傷だらけの『SMAP』と引き裂かれた“育ての親”――伝説のプロデューサーが語るSMAP解散の深奥

この2年というもの、常にその動向が取り沙汰されてきた『SMAP』が、遂に解散の日を迎えた。事務所と育ての親、そしてメンバーを分断した“大きな力”とは何だったのか? キーマンのメリー喜多川氏を古くから知るメディアプロデューサーの酒井政利氏が、解散の本質を論じる。 (取材・文/本誌編集部)

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時は1980年代初頭。あの山口百恵を世に送り出したことで知られる『CBSソニー』のプロデューサー・酒井政利氏(※左画像)の下に、1人の女子学生がやって来た。もの静かで芯のありそうな女子大生の名は、飯島三智。「芸能関係の仕事がしてみたい」という動機から、伝手を辿って業界に精通する酒井氏を訪ねてきたのだった。「最初に会った時のことはよく覚えています」と語るのは、酒井氏本人である。「彼女の親戚筋に当たる人が、当時、私がお世話になっていた方だった関係で、会うことになったと記憶しています。勿論、それまでは全く面識がありませんでしたが、会ってみると、彼女は非常に感じの良い人でしたね。丁度当時、ジャニーズ事務所のメリー喜多川さんが女性スタッフを欲しがっていたものですから、私がメリーさんに飯島さんを紹介したのです」。CBSソニーのレーべル第1号は、『ジャニーズ事務所』に所属していた『フォーリーブス』の『オリビアの調べ』(1968年)だった。酒井氏とメリー氏は、古くからの知り合いである。人材の採用に当たっては厳しい独自基準を持つことで知られるメリー氏であったが、初対面で飯島氏のことを気に入り、飯島氏は大学を卒業後、ジャニーズ事務所に入社するのである。「国民的グループ・SMAPは、育ての親と言われたマネージャー・飯島氏の存在無しに成立しなかった」と言われる。若しこの時、酒井氏が飯島氏をジャニーズ事務所に推薦しなかったら、或いはメリー氏が採用を決めなかったら、SMAPはこの世に誕生していなかったかもしれない。人生とはまさに“偶然性の結晶”である。四半世紀に亘り芸能の第一線で活動してきたSMAPは、2016年12月31日を以てその活動に幕を降ろす。何故、SMAPは解散せざるを得なかったのか? それを簡単に説明することは不可能だが、ここではジャニーズ事務所、育ての親である飯島氏、そしてSMAPメンバーの三者関係から、その背景を読み解いていきたい。

酒井氏の紹介でジャニーズ事務所に入社した飯島氏は、メリー氏の下で当初はデスク業務をしていたという。だが、1988年に結成されたSMAP(※当時は6人)が、人気絶頂の『光GENJI』の影に隠れて中々売り出せずにいたのを見て、飯島氏は「私にやらせて下さい」とマネージャーに立候補する。そこから、飯島氏とSMAPの二人三脚が始まるのである。「彼女は、当時、アイドルが立ち入るべきではない“禁区”とされていたバラエティー番組に目を付け、SMAPを積極的にテレビ局に売り込みました。アイドル氷河期の時代、何とか彼らを売り出す為の苦肉の策だったと思うのですが、これが結果的に功を奏したのです」(酒井氏)。当時、フジテレビ系で放送されていた『夢がMORI MORI』への出演がSMAP人気の原点となったことは、熱心なファンの間で“常識”となっているが、これで手応えを掴んだ飯島氏は、従来のアイドルとは違った売り出し方でSMAPの露出を徐々に増やしていった。酒井氏が語る。「タレントが売れる為には、3つの条件があります。先ず、タレントに才能があること。素材の良さですね。そして2つ目は、タレントに合った売り出し方をすること。これはスタッフワークです。そして3つ目は、タレントの魅力とその売り出し方が時代の波に乗っていることです。どんなにタレントが逸材で、熱心に売り出したとしても、時代が味方してくれなくては上手くいかない。それがこの世界の面白さでもあり、難しいところでもあるのですが、飯島さんとSMAPの関係には、明らかに時代の後押しという幸運があったと思いますね」。メンバー其々の個性を活かし、ソロ活動の領域を広げながら、SMAPという“故郷”を守り続ける。飛び抜けて突出した才能を持つメンバーがいなかったことも、グループ全体の人気を上げる上では却って好都合だった。1996年に森且行がメンバーを脱退し、以後、その歴史がジャニーズ事務所から抹殺される等の波乱はあったものの、SMAPはジャニーズ事務所において別格の存在に成長。2003年、『世界に一つだけの花』が250万枚を超えるヒットを記録した頃から、SMAPは“国民的アイドルグループ”と呼ばれ始めるようになった。「SMAPをそこまで引き上げるには、飯島さんも色々と苦労したと思いますよ」と酒井氏が回想する。「彼女がSMAPを担当するようになってから暫くした時、偶々テレビ局の中で彼女と会ったのですが、あんなにぽっちゃりしていた顔がほっそりと変貌しているのを見て、驚いたことがありました。SMAPを成功させたことで、飯島さんはメリーさんに目をかけられる。しかし、あそこの事務所は女性が多いですから、それに嫉妬して何かとやっかみを受けることもある訳ですね。勿論、給料も未だ安かった。それでも、結婚していない彼女にとって、SMAPのメンバーは全員我が子のようなものだったのでしょう」。

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飯島氏(※右画像)の仕事には、メンバーをメディアへブッキングすることだけではなく、超有名人になった彼らの私生活を管理することや、スキャンダル報道への対応も含まれていた。SMAPメンバーは、これまで何度か大きなスキャンダルの当事者となっている。飲酒全裸事件、一般女性への中絶強要疑惑、或いは道交法違反、公務執行妨害による逮捕…そんなメンバーの危機に対処し、それを一手に処理してきたのは、他ならぬ飯島氏であり、その意味でもメンバーが飯島氏に恩義を感じるのは当然のことと言えるだろう。酒井氏は、飯島氏のマネージャーとしての力量を、“内視鏡”という言葉を使って説明する。「タレントも人間ですから、其々性格が違うし、マネージャーとの相性というものがあるのは事実です。しかしマネージャーには、商品としての彼らを売り出さなければならないという義務があり、その義務はタレントがどんな性格であっても変わらないし、無くなることもない訳です。その時に大事なことは、タレント本人が何をやりたいのか、その本音をマネージャーが理解することです。その為には、皆が集まって売り出し方の会議をやるよりも、医者が内視鏡で外から見えない部分を検査するように、雑談することによってタレント本人の心の内を読み取ることが有効なんですね。飯島さんは、其々のメンバーとこまめに雑談を重ねる中で、彼らが本当は何をやりたいのか、どういう志向性を持っているのか、素早く的確に見抜く天性の力を持っていたのだろうと思います。それが彼らのやる気を引き出し続け、ソロ活動においても其々の世界を構築することに成功したのだと思います」。

酒井氏によれば、元々男性アイドルが好きで、自身がミーハーなタイプの女性マネージャーが多い中で、飯島氏にはそうした傾向は全く無く、常に客観的に自分の仕事を見つめることができる人物であったという。辣腕マネージャーに支えられたSMAPの幸福な青春時代…そこに若し“誤算”があったとすれば、SMAPというグループが、飯島氏やメンバー自身が考えている以上に、様々な意味で巨大な存在に成長し過ぎてしまったことだったのかもしれない。SMAPをジャニーズの屋台骨を支えるグループに育て上げた功績が評価され、飯島氏はジャニーズ事務所の幹部に登用され、SMAP以外の幾つかのグループも手がけるようになった。しかし、飯島氏の出世はジャニーズ事務所の経営面における後継者問題とリンクされ、いつしか「飯島氏の一派と、メリー氏の娘で“嵐”等を担当する藤島ジュリー景子氏の一派が、事務所内で主導権争いをしている」といった噂が、芸能マスコミを賑わすようになった。そうした不穏な空気が一気に表面化したのは、2015年1月のことである。ジャニーズ事務所とは因縁浅からぬ関係にある『週刊文春』が、メリー喜多川副社長に5時間のインタビューを敢行。感情を爆発させたメリー氏は、その場で飯島氏を呼び出し、記者のいる面前で飯島氏を詰問。更に、SMAPと嵐の共演が無いことを記者に問われると、「だってSMAPは踊れないじゃない」と発言した。巷間曜かれていた“飯島派”とメリー氏の娘である“ジュリー派”の対立構図の存在は、概ね事実だったのである。古くからジャニーズ事務所を取材するスポーツ紙記者が語る。「一度頭に血が上ると、コントロールが利かなくなってしまう。メリーさんはそういう人なんです。昔の話ですが、ジャニーズ事務所を辞めるという田原俊彦と揉めていた時、メリーさんは彼を記者たちの前に呼び出した上で、『何でも悪いことを書いてちょうだい!』と叫び、その場にいた人々を唖然とさせたこともありました。“踊れない”と言ったのもわかるんです。彼女は若い頃、大阪松竹歌劇団(OSK)でダンサーをしていた経験があり、歌については詳しくないけれども、ダンスについては一家言持っている。だから、つい“踊れない”という言葉を使うんですね」。それにしても、如何なる理由があったにせよ、ジャニーズの看板商品を事務所のトップが「踊れない」と批判したり、功労者の飯島氏に外部の人間がいる前で屈辱を与えるような仕打ちをするのは、常識的には考えられない言動である。

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前出の記者が語る。「メリーさん(※左画像)は、文春に踊らされていた部分があったと思うんです。例えば、ファックスで『次の社長は飯島氏と言われているが、ジュリー氏はどうなるのか?』といった、態と挑発するような質問を書いて送る。すると、あの人の性格なら、『話があるのでちょっと来なさい』ということになりますよ。それまでも、あることないこと書かれ、文春に対しては恨み骨髄に徹していますから、自分自身の影響力・権力というものを彼らについ見せたくなる。恐らく、メリーさんは飯島さんを懲らしめたかった訳ではなくて、自分自身の発言の重み、立場の重みというものを記者に見せつけたかったんだと思います。形に拘り、世間体を気にするタイプの人ですからね。ですから、言ってみれば飯島さんやSMAPは、文春の取材のとばっちりを受けたようなものですよ」。しかし、である。事務所のトップから「踊れない」とまで言われ、嵐より格下であるかのような評価をされたSMAPメンバーが、その時、心の内に何を思ったかは想像に難くない。事務所内における飯島氏の立場は急速に悪化し、同時に“SMAP独立”の動きが醸成されていくのは自然な流れだった。「2015年の大晦日、私は紅白歌合戦をテレビで見ていましたが、木村拓哉の表情に険があったのと、歌の出来栄えが酷かったので、私は『SMAPに何か抜き差しならぬ亀裂が入っているのではないか?』と感じたのです」(酒井氏)。酒井氏の予感は的中した。年が明けた2016年1月、遂にSMAP解散騒動が弾けたのである。その概要を端的に言えば、2015年以降、水面下でSMAP独立計画が進んでいたが、ある段階で木村拓哉が残留派に転じ、5人揃っての独立ができなくなった。事態を収拾する為に、飯島氏は近くジャニーズ事務所を退社。木村を除く4人も事務所を離れ、SMAPは解散するというものだった。

メンバーはレギュラー番組『SMAP×SMAP』(関西テレビ・フジテレビ系)の中で、ファンに向けて騒動について謝罪。この時点では解散について明確な表明はなされなかったが、やはり軌道修正は不可能で、2016年8月、年末を以てグループが解散することが正式発表された。SMAP解散が発表された時、事務所に残留すると見られていた木村拓哉は、家族と共にハワイ旅行中だった。デビュー当時から木村を知る芸能記者が語る。「グループ最大の危機においてもハワイ旅行をしている木村拓哉というのは、『如何にも安穏としたスターだな』と思います。どこか感覚が間延びしている。それは、彼の演技を見ていてもそう思うことがあります。若し、SMAPに対する愛情があり、想像力が豊かな人間であれば、ハワイで時間を過ごしていられないと思いますね。その時はメリーさんもハワイにいたそうですが、『木村夫妻とは会っていない』と言う。嘘ですよ。会っていないなんて筈がない」。解散騒動では完全にヒール役を演じることとなった木村拓哉だが、この件については、公式コメントを出した以外は今も沈黙を守り通している。“木村と他4人”という悲劇的な分裂は、本人たちの思いとは別に、“大きな力”に翻弄され続けたどうしようもない結末だったとも言える。5人のラストステージは年末のスマスマとなりそうだが、それを最後に、四半世紀輝き続けた巨星は、時代の中でその役目を終えることになる。嘗て、事務所からの独立を模索しながら、様々な事情でそれを断念し、人気絶頂のまま芸能界からきっぱりと引退した女優がいた。1970年代最大のアイドル、山口百恵である。1973年に芸能界デビューした山口百恵は、10代の若さで『ホリプロ』の屋台骨を背負う看板歌手・女優に成長した。しかし、後に百恵自身が著書で明らかにしたように、百恵とホリプロの当時の社長・堀威夫は考えが合わず、仕事に関する話ができない状態だった。山口百恵が本当に信頼を寄せていた人物、それは当時のマネージャーだった小田信吾氏だけだった。当時、小田氏の周辺で独立計画が持ち上がり、百恵もある時期まで小田氏と共に独立するつもりで気持ちを固めていた。しかし、様々な事情から結果として小田氏は独立を断念し、事務所に残留することを決めた(※小田氏は現在、ホリプロの最高顧問)。百恵はその時、きっぱりと結婚、引退を選択し、その後は一切、表舞台に立っていない。そのことが、“百恵伝説”を一層神秘的なものにしている。

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酒井氏が語る。「百恵さんは、芸能界からきっぱりと身を引くことによって、三浦百恵となった。そして、自身の伝説を管理するかのように守り抜いた。SMAPは、解散しても個々のメンバーが引退する訳ではないが、国民に愛され、記憶に刻まれたSMAPの伝説を守る義務はあると思います。これまでは、どんな歌でも演技でも、SMAPメンバーであるというだけで評価された部分があった。しかし、もう彼らにはSMAPという“故郷”は無い。これからは、自分が目指す分野において、個人の名前で勝負していかなければならない。私は彼らに、今回の解散劇を前向きに捉えてほしいと思っています。最早、元の鞘には収まることができない以上、『解散してよかった』と思えるような活躍を続けるしかないのです。恐らく、今回のような騒動が無かったとしても、いつかは解散しなければならない日がやってきたでしょう。50歳を過ぎて、更に成長していくことはより難しいことですが、未だ今なら、俳優として、或いは歌手として新境地を開拓していくことは可能です。『来るべきものが少し早く来たと考えれば、解散もそう悪いことばかりではない』と私は思いますね」。2017年9月にもジャニーズ事務所との契約が切れるSMAP。その時、木村拓哉を除く4人は、芸能人として第2のステージに突入する可能性が高いと言われている。偶然と幸運に見守られながら出現した稀代のアイドルグループは終焉を迎えたが、人がそこに生き続け、それを見守る人たちがいる限り、物語は決して終わらない。


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