【CIA公開文書の衝撃】(上) 『クマラスワミ報告書』に対する日本政府の反論は何故封印されたのか?

20170628 11
1996年に国連人権委員会に提出された『クマラスワミ報告書』。日本では、戦時中の従軍慰安婦を“性奴隷”として取り上げたことで悪名高いが、当時、日本政府はただ手を拱いていた訳ではなかった。これを巡る日米韓の水面下の動きを示す文書が、20年を経て、CIA文書(※正式名称は『ナチス戦争犯罪・帝国日本政府情報公開法関係文書』)としてアメリカで公開された。同報告書は、正式には『女性に対する暴力とその原因及び結果に関する報告書』といい、1994年に国連人権委員会から“女性の暴力に関する特別報告官”に任命されたスリランカ出身の法律家であるラディカ・クマラスワミ(※左画像)が、1996年1月から2月にかけて提出した報告書のことだ。49ページの本体、31ページの付属文書1、12ページの付属文書2から成り立っている。日本では、クマラスワミ報告書と言えば、慰安婦問題を取り上げた付属文書1のことになってしまっているが、本来は本体のほうのことをいう(※因みに、付属文書2は『家庭内暴力に関する立法』)。この本体は、付属文書と全く異なり、現在の女性への暴力を巡る雑多な問題が取り上げられている。「スリランカからクウェートに出稼ぎに行った女性が雇い主にレイプされた」とか、「チベットの少女がインドに売られて性奴隷にされている」とか、「夫であっても妻の同意無く性行為に及べばレイプである」とか、といったように。報告書の本体は、スリランカ出身のクマラスワミならではの、特に開発途上国の女性に対する温かい眼差しと共感と熱意が滲み出ている報告書だ。

これと、慰安婦問題に関して日本政府の法的責任の受け入れと被害者への報償等6項目を勧告した付属文書1を読み較べると、そのギャップに驚きを禁じ得ない。何故、クマラスワミが付属文書1で、50年も前の慰安婦の問題を取り上げたのか、20年以上経った今でも不思議だ。今回、アメリカで公開されたCIA文書からは、日本政府がアメリカ側に送付した『クマラスワミ報告書反論文』と、この問題を巡る日米間の交渉についての国務省の報告書が出てくる。反論文の存在は、3年前に産経新聞が報道し、存在は知られていたが、政府は公開を拒んでおり、これまで“幻の反論文”となっていた。恐らく、アメリカ側で公開された反論文は、産経の報道と同一のものであると思われる。では、そのクマラスワミ報告書反論文が、どのような交渉の中で、何故葬り去られていったのか。本稿では、このCIA文書を元に明らかにしていきたい。順序として、先ずクマラスワミ報告書反論文を紹介し、その後、この報告書を日米韓がどのように受け止め、どのような話し合いをし、それが反論文撤回へとどう結び付いていったのか述べていきたい。なお、クマラスワミ報告書とその反論文の原語は英語だが、引用の翻訳は全て筆者による。反論文の目次を紹介すると、

第1章「要旨」
第2章「日本が女性に対する暴力と“慰安婦”の問題に関してしてきた努力」
第3章「事実の記述に対する反論」
第4章「法的問題についての反戦」
第5章「“勧告”に対する回答」

となっている。39ページにも亘る反論文なので、本稿では全体が要約されたこの第1章の“要旨”の重要部分を訳出し、必要があれば、第2章以降の謂わば“本文”も引用して、補足するということにしたい。

■第1章第1節「女性に対する暴力の問題に関する日本の努力」
「家族とコミュニティでの性的虐待やセクシャルハラスメントを含む女性に対する暴力や【中略】武力紛争のなかで起こったような組織的レイプは、現代社会の深刻な問題である。それは、日本政府と国民が真摯な努力を傾けてきた“慰安婦”問題の歴史から学んだ教調を忘れずに、日本政府が国際社会とともに取り組むことを約束した問題である。【中略】去年の第55回国連総会において国連女性開発基金のなかに女性に対する暴力撤廃基金を設立する案を(日本は)提出したが、これはそのあと採択された。日本は先頭に立ってこの基金に適切な貢献をし、ほかの国際的コミュニティとともに女性に対する暴力を終わらせるための共同行動に加わり続ける決意である」。反論文は先ず、国連人権委員会で当時、何が問題とされていたのか、それに日本はどのように取り組み、貢献していたのかというコンテキストを明らかにしている。これに続いて、反論文は国連の特別報告者というものがどのような義務を負っているのかを明らかにする。クマラスワミが如何にこの義務に違反しているかを明確にする為だ。

■第1章第2節「国連人権委員会の特別報告者の義務」
「日本政府は昨年(1995年)の7月22日から27日までの国連人権委員会特別報告者クマラスワミ女史の訪日を歓迎した。日本政府は問題の現状を確定する上で客観的で独立の報告者を起用する特別報告者制度を高く評価しており、まさにこの理由から特別報告者がどう責任を果たすかは国連人権委員会、ひいては国連全体の信用にかかわると考える」。いい加減だったり、特定の国の肩を持ったり、その逆に貶めたりするような、公正さを欠く報告書を提出するなら、“国連人権委員会や国連の信用にかかわる”という指摘はかなり強烈である。クマラスワミに対する厳しい責任追及と取れる。確かに、本体のほうは、様々な国の例に触れながらも、特定の国だけを非難することはなく、具体的な是正策の勧告もしないのに、付属文書1は日本だけを狙い撃ちしていて、しかも勧告の内容も具体的で厳しいという点で明らかな違いがあり、政治的中立性が疑われても仕方がないところだ。これに続く第3節は、クマラスワミが本来の“付託事項”から逸脱しているだけでなく、全く不適当な方法で報告書を作成していることを明らかにしていく。

■第1章第3節「特別報告者の付属文書1の問題点」
「日本政府は以下のような理由により、この文書(付属文書1)をはっきり却下し、日本がこの分野で行っていることをもっと正確に理解することを望む」
■第3節第1項「特別報告者への付託事項」
「第55回国連人権委員会で採択された決議には、特別報告者への付託事項は“女性への暴力:その原因と結果”についての報告を用意することであると明確に書かれている。今日国際社会では、【中略】女性に対する暴力の問題が深刻化していて、それを終わらせる効果的な手段は未だ取られていない。にもかかわらず、【中略】彼女は50年前の“慰安婦”の問題を、あたかもそれが現在もっとも重要な女性に対する暴力のあらわれであるかのようにとりあげた。しかも日本が関連条約や合意にしたがって誠実に義務を果たしているにもかかわらず、である」。反論者は、「国連人権委員会がクマラスワミに、現在もなお未解決の女性への暴力を終わらせる方策を見つける為に調査と報告を付託しているのに、彼女が50年も前の従軍慰安婦のことを持ち出しているのは、付託事項に違反している」と指摘している。しかも、日本はこの問題に関しては、既に解決の手段を取っているのだ。日本側としても、慰安婦に関しては色々言い分があるにも拘わらず、未来志向で国際社会のリーダーとしての役割を果たしていく為、敢えてそれを呑み込んで、慰安婦に関し痛切なる反省の意を表し、心から謝罪し、合意に基づいて必要な救済措置を取り、前へ向かって進もうとしているのに、何故クマラスワミは日本を過去に引きずり戻し、国連の場で辱めようとするのだろうか? そうすることは、付託事項からの逸脱ではないか?――反論者ならずとも、そう言いたくなる。

■第3節第2項「調査に用いられた方法と内容の問題点」
「特別報告者は付属文書1を構成する140パラグラフのうち34を“歴史的背景”と題するⅢ(※原文ママ、実際はⅡ)に充てている。それらのほとんどは中立性に問題がある(オーストラリア人ジャーナリストの)G・ヒックスが書いた本などに基づいており報告者自身この情報を検証しようと努力した形跡はない。さらに“証言”と題されたⅣで焦点があてられているもののいくつかは、報告者自身が聞き取りをしたものではなく人権委員会のスタッフが代わりに集めたものだ。にもかかわらず報告者はそれらを自分自身が聞いたものと適切に区別することなく使っている。全体として、公平に見て、付属文書で示されている“事実”(※原文でも括弧付き)は、極めて限られた情報源から集められたもので裏付けもとれていないものだというべきである。【中略】その一方で、アメリカ軍が“元慰安婦”にした聞き取り報告書(※『アメリカ戦時情報局心理戦チーム報告書49』のこと、第3章に少し詳しい記述がある)のような、彼女の結論に不都合な客観的資料は無視している。したがって付属文書は、人権委員会に特別報告者が提出する報告書に求められている中立性と客観性の基準を明らかに満たしていない」。この“調査に用いられた方法と内容の問題点”での反論文の指摘は、これまで多くなされてきたクマラスワミ報告書(※正確には付属文書1)の問題点の指摘と大体同じである。つまり、彼女が読める英語で書かれたヒックスの本の内容を鵜呑みにし、誰かが彼女に吹き込んだ吉田清治のフィクションを本当だと信じ、“有罪ありき”という予め決めていた結論に導き、不都合な客観的事実は無視するという態度だ。なお、この第1章の“要旨”には出てこないのだが、朝日新聞の“誤報”で問題となった吉田清治の“慰安婦狩り”の虚偽性の指摘は、“本文”にあたる第3章“事実の記述に対する反論”でしっかり触れられている。以下に訳出しよう。「たとえば、報告書には、自分が“慰安婦”の奴隷狩りに関わったと告白している吉田清治によって書かれた本からの引用が含まれている。しかしながら、この告白の信用性は秦郁彦の“昭和史の謎を追う 上”を含めて、歴史研究者によって疑問視されている。真実性の検証もなく国連人権委員会特別報告者の報告に吉田の“証言”を使うのは不適切である」。このようなことを踏まえて、反論文の“本文”にあたる第3章は、次のように結論している。

■結論
「以上に挙げた理由により、この文書に含まれている事実の記述は、正確とはいえず、裏付けされていない事実に基づいている特別報告者の主張を日本政府が受け入れることは難しい。“慰安婦”の問題は50年から60年以上経過しており、適切な調査をすることは困難である。したがって日本政府は裏付けのない情報に基づき報告書を出す理由を理解できない」。全体として、信頼性に疑問がある通俗本と、裏付けの無い慰安婦の証言等を用いており、しかも検証する努力もしていない“不完全で不十分”な付属文書で、特別報告者が国連に出す報告書に求められる基準を満たしておらず、「日本は到底受け入れられない」と非難している。第1章の第3節第3項では、次のように法的な問題での反論が展開される。

■第3項「付属文書が提起している法的問題についての主張の問題点」
第1目
「付属文書1の法的問題についての主張は、確立された国際法に基づいていない。【中略】国際法の枠組みのなかで日本は先の大戦から生じた問題を解決すべく誠実に努力してきた。特別報告者が付属文書で述べている個人的見解は、これらの法的枠組みも、これら先の戦争から起こった問題を解決するために個々の国が作った法的枠組みも、これらの問題の最終的解決に至る手段を提供しないというものであるが、このような国際法の誤まった理解に基づく議論を国際社会は却下しなければならない」。クマラスワミ報告書の、特にⅨにある“勧告”の特徴は、戦後日本が50年以上にも亘って、多国間協定や二国間協定の枠組みの中で行ってきた補償や協力を一切考慮していないことだ。まるで、「これまで日本が戦後補償で何をやってきたか、私の知ったことではない。兎に角、自分の勧告を受け入れて慰安婦に国家賠償をせよ」と言わんばかりだ。だから、ここは当然、反駁して然るべきところだろう。第2目では、個人賠償の問題を取り上げる。

第2目
「特別報告者は『日本軍によって作られた“慰安所”のシステムは国際法のもとの義務に違反しており、日本政府は国際法のもとで“元慰安婦”の各個人に賠償する義務を負っている』と主張する。しかしながら、講和条約のような戦争によって起こった問題を解決する合意には、いわゆる完償条項が含まれているのが一般的である。これは敗戦国が戦勝国に合意した額でまとめて補償金を支払い、当事国は戦争に関連する一切の請求権を放棄するという条項である。個人の戦時中の損害を計算しそれらを積み上げることは国際法では普通行われない。日本が戦後に締結したサンフランシスコ講和条約および二国間条約の完償条項のもと、個人の損害を含む日本と当該国の間のすべての戦争に関わる請求権は最終的に清算されている。特別報告者は『サンフランシスコ講和条約とその他の二国間条約は、“元慰安婦”への補償をカバーしていない。なぜならこれらの条約の交渉が行われているときこの問題は対象とされていなかったからだ』と述べているが、この議論は前述の条約の規定だけでなく、規定に合意する当事国の意忠を全く無視するものだ」。ここでの重要な問題点は2つある。“完償条項”と、国際法における“個人請求権”だ。そして、両方とも日本が妥協できない点だ。つまり、サンフランシスコ講和条約と日韓基本条約等では、個人の請求権を含む様々な請求権を積み上げて賠償請求するのではなく、取り決めた金額で一括して賠償し、それを以て“完償”とするという取り決めをする。賠償金が支払われた後は、国家であると個人であるとに拘わらず、一切の請求権は“完全且つ最終的”に清算されたとされる。従って、賠償金が支払われた後は、個人の請求権は最早存在しない。それでも請求するなら、賠償金を受け取った国に対してであって、支払った国にではない。日韓基本条約の場合、賠償金ではなく“経済協力”だが、“完償条項”はしっかり入っていて、一切の請求権は“完全且つ最終的に”解決されたことが確認されている。つまり、個人的請求権も解決済みなのだ。クマラスワミは、この両方とも無視している。この後、反論者はクマラスワミが“時際法の法理”を理解できていないことを指摘する。「加えて、ある時点において日本がとった行動が国際法に違反しているかどうかに関しては、その時点で日本がどの条約の署名国となっていて、どの国際法が効力を発揮していたのか知らなければならない。特別報告者はその当時日本が加盟国となっていなかった条約に違反していたとし、根拠もないのに慣習国際法が確立されていたと主張している。特別報告者はまた1949年8月のジュネーヴ条約のように後になって発効したものを引用して日本の戦前と戦時中の行為が国際法違反であると論じている。日本が条約に違反したかどうかの判断は、その時に効力があった国際法に基づいて判断されるべきだということはウィーン条約法会議の第28条によって確立しており、また国際法の法理からもあきらかである」。

ここで反論者が指摘しているのは、「日本が国際法に違反したかどうかは、現在の国際法ではなく、違反とされる行為がなされた時の国際法に照らして判断しなければならない」ということだ。報告書の本体のほうを読めばわかるのだが、クマラスワミは、現在の女性に対する暴力の問題を解決する為に、戦後及び現在の国際法で是正を求めている。抑々、過去の慣習国際法や条約は得意ではないのだ。事実認定の時も、入手できて英語で読めるものを安直に議論のべースにしたように、国際法の議論でも、戦前の国際法や条約を調べ、慰安婦システムが当時のどの条約なり国際法に抵触するかを調べる作業を怠り、ジュネーヴ条約等自分が知っているものを根拠に、「慰安婦システムが国際法に違反している」と言い張っている。これは無理筋である。この第2目は、更に次のように続く。「特別報告者はまた“慰安婦”の募集 や“慰安所”の設置に関わった者たちを戦争犯罪者として罰するべきだと述べている。そもそも戦争犯罪は、ほかに定めがない限り、戦勝国と敗戦国の間で結ばれる平和条約によって最総的かつ完全に処理されるものである。先の大戦に関しては、連合国は極東軍事法廷その他の連合国の軍事法廷での裁判を通して日本の戦争犯罪者を処罰した。日本はこれらの法廷の判決を受け入れ、サンフランシスコ講和条約にしたがってそれらが科した刑を執行した。特別報告者の主張は、法律論議であるかのようになされているが、実際には国際法の恣意的で根拠のない“解釈”に基づいた政治声明である」。戦争裁判の問題も、賠償の問題と似たところがある。戦争裁判が行われ、判決が下されたならば、それは戦勝国と敗戦国の間で“最終的且つ完全”に処理されたことになるという点だ。実際、極東軍時裁判は、1949年を以て立件の為の調査を終了している。それまで立件できたものは裁判にかかっているが、そうでないものはそのままになっている。つまり、戦争で罪を犯しても、1949年までに立件できなかったものは訴追を免れているのだ。最後の「実際には国際法の恣意的で根拠のない“解釈”に基づいた政治声明である」という反論者の言葉は、誠に痛烈であるが正鵠を射ている。扨て、この第3節に関して、第4章の“法的問題についての反撃”から補足するとすれば、第4章第1節第2項第5目の部分だ。「付属文書1の“Ⅸ.勧告”で特別報告者は、日本陸軍が作った“慰安所”のシステムは、国際法順守義務違反だと主張する。“慰安所”が売春のために設けられたかという議論は別としても、【中略】売春所の経営と売春に施設を提供することが初めて処罰の対象となったのは1950年の条約であるということだ。【中略】適用されるべき法と同時代の法規範の内容を一つ一つ精査することが必要である」。日本軍が“慰安所”の設置・施設の提供・規則の作成等に関わったことは周知の事実であるが、こういったことが国際法上罰則の対象となるのは1950年以降である。クマラスワミの主張は、1937年から1945年までの日本軍の行為を「1950年の国際法で罰せよ」と言うのに等しい。また、クマラスワミ報告書は、慰安婦に関して“性奴隷”という呼び名を広めたことでも名高い。従って、反論文がこの“奴隷制”については何と反駁しているのかも注目されるところだ。それは次のようになっている。

■第4章第2節第1項
(B)コメント
「特別報告者が指摘するように最近の国連人権フォーラムにおいて奴隷制が問題になっているのは事実である。このようなフォーラムでさえ、“慰安婦”システムは、問題の行為があったときの国際法の用語での“奴隷制”であるとはまったく考えられていない。さらに前のセクションで“時際法”に言及したように、問題となる状況は、今日の規則ではなく、その時に存在した国際法の規則に照らして判断されなければならない。したがって、“奴隷制に似た扱い”についての今日的判断に基づいて“慰安婦”システムが“奴隷制”であるとする法的根拠は何もない」
(b)「(奴隷制度廃止を訴えた、1926年の)奴隷法の1条の(1)の“奴隷制”の定義は、その当時の国際法のもとで一般的に受け入れられてきた。これについてマックス・ブランク研究所は『国際公法百科事典』で明確にこう指摘している。1926年の奴隷条約の締結以来、国際法で使われる“奴隷制”という用語は、所有者の有する権利に付随する一部、あるいはあらゆる権力が行使される人の地位または状態と定義されてきた。しかしながら、“慰安婦”に関しては1993年に発行し、第45回国連人権小委員会に提出した日本政府の事実調査の結果では、このような“地位または状態”があったとは証明されなかった【後略】」。先ず反論文は、「現代の基準に照らして、慰安婦システムを“奴隷制”ということはできない」と断った上で、慰安婦にあてはめることのできる国際条約である1926年の奴隷条約では、“奴隷制”とは“所有者がもっている一部、あるいはすべての権利が行使される地位または状態”と規定されていることを確認する。1993年8月4日に公表された事実調査『いわゆる従軍慰安婦について』では、そのような地位又は状態があったことは証明されなかったとする。ただ、この事実調査は、慰安所がどのように設置され、管理されたか、慰安婦はどのように募集され、輸送されたか、出身地はどこかといったことが書いてあるもので、慰安婦が奴隷制の“地位または状態”にあったことを示していない代わり、無かったことも積極的に証明しているとは言えない。それに、インドネシアで起こった『スマラン慰安所事件』のように、現地在住のオランダ人女性が日本軍人によって無理矢理、慰安所に入れられ、慰安婦にされたという例もあるので、一部のケースでは奴隷制状態にあったと言えるだろう。当時、日本の領土で募集された慰安婦に関する法律としては、1900年制定の『娼妓取締規則』があり、その中に“廃業の自由”があったことを指摘したほうがよかったのではないか?

勿論、前渡し金を貰って“身売り”しているので、借金は残るのだが、それを覚悟の上で「辞めたい」と言えば辞めることができた。これは、奴隷である身分や状態をどうしようもできなかった南北戦争前のアメリカの奴隷とかなり違う点だ。何れにしてもクマラスワミは、「慰安所等に入れられ、軍に管理されているのだから“奴隷”だ」と今日的な基準で言っているに過ぎないのだ。抑々、当時はアジアやアフリカは言うに及ばず、ヨーロッパ等にも売春施設が沢山あり、売春施設を経営したり、売春に施設を提供したりすることを罰したならば、売春という合法的ビジネスは成り立たなくなっていたのだ。「軍が関わると“奴隷制”で民間業者だとそうではない」という理屈は成り立つのだろうか? それに、戦地や占領地なのだから、軍が設置した慰安所で女性たちに営業させ、軍がその施設の運営規則を定めたり、性病チェックに関わったりするのは当然だろう。ドイツ軍も同じことをしている。アメリカ等連合国の軍隊でさえ、民間の買春施設を使用した時、同じようなことをした。戦地でも占領地でもないところで、軍が乗り出してきて色々コントロールしたというならば別だが、“廃業の自由”があった以上、この当時の基準では奴隷制とは言えないのではないか? 実際、慰安婦が里帰りしたり、観光旅行をしたりした例も見られる。このように、反論文は殆ど全ての論点において、クマラスワミを完全に論破している。兎角批判されがちだが、外務省には優秀な人材がいるのだということがわかる。ただ、読んでいて懸念されるのは、クマラスワミが人権委員会に選ばれて特別報告者になっていることを思えば、「ここまで完膚なきまでに叩いていいのか? それが却って人権委員会の理事国の反発を買うことになりはしないか?」ということだ。況して、当時の人権委員会の理事国は、日本の他には中国・韓国・北朝鮮・フィリピン等、嘗ての日本の戦争の“被害国”が入っていた。北朝鮮がここにいるのは悪い冗談としか取れないが、これが国連というものだ。クマラスワミが人権委員会のスタッフに丸投げして取ってもらったあの酷い北朝鮮の慰安婦の証言がそのまま報告書に載っている理由も、これでわかるような気がする。このような状況をみただけでも、反論文がかなり不利なコンテキストの中で読まれたと想像がつく。もう一点、懸念されるのは、反論文が、一方では過去の歴史を反省し、元慰安婦の方々にお詫びし、「救済措置を講じる」としながら、もう一方では、クマラスワミの事実認定が「不正確で裏付けが無い」と厳しく非難していることだ。日本人なら矛盾を感じることなく理解できることなのだが、日本の歴史も文化も知らない人たちが、このような捻じれた議論を聞いた時、どう思うだろうか? 「反省して謝罪したのなら、黙って報告書全体を受け入れればいいのに、『反省している』『謝罪している』と言いながら、開き直って特別報告者の揚げ足を取っている」と取られるのではないだろうか?

日本側には河野談話(1993年)以来、「強制性を認め、軍の関与を認めてきた以上、これを覆す訳にはいかず、かといって北朝鮮と韓国の主張を鵜呑みにするクマラスワミに反駁しない訳にもいかない」というジレンマがある。これも日本人ならジレンマと思うのだが、中国・北朝鮮・韓国以外の人権委員会の理事国の中にも、“歴史修正主義”とみる国があることは否めない。扨て、この付属文書1を巡る1996年2月から3月にかけての日米韓の水面下の動きを、国務省文書(※前述CIA文書として出てくる)から見てみよう。2月29日、当時の日本の池田行彦外務大臣は、付属文書1に対する反論文を送ると共に、アメリカ代表にこれを却下するよう求めた。同年3月1日にも、駐米大使の斎藤邦彦がこの件で国務省を訪ね、国連大使の小和田恆もアメリカ国連大使のマデレーン・オルブライトに同件を相談した。これに対するアメリカ国務省の3月7日付の返答は、以下のようなものだった。「国連人権委員会特別報告者のクマラスワミ女史の付属文書についてあなたたちの意見を私たちに伝えた2月29日の手紙に感謝を申し上げます。【中略】私たちは問題の報告書を読みました。そして大日本帝国軍が何千人もの女性に対して犯した深刻な人権侵害に関する特別報告者の指摘に賛成します。この点に関し、貴国が謝罪と反省を表明することによって、また、“歴史の真実と向き合う”意思を具体的な行動によって示すアプローチを評価します。特別報告者が提起した法的な点に関しては、サンフランシスコ講和条約およびこれと類似の二国間協定の請求権の包括的処理が個人的請求権をカバーしているというのが私たちの意見です。私たちは特別報告者の法的分析とそれと関連した勧告の別の面に関して深刻な問題を持っております。しかしながら、付属文書の他の点に関しては賛成しており、貴国政府のこの点でのイニシアティヴを歓迎します。来るべき国連人権委員会で我が国代表は貴国代表、および心を同じくする他の代表とともに女性に対する暴力という深刻な問題と取り組むことを楽しみにしております」。この手紙からわかることは、国連人権委員会が開かれる1週間ほど前から、アメリカ国務省に反論文を送り、付属文書1の却下を働きかけていたということだ。そして、アメリカ側の回答は、「反論文の後半に書いてある法的な問題については日本を支持するが、前半に書いてある事実認定に関しては、大枠としてはクマラスワミを支持する」というものだ。3月15日付の池田外務大臣宛の国務長官代理の正式の回答では、後半部分についての日本支持がより強く打ち出されているが、やはり事実認定については報告書への同意を示している。これらを日本側はどう受け止めただろうか? 法的な問題についてのコメントは、間違いなく心強く感じただろう。その一方で、慰安婦についての事実認定については落胆しただろうか?

この書簡の前後の国務省文書を読めば、それはないことがわかる。アメリカ側は以前から、事実認定に関しては日本側にとって厳しい姿勢を示していたからだ。何故そうなのかについての説明は長くなるので、稿を改めてしたい(※詳細は次回)。3月11日の国務省文書は、日本側のある人物(※恐らく小和田)がアメリカ代表(※恐らくオルブライト)と昼食を共にした時に、次のように語っていたと記している。「次の国連人権委員会の会合では“慰安婦”のことが最も厄介な問題になる。日本はすでにこの問題に関して、国連人権委員会特別報告者の法的逸脱を強調して西側の9ヵ国に外交的働きかけをした。日本は現在アジア諸国に働きかける準備をしているが、歴史的に微妙な状況のために適切なアプローチを見つけるのに今少し時間がかかる。つまり、多くのアジアの国々が日本の戦争被害国なのだ。アジアの国々に関しては日本がこの問題を補償するためにとってきた施策を強調するだろう。つまり非政府系の“慰安婦”基金の設立だ」。この“西側9ヵ国”とは、3月7日の国務省文書からアメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、イギリス、オランダだったことがわかる。外交的働きかけの内容も、これらの国(※オランダを除く)の外務省に、アメリカに送ったのと似たような反論文を送ることだった。後半で言及されているアジア諸国も、韓国、フィリピン、インドネシア、マレーシア、タイ、シンガポール等で、働きかけは、法的な問題に関する反論を少し仰えた、そして最近及び計画中の人道的貢献を強調した反論文を送ることだった。なおオランダは、スマラン慰安所事件のこともあり、慰安婦問題の被害国グループに入るので、アジア諸国版の反論文が送られている。日本はアメリカにだけ反論文を送ったのではなく、また、アメリカにだけ支持を求めたのではないことがわかる。3月27日付の国務省文書は、この後2週間のうちに、日本側と韓国側と別々に、アメリカが4回会ったことを明らかにしている。その内容は次のように暴露されている。「韓国代表がこの問題に関して我々にアプローチしてきた。彼らは、女性に対する暴力についての報告書の決議案をカナダ(※議長国)が作るという仕組みを通じて日本が特別報告者の報告を“否認”しようとしているという噂を耳にしている。彼らの関心は、特別報告者の報告を決議が“十分に反映”するようにすることで、水で薄めることは許さないということだ。しかしながら、韓国側は細かい部分については曖昧で、どのように進めたいのか、決議のなかにどんな特別な言葉を盛り込ませたいのか明確な指示をソウルから受けていないことがわかる。とはいうものの、とくに関心を持っているのは、日本が戦争中に起こったことに対しては責任がなく、“慰安婦”のシステムもその時の戦争法規では違法ではなかったと主張している点だ」。

私たちは、韓国が巧みな外交で日本の上手を行っているように思っているが、意外にもそうではないということがわかる。少なくともこの時は、本国から明確な指示が出ていなかった。それでも、慰安婦のシステムが戦時中は合法だと認めれば、補償を日本に求める根拠が失われるので、ここだけは譲れないとして守ろうとしたということだ。これに対して、「日本側の目指す目標は明確だった」と国務省文書はいっている。「日本の方は目標がはるかにはっきりしていて、それは“慰安婦”についての付属文書をクマラスワミの報告書の他の部分から切り離し、これを却下したいということだ。そして、これができないときは勧告に同意しないという。彼らは報告書の法的問題についての結論は間違っていて1965年の二国間協定(※日韓基本条約)は日本に対する個人の請求権を消滅させていると主張する。日本側は、この問題に対する日本の取り組みを批判するような展開はどのようなものであれアジア女性基金への寄付金を募る政府の努力を危険にさらすだろうとアピールした。この基金というのは名乗り出た犠牲者たちに“償い金”を支払うために使われるものである」。ここではっきりするのは、日本政府はクマラスワミ報告書の本体を却下しようとはしていなかったということだ。これを却下するような主張を日本がするなら、「女性を暴力から守ろうとする国連全体の動きを後退させるものだ」と悪者にされるだろう。それに、本体はそんなに悪いものではなかった。だから日本は、本体まで却下して、国連人権委員会で非難の的となることは避けねばならなかったのだ。このような訳で、「本体と付属文書1を切り離し、付属文書のほうだけ却下させよう」と働きかけるという戦術をとった。問題は、報告書の付属文書も本体もクマラスワミが作成したということだ。作成者が別々だったら切り離しはできたかもしれない。だが、作成者が同じなので、「切り離せ」と言われても同意はしないだろう。しかし日本としては、「慰安婦の個人的請求権はサンフランシスコ講和条約と日韓基本条約で消滅している」という立場は譲れない。従って、日本は付属文書1の勧告にだけ不同意を表明することになるが、問題はこれによって孤立することがあってはならないということだ。少なくとも、アメリカはこの点は支持してくれることはわかっていたので、心強かっただろう。これに続く部分では、アメリカ側は日本のやり過ぎに対して忠告している。「同時に彼らは報告書のなかの事実に難癖をつけてその結論に対する次のような反論も送ってきた。A.この反日キャンペーンの背後にあるのは北朝鮮だ。B.これはすべて韓国の選挙対策のためになされていることだ。C.これらの結論はすべて戦後の人権の基準で判断されている。D.朝鮮人やほかのアジア人が“慰安所”を経営していて、承知の上で自分たちの娘を差し出した。E.これをゆるせば同じような訴えがなされるようになる。私たちは、最初の2点は、たとえ本当であるにせよ、関係がないと思う。“慰安婦”のシステムは、合法的売春とは全く違っていて、朝鮮は日本軍の占領下にあり“慰安婦”の置かれた状況は独自だということに私たちは注目している。私たちは日本代表にこういった反論を他の国の代表にしないよう強く忠告した」。

やはり、アメリカは事実認定に関しては日本に厳しいのだが、その原因の一端がここで明らかになっている。つまり、「戦争当時の朝鮮が日本軍の占領下にあった」という認識だ。これは根本的に間違っていて、当時の朝鮮は日本の領土であり、日本軍が占領する必要などなかった。また、日本本土の『娼妓取締規則』に準じた『貸座敷娼妓取締規則』が施行されていて、娼妓は沢山存在していたので、“軍による強制連行”など必要が無かった。この“朝鮮半島が日本軍の占領下にあった”という誤った認識が、スマラン慰安所事件のような“軍による強制連行”が朝鮮半島でも多発したと信じるもとになっているのだろう。だから、「日本軍の慰安婦システムは合法的売春とは全く違う」と思っているのだ。同日の国務省文書は、更に次のように続く。「私たちは日韓双方に、国務長官代理の書簡を示しながら、法律に関する結論と勧告のいくつかの点において私たちは日本側と同じ意見であるが、問われているのは本質的に法律の問題ではなくモラルの問題なのだと話した。そして、私たちは双方に最も重要なことは、数が減少しつつある生き残りの女性たちに援助が与えられるようにすることだと助言した」。確かに、老齢化が進んでいる慰安婦を救済することが第一なのに、日韓はそれをそっちのけで、互いの立場に拘っている。「問われているのは法律の問題ではなくモラルの問題なのだ」という指摘は傾聴に値する。実際、日本がアジア女性基金という民間機関を通してしていることは、条約や国際法の問題ではなく、モラルの問題に応えるものだと言える。締め括りに、同日の国務省文書は、次のように日韓両国代表を諌める。「私たちは日本側に、あなたたちは極端な法的議論をするという危険を冒そうとしていると忠告した。【中略】国速人権委員会の決議は一般的にいって、いろいろな国を訪問して様々なテーマを取り上げた報告書にある勧告を是認することはない。私たちは韓国側に、特別報告者の勧告を是認するために決議を利用しようとしても他の国の代表からほとんど支持を得ることはできないだろうと助言した。結局、実りのない議論のあと、全体としての報告書はとくに勧告に言及することなく、“歓迎”ないしは“留意”になるだろう(※採択の評価には、上から1“賞賛 commend”、2“歓迎 welcome”、3“評価しつつ留意 take note with appreciation”、4“留意 take note”の4段階からなる)」。アメリカ側が日本側に言っているのは、「あまり『個人的請求権は消滅している』と強く言うと、各国の同情が年老いた慰安婦に集まり、日本の正論が通らなくなる危険がある」ということだ。「抑々、クマラスワミ報告書のような総花的に様々な国の雑多なテーマを取り上げた報告書の勧告は、決議にあまり取り上げられないものだ」と知恵を付けてくれている。その一方で、「この報告書にある勧告を利用して、日韓基本条約の合意事項を韓国側が反故にしようとしても、それを支持する国は殆ど無い」と韓国側にクギを刺してもいる。

実際、クマラスワミ報告書が提出された後の人権委員会の動きは、アメリカが言ったようになった。つまり、クマラスワミ報告書は、1996年4月の国連人権委員会で、本体と付属文書が切り離されることもなく、その作業は“歓迎”するが、内容については“留意”という評価を受けた。付属文書1の勧告は特に議論されることもなく、日本が不同意を示したこともあって、決議となることはなかった。日本側に不満は残ったが、それ以上に韓国側はこの結果に不満だったかもしれない。痛み分けというよりは、日本は議れないところを譲らずに済んだのだから、外交的勝利と言っていいかもしれない。その勝利に、西側8ヵ国に配られた反論文は貢献したかもしれない。だが、クマラスワミ報告書が本体も付属文書も含めて“留意”という国連人権委員会の評価を得たのだから、そして本体そのものは確かに現代の女性に対する暴力の問題解決に貢献するものなのだから、その作成者の無知を指摘し、杜撰な事実認定を厳しく非難した反論文は、それ以上、人目に触れてはならない。それは、国連の参加国が日本に反感を持つもととなり売る。況して、日本は先の戦争において連合国側にいなかった戦争加害国なのだから、ひたすら反省の姿勢を示し、反論などしてはならない。国連は、そのような“空気”が流れているところらしい。しかも、日本は一貫して日本軍の関与を認め、強制連行を否定せず、謝罪し、反省し、“償い”をする方向でやってきた。それは逐一、アメリカ、そして国連に伝えられている。その流れは、CIA文書を通読するとはっきりしている。それなのに、反論文では一転して否定に転じる。日本側のコンテキストではおかしくなくても、アメリカ側、そして先進国やアジア諸国から見れば、明らかに突如として“逆行”を始め、“歴史修正主義”に転じたように見えるのだ。3月25日の国務省文書は、次のようになっている。「私たちの助言は、日本は法的な問題についての結論に不同意だということだけを文言にいれればよい、そして日本が今講じている手段についての記述を入れ、基金が増額され、女性たちに必ずお金が支払われると強調すればいい、というものだった。日本の抱えている問題は、法的な面では彼らに理があるのだが、これは法的な問題ではないということだ。うまく行くように祈ろう」。そして実際、日本はアメリカのアドバイスの通りにし、法的な問題に関しては“うまく行った”のだ。


有馬哲夫(ありま・てつお) 社会学者・早稲田大学社会科学部社会科学総合学術院教授。1953年、青森県生まれ。早稲田大学第一文学部英文科卒。東北大学大学院文学研究科英文学博士課程単位取得満期退学。ミズーリ大学客員教授、メリーランド大学客員研究員等を経て現職。著書に『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』(平凡社新書)・『アレン・ダレス 原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘』(講談社)等。


キャプチャ  2017年5月号掲載




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