隊がライフルで狙い撃ちにする。動けない老人たちは家から引きずり出され、殴打された後に木に縛られる。そして、体の周りに灌木や枯れ草を巻かれ、火を付けて焼き殺される。虐殺の例に漏れず、女性や子供は格好の標的になった。11歳のある少女は、家に押し入った4人の兵士が父親を殺害した後、代わる代わる母親を強姦するのを目の当たりにした。その後、母親だけを残した家に火が放たれたという。別の家では、泣きじゃくっていた乳児に兵士がナイフを突き刺し、殺した。5歳の少女は、兵士に強姦されていた母親を助けようとして、ナイフで喉元を切られて殺されたらしい。ロヒンギャの住む家で次々に殺戮が繰り返され、最後は村ごと焼き打ちにする。ボスニア紛争中の1995年に起きたスレブレニツァの虐殺を思い起こさせる手口だ。スレブレニツァの犠牲者数は8000人以上とされるが、ロヒンギャのこれまでの死者数はそれを遥かに上回る。追害に加担しているのは、政府や軍隊だけではない。ミャンマー政府は、社会に影響力を持つ僧侶を巧みに取り込み、ロヒンギャ弾圧の先鋒に据えている。その中心が、仏教過激派の指導者である僧侶のウィラトゥ。「ロヒンギャがジハード(聖戦)を仕掛けていて、ミャンマー人の女性をレイプしている」等と話し、イスラム教徒への憎悪を煽っている。国際人権団体の『ヒューマンライツウォッチ』のリチャード・ウィアーに言わせれば、“完全なへイトスピーチ”だ。しかし、インターネットの動画サイト等で繰り返されるウィラトゥの言葉は、一定の影響力を持っているようだ。政府と軍、そして宗教界までもが一体となってイスラム教徒を迫害する構図だが、悲劇は今に始まった訳ではなく、長い歴史の一部に過ぎない。ロヒンギャに対する迫害と難民の歴史は、古くは18世紀にまで遡る。

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ロヒンギャの多くが住むミャンマーのラカイン州には、紀元前から続き、15~18世紀に栄えたアラカン王国があった。ロヒンギャは、その時代からこの地に暮らすイスラム教徒だ。ロヒンギャの運命が大きく変わり始めたのは、隣国であるビルマのコンパウン王朝がアラカン王国を征服した1785年。迫害を逃れる為、多くのロヒンギャが現在のバングラデシュに逃げ込んだ。“難民”ロヒンギャの始まりだ。ビルマのコンバウン王朝がイギリスとの戦いに敗れ、1826年にラカイン州が植民地になると、多数のロヒンギャがこの地に戻った。イギリスは1824年にビルマのコンバウン王朝に侵攻し、1886年、全土をイギリスの植民地にした。そして、1948年にミャンマーがイギリスの植民地支配から独立した後、新たなロヒンギャへの迫害が始まった。1962年にクーデターで権力を掌握したネ・ウィン将軍は1978年、南アジア系住民をミャンマーから追放する『オペレーションナガミン(竜王作戦)』を決行。排斥対象になったロヒンギャは、殺戮・婦女暴行・宗教弾圧で最大の被害者になった。約20万人のロヒンギャが現在のバングラデシュに逃げ込み、食料も安全も保障されない生活を送る羽目に陥った。国連による難民キャンプが設立されたのは、この頃だ。ネ・ウィン軍政はその後も手を緩めることなく、次は法的な手段でロヒンギャ排除を加速させた。1982年に制定された国籍法はその最たるもので、現在のミャンマー政府に至るまでロヒンギャ弾圧を正当化させるよりどころになっている。ミャンマー国民を“イギリスがミャンマーに侵攻する前年の1823年以前から定住する民族”と法的に定義付けたことで、ロヒンギャは法的にも排斥の対象となった。ロヒンギャの総数は200万人とも300万人とも言われ、イギリスからの独立後、追放されたり虐殺から逃れる為に国外へ脱出したロヒンギャは、160万人ともみられている。そして今、この瞬間も、祖国ミャンマーから逃げ出している。

「高校生になるまで、自分たちが迫害されていると思ったことはなかった」――。ラカイン州で生まれ育ったロヒンギャのゾーミントゥット(45)は、幼少期をこう振り返る(※ミャンマー人の名前は姓名の区別が無い)。軍や当局から毎日のように暴行を受け、コメや金を強奪されていたロヒンギャにとって、迫害は日常だった。軍政下で厳しい情報統制が敷かれていた為、他地域の事情を知ることもなく、ロヒンギャ同士でも軍を刺激する発言は憚られていた。「自分たちが特別と思っていなかった」。ゾーミントゥットの運命を変えたのは、スーチーとの出会いだ。当時の首都・ヤンゴンの大学に通っていた時、住んでいた場所から歩いて15分の所に彼女の家があった。自宅軟禁されていたスーチーは、庭先でよく演説を行っていた。ゾーミントゥットは、実家のあるラカイン州を出た後、ミャンマーの政治状況を詳しく知る。ロヒンギャ迫害だけでなく、国全体を支配する軍政の圧政を知り、怒りを覚えた。1988年の大規模な学生運動をきっかけに、民主化の機運が再び高まっていた頃だ。彼は大学の友人らと度々、スーチーの家に足を運び、演説に聞き入った。1995年のある日、スーチーはゾーミントゥットらを自宅に招き入れた。1991年にノーベル平和賞を受賞した偉大な人物は、学生たちにこう話した。「貴方たち、言いたいことがあるのでしょう? 何故、それを口に出さないの?」。彼女が発した言葉はそれだけだった。当時、軍の厳しい監視下にあったスーチーは、具体的な政治行為を促す発言を禁じられていた。たった5分間の出会いだったが、打倒軍政の思いを奪い立たせるには十分だった。翌1996年、ゾーミントゥットは1988年以降で最大規模となる民主化デモに参加し、学生たちを指揮した。だが、軍の前に学生たちは無力だった。即座に捕まり、4ヵ月間拘束された。釈放後も当局の取り締まりが終わることはなく、ヤンゴン出身の友人たちの家には次々と軍が入り込み、暴行を加えた。それでも、ロヒンギャであるゾーミントゥットの危険度は、ミャンマー人の友人たちとは格段に違う。ゾーミントゥットが次に捕まれば、それは死に近付くことを意味する。当局の追跡を避ける為、ヤンゴン市内を逃げ回り、友人やその知り合いらの家を転々とする。時に古びた工場に逃げ込み、身を隠した。移動は夜、暗闇の中だ。半年間ほど逃亡生活を続けたが、「もう逃げ切ることができない」と考え、生き延びる手段として国外脱出を決断。伝手を頼って、偽造パスポートを扱うブローカーにこぎ着けた。1998年、偽造パスポートの作成料・ブローカー料・当局への賄賂と東京行きの航空券含めて、約8000ドルを支払い、“パスポート”を手にした。名前も生年月日も異なるパスポートを。

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それから19年。ゾーミントゥットは今、日本の埼玉県稲川市に家族と共に暮らしている。「怖かった。『偽造パスポートがばれて連れ戻されるのではないか?』と不安だったから」。来日した当時の様子を、今も怯えるように話す。来日直後は、夜勤のアルバイトで生計を立てた。慣れない文化や社会に戸惑いつつ、日本の生活に溶け込む為、日本語を必死で覚えた。「景気はあんまり良くないね」と流暢な日本語で話すゾーミントゥットは、10年ほど前、スクラップ工場の経営を始めた。中古の自転車や家電製品を売買している。川越市の事務所にやって来る日本人の取引先から“社長”と呼ばれ、硬軟織り交ぜた口調で仕事を捌く姿は、敏腕経営者といったところだ。「景気が悪い」と言いつつ、新たな土地を買い、ビジネスの拡大にも余念がない。同郷の妻と4人の子供たちの生活も安定している。「子供たちは日本の学校に通っているが、行政はとても面倒見が良くて何も困っていない」と、ゾーミントゥットは言う。祖国での壮絶な経験を経て、無一文から日本で今の地位を築いたのは、“苦難の民族”ロヒンギャ故のバイタリティーなのかもしれない。ただ、そんな彼を今も悩ませるのは、やはり祖国で苦しむ同胞たちのことだ。中でも一番の懸念は、祖国にいるロヒンギャが“自発的に”外国人としての立場を受け入れてしまっていること。ミャンマー政府は、武力だけに留まらない浄化政策も進めている。“無国籍”のロヒンギャに対して、当局は必死にあるカードを受け取らせようとしている。『National Verification Card(NVC)』と呼ばれる外国人仮滞在証明書で、建前上は市民権を申請できることになっている。

だが、「このカードは罠だ」と、ヤンゴンでロヒンギャの人権改善を訴える活動を行うチョースオンは言う。このカードを受け取った時点で、自らを外国人だと認めることになるからだ。しかも、軽微な罪を犯しただけで簡単に取り上げられ、取り上げられれば再発行の可能性はほぼ無い。国籍法が施行される約30年前の1955年、軍政になる前のミャンマー政府は、“国民登録カード”と呼ばれる証明書を配布しており、ロヒンギャたちもこれを手にしていた。つまり、法的にもミャンマー人だった時期があるのだ。政府はその後、このカードを回収し、今はその代わりにNVCを持たせることに躍起になっている。ロヒンギャが“自発的に”外国人になれば、ミャンマー政府は合法的に国外追放に追い込める。NVCが無ければ銀行口座を作ることもできず、社会生活が送れない。カードはロヒンギャの国内移動の自由も保障するが、それ以外にも政府は学校での進級や進学の際に提出を求めている。「辛いのは、進学を希望する子供にせがまれることだ」と、ゾーミントゥットは語る。事情がわからない子供から「お願いだからカードを貰って」とせがまれた親が、泣く泣くカードを受け取ってしまう。だが、手にしたら最後、外国人になってしまう。ミャンマー政府は、国際社会の目を気にして武力弾圧を躊躇しがちにはなったが、その代わりにNVCという新たな手を使っている。「NVCを絶対に受け取るな」と、異国に逃れたロヒンギャたちは祖国の同胞に呼び掛けている。だが、巧妙な手口で“非国民化”を迫るミャンマー政府の罠に落ちるロヒンギャは後を絶たない。ミャンマーには、ロヒンギャ以外にも政府と対立する民族が多くある。ラカイン州にはラカイン族と呼ばれる民族がおり、歴史的に政府との軋轢が絶えなかった。彼らとの全面闘争を避けたいミャンマー政府は、同じ地域に住むロヒンギャを悪玉に仕立てることで、ラカイン族の政府への反感を和らげようとしている。「ラカイン族のトップは軍と繋がっている」と、日本でロヒンギャ難民として暮らすアブールカラムは語る。「政府はラカイン族をコントロールする為に、ロヒンギャを利用している」。アブールカラムは、1988年にヤンゴンで起こった民主化を求める学生運動に参加。その時、ロヒンギャ以外の民族もミャンマー政府と激しく対立していることを、身を以て知ることになった。短期間で終わった民主化運動のアブールカラムは、他の学生らと共に当局から追われる身になった。ヤンゴンを脱出し、タイとの国境沿いに向かって逃げた。一緒に逃げた7人の友人の内、1人は豪雨で増水した川に流されて死んだ。

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疲労困憊で辿り着いたのは、カレン族が住む地域だった。ミャンマー政府と長年対立している民族の1つで、自前の軍隊も持つ反政府勢力の象徴的な存在だ。食べ物や水が体に合わず、高熱を出し続けたアブールカラムだったが、そこで過ごすうちに「ミャンマー軍と戦おう」という思いが湧いてきた。「“恐ろしく強い”カレン軍ならできるかもしれない」と。この後3ヵ月間、アブールカラムはカレン軍に入隊し、軍事調練を受けた。そしてある日、カレン軍とミャンマー軍の武力衝突に直面した。カレン側は10人前後、対するミャンマー軍兵士数百人規模。圧倒的に劣勢だったが、それでもカレン軍はミャンマー軍兵士を次々と撃ち殺していったという。「自分にはできない」。殺戮の光景を目の当たりにして、思いは変わった。「『軍が悪いのではなく、政治が悪いのだ』と思った」。傍らでは、カレン族の子供がミャンマー軍に銃口を向けていた。少数民族の反乱の怖さを知るミャンマー政府は、ラカイン州全土が反政府になることを恐れている。ロヒンギャがラカイン族にとって脅威だと煽り、対立構造を作り出し、彼らにロビンキャを襲わせている。アブールカラムによれば、ラカイン州でロヒンギャを虐殺する者の多くは、恐怖心を植え付けられたラカイン族で、大半が仏教徒だ。「ロヒンギャを悪玉に仕立て上げるというのは言い得て妙だ」と、ミャンマーに詳しいフリージャーナリストの田辺寿夫は言う。「中央政府は、ラカイン族やラカイン州に住む仏教徒に対して、決まってこう言って脅威を煽る。『ロヒンギャはムスリムだ。一夫多妻だ。放っておけばどんどん増えて、ラカイン州はロヒンギャに占有されるぞ』と」。

「ラカイン族の目を逸らせたい目的がもう1つある」と、アブールカラムは言う。経済利権だ。ミャンマー内陸部には巨大な天然ガス田があり、国内経済にとって重要な資源だ。輸出の為に港まで運ぶパイプラインは、ラカイン州を横切る必要がある。ラカイン族は当然、その恩恵に与ろうとするが、分け前を与えたくないミャンマー政府は、ロヒンギャとの衝突に集中させることで、その話題に触れさせない。軍の息がかかったラカイン州の政治家が、全てを取り仕切っているという。ラカイン族の反ロヒンギャ感情を煽ることで、彼らの反政府活動を抑え込み、且つ地域の経済利権を手中に収め、自らの手を血で染めることなくロヒンギャを始末できる――。ミャンマー政府にとって、一石三鳥とも言える浄化戦略だ。政府や軍の迫害に耐え切れなくなったロヒンギャは、不本意ながら祖国を脱出するしかない。そうなれば、救いは国際社会や各国の難民対策だ。ただ、ロヒンギャはその存在の特異性故、対策が容易でない。結果として、国際社会の反応も鈍い。「無国籍難民という存在は非常にユニークだ」と、嘗てバングラデシュやミャンマーで難民支援に携わった『国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)』のダーク・へべカー駐日代表は言う。「無国籍の人は世界に約1000万人いる。そして、世界の難民は約2100万人。ただ、無国籍且つ難民という存在は非常に特殊で、多くの事例を知らない」と言う。「恐らくロヒンギャは、その2つの問題を抱える最大規模の人々だ」。へベカーによれば、難民というだけであれば、理論的には帰国した際に自国民と同じ権利が与えられる。だが、無国籍難民にはその保障が無い。「スリランカやタイ、ソビエト連邦解体後の旧連邦国家でも無国籍の問題があり、UNHCRはそうした政府に対する専門的な支援を行った実績がある」と言う。「ミャンマーでもこの経験が役に立つと思うが、その前に必要なのはミャンマー政府の政治的決断だ」。その決断とは、ロヒンギャを自国民として受け入れるということだが、今のミャンマーにその意思は微塵も見られない。政府に今も影響力を残す軍と多数派の仏教徒に配慮せざるを得ないスーチーは、昨年10月から続く軍の掃討作戦が「虐殺ではない」と繰り返し、「ミャンマーに対する批判は公平を欠く」と逆に国際社会を非難している。ゾーミントゥットらが暮らす日本の難民政策は、世界的に見てかなり遅れていると考えられている。一部で改善があるのも事実だが、後先を考えない規制撤廃によって、本来難民には当たらない人物の申請を増やし、本当に庇護されるべき人が不利益を被っている。

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「表現できないような極度の貧困バラック地帯だった」――。7年前、バングラデシュ南部にあるロヒンギャ難民キャンプを訪れたことのある公明党の遠山清彦議員は、当時の様子をこう語る。UNHCRが設営した難民キャンプは、医師等も常駐しており、最低限の生活保障があった。遠山が目を奪われたのは、その周りを取り囲むように住み着く難民キャンプに入ることすらできないロヒンギャたちだった。食料も水も医療も受けられない10万人とも言われるロヒンギャが、遥か先にミャンマー国境が見える地平線まで居並んでいた。長年、日本の難民政策に取り組んできた遠山は、難民申請期間を制限していた“60日ルール”の撤廃等、難民の受け入れ政策を改善させてきた。その一方で、遠山が“民主党政権の隠れた大失政”と呼ぶ、難民にとっては本末転倒とも言える規制緩和が民主党政権時代に行われた。難民申請さえすれば、6ヵ月後からフルタイムで働くことを可能にした2010年の規制緩和だ。この結果、ブローカーを通じた“擬似難民”申請者が急増。2014年には17人しかいなかったインドネシア国籍の難民申請者が、翌年は969人へと増えた。ネパール国籍の申請者も、2013年の544人から2015年には1768人へと増加している。「その殆どが仕事狙い」と、遠山は言う。顕著な例が、日本にある日本語学校に留学する学生らが、留学終了間際に突然、「自分は難民だ」と言って難民申請をするケースだ。国外にいるブローカーたちが、この規制緩和に目を付け、日本での労働を希望する人に指南している。遠山によれば、法務省は年間1000件ほどの難民申請を見越して人員体制を組み、予算を整えてきた。ところが、この法改正の結果、申請者数は8000人近くまで急増。申請を処理する為に膨大な時間がかかっているという。

申請者が増え、結果待ちに時間がかかることは、“擬似難民”にとっては好都合。申請結果が判明するまで働くことができる為、より長く就労してお金を貯めることができるからだ。その一方で、ロヒンギャのような人々が長期間待たされる状況になっている。それでも、難民申請や在留特別許可を認められたロヒンギャは、これまで230人ほどいる。ゾーミントゥットやアブールカラムが口を揃えて言うように、日本での生活は安定している。彼らの悩みは寧ろ、ロヒンギャ以外の在日ミャンマー人からの拒絶だ。迫害こそされていないものの、祖国で経験した非国民扱いを、逃れ着いた日本でも経験しているのだ。日本には、ロヒンギャ以外にも多くのミャンマー人が暮らす。「彼らは普段、ロヒンギャが経営する食材店で買い物をするし、話もする」と、在日ミャンマー人社会との繋がりも深い田辺は言う。「ただ、政治的な集まりや国家行事を祝う式典等では、ロヒンギャを爪弾きにする」。1988年、ミャンマーでの大規模な学生運動の盛り上がりを受けて、在日ミャンマー人の間でも民主化運動が活発化した。同年9月には『在日ミャンマー人協会』が設立され、民主化に向けた機運を高めた。「ロヒンギャ出身者が協会の書記長を務めたこともあり、露骨なロヒンギャ拒絶は見られなかった」と、当時を知る田辺は振り返る。潮目が変わったのは2000年頃。「1988年当時は、民主化の盛り上がりもあり、民族間の諍いが隠れていたが、運動が落ち着くと拒絶し始めた」と田辺は言う。その理由は恐らく、国籍法にある。1988年世代の学生たちは、国籍法を発令したネ・ウィン政権下で教育を受けた人が多く、ロヒンギャに対する潜在的な差別意識が強く残っているという。ロヒンギャも民主化の為に闘っている。敵は同じ軍政なのに、何故共闘できないのか――。田辺は幾度となく迫ったが、彼らは決まってこう答えた。「ロヒンギャはミャンマー人ではない」。また、田辺によれば、ロヒンギャは他のミャンマー人に比べて圧倒的にビジネスが巧い。それ故の嫉妬や妬みも背景にあるのかもしれない。実は、こうしたロヒンギャへのやっかみは、嘗てラカイン州でも見られた。軍政下では多くの国民が自由を奪われ、貧しい生活を余儀なくされていた。その中で、商才を発揮したロヒンギャたちが裕福な生活をしているのを、妬みの目で見るミャンマー人は少なくなかった。商才ある人々が、妬み故、迫害を受ける…嘗てユダヤ人に向けられた僧悪を連想させるロヒンギャが、“ミャンマーのホロコースト”という悲劇の主人公になっているのは偶然なのだろうか? 移住先である日本でも差別や拒絶を受け続けながら、祖国で苦しむ同胞の救済を国際社会に訴え続けるゾーミントゥットやアブールカラム。彼らの闘いは孤独で、時に絶望的だ。

20170623 19
「このまま行けば、間違いなくロヒンギャはミャンマーという国から消えてしまう」と、アブールカラムは嘆く。彼はその後、カレン軍入隊を断念。タイでの暮らしを経て、2000年に日本に難民としてやって来た。「ロヒンギャ問題だけを叫ぶと宗教問題に見られるが、問題はそこじゃない」。ミャンマー政府の暴力が続けば、軈てシリアのように国が分裂してしまう。彼の懸念はそこにある。一方、日本で支援団体『ロヒンギャアドボカシーネットワーク』を立ち上げたゾーミントゥットは、EU駐日代表部や日本政府への働き掛けを続けている。「外務省への陳情等で東京に行っている間は仕事ができない。売り上げで何万円も損することもある」と、ゾーミントゥットは苦労を語る。それでも、ロヒンギャの惨状を訴える活動を止めることはできない。日本では、国会議員ですらロヒンギャの存在を知らない人が大多数だからだ。2012年、ミャンマーで大規模なロヒンギャ迫害が起こり、多数が虐殺された。その際、祖国に残るゾーミントゥットの父も当局に拘束され、殴る蹴るの暴行を受けた。父は賄賂を払って釈放され、一命を取り留めた。その夜、母から電話があった。「お前がそうした活動をしているから、残された家族が酷い目に遭う。頼むから、もう止めてくれ」。そう話す母から父親が受話器を奪い、ゾーミントゥットを鼓舞した。「絶対に活動を止めるな。俺は死んでも構わない」と。「数少ない大学進学者のお前が活動を止めたら、誰がロヒンギャ問題を世界に知らせるのか?」。ゾーミントゥットは「だから止める訳にはいかない」と、スクラップの置かれた敷地を見つめながら話す。その思いも虚しく、祖国ではロヒンギャ浄化の総仕上げが始まろうとしている。「ミャンマー政府は全土からロヒンギャを追放しようとしている」。先週、国連人権理事会でミャンマーの人権問題を担当する李亮喜は、ロヒンギャ迫害を続けるミャンマー政府に警告を発した。EUもこれに呼応し、事実解明の為の独立調査を行う決議案を国連人権理事会に提出した。ミャンマー政府は未だ沈黙を保っている。その裏で、民族浄化は今も続いている。 (取材・文/本誌 前川祐補)


キャプチャ  2017年3月28日号掲載
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