多重債務者を追い詰める闇金グループの手口…『五菱会』事件の目撃者が回想、宇都宮健児に潰された闇金黄金時代

20170628 07
若林武史氏(仮名・34)は2000年頃、17歳で闇金業界に入り、その後も数々の裏稼業を転々としてきた経歴の持ち主だ。1990年代半ばにキャバクラのボーイをしていた頃、客として店を訪れた闇金業者の社長に勧誘されて、闇金で働くことになった。「僕がいたのは、当時、闇金組織としては一番でかかった梶山進の五菱会グループ。五菱会は当時、山口組の2次団体でした。その傘下のグループにいたといっても、五菱会グループの中の1つのグループの下のグループ、そのグループの中の1店舗です。うちのグループの社長は闇金を10店舗経営していて、僕はその1つの店舗の末端ということです。うちの社長より上の五菱会グループ幹部のことは知りません。飲み屋で同席したことはありますが、17~18歳の僕らからすれば幹部はいい親分ですからね。『恐いな』っていう印象しかないです」。五菱会は多重債務者をターゲットにし、顧客情報はセンターで管理していた。顧客の返済期限が近付くと、同グループの店舗が新たな融資を持ちかけ、その利息は10日で5割以上。若林氏は、「10日で10割は取っていた」という。そんな法外な金利では、一度借りると利息は増える一方。延々と利息のみを払い続けるという悪質な仕組みを構築した。「DMを大量に撤いた翌朝に出社すると、5台ほどの電話は1日中鳴りっ放しです。入った頃の仕事内容はテレフォンアポインターで、毎月の給料は15万円ぐらいしか貰えませんでした。ただ、5万円の貸し付けを取ると、相手には利息を引いて4万5000円しか振り込まない。そこから振込手数料を引いた金額を、月末に貰えることがありました」。手取りは25万円から30万円ほどだったが、事務所にいる時は煙草も飲み物も無料だ。飲みに行けば社長が払ってくれる。40万~50万円ほど貰っているような金銭感覚だったという。

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若林氏は直ぐ、責任者に抜擢された。責任者といっても、若林氏のいた事務所は、店長を含め3人のみだが、10店舗合わせて50人ほどのグループを形成しており、グループ全体の純利益は月に10億円ほどあったという。それでも、五菱会グループの中ではピラミッドの最下部でしかないというのだから、グループ全体の利益は計り知れないほどだ。若林氏が店舗全体の貸し付けを管理するようになると、月の手取りは100万円ほどにアップした。「僕は店長ではなかったのですが、店長は仕事をせず『お前やれ』というような人でした。グループ全体の会議では、各店舗2000万円ずつ貸し付けるように言われていました。ただ、僕は1300万円しか貸さなかったんです。でも、利益は一番多かった。何故かというと、残りの700万円は不渡りなんですよ。そこを無理して貸しても、回収できる見込みがないんです」。1年半後、知り合いの名簿屋から「君、凄いよ。お金出してやるから自分でやりなよ。君の為に1億円用意するから」と言われて、独立を果たす。「ところが、用意されたお金は1000万円しかなかった。しかも時期が悪かったんです。弁護士の宇都宮健児っているじゃないですか。東京都知事選に立候補しかけた。アイツは当時、“闇金潰し”って言われていて、1年くらいで客が皆、宇都宮健児に相談に行って貸し付けが無効にされて。アイツに潰されたようなもんです」。2002年、闇金が社会問題とされた頃だった。若林氏が闇金業を抜けた翌2003年、若林氏のいた五菱会グループの東京の幹部が、次いでトップの梶山進が逮捕され、闇金全盛期は終焉を遂げた。「今でも闇金はありますけど、弁護士は闇金の顧客を飯の種にしているし、僕みたいな元闇金の人間は借りて返さない方法を知っているから、闇金は儲からなくなりました」。如何に巧妙な仕組みを作ったとしても、それが破られる日がいつかは来る。闇金の黄金時代は、あっさりと終わりを迎えたのだ。 (取材・文/フリーライター 池田潮)


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