【平成の天皇・象徴の歩み】(02) 被災者思い、ヘリ利用

20170705 09
「ここが阿蘇大橋上空」「ここが東海大学生アパート上空」「ここが益城町上空」――。自衛隊員がフリップを掲げる度に、天皇・皇后両陛下は窓に向き直り、黙祷を繰り返された。昨年5月19日に熊本県を訪れ、自衛隊ヘリコプターで熊本地震の被災地を巡られた両陛下。4月16日の“本震”から未だ1ヵ月余りで、復旧作業が続いていた為、熊本空港でへリに乗り換え、上空から視察された。搭乗した輸送へリ『CH47』は通常、両側に約50人が横に並んで座るが、改造して陛下が窓際、皇后さまが隣に座られた。窓が小さく、反対側は見えず、騒音も大きい為、フリップでの説明となった。新潟県中越地震や東日本大震災の直後のお見舞いでは、要人用の特別輸送へリ『スーパーピューマ』が使われたが、ノルウェーで前月、同型機の墜落事故が発生、使用が控えられた。「スーパーピューマではないので、騒音や振動がきついです」。宮内庁幹部が事前に説明すると、「以前にも乗ったことがあるから大丈夫」と全く意に介されなかった。この日は特別機・ヘリ・車を乗り継ぎ、計約1800㎞を移動し、皇居に戻られたのは20時を回っていた。大規模な自然災害が相次ぐ中、可能な限り早く被災地入りされてきた陛下。「地元の負担を避け、日帰りで現地入りするには、体への負担は大きいが、機動性が高いへリでの移動になってしまう」と同庁幹部は言う。

東日本大震災直後の被災地お見舞いは、へリだけで計4時間20分余り、約522㎞を移動された計算になる。「混乱が続く被災地で、1人でも多くの被災者と会うことを願うからこそ、負担が大きくてもへリを使われてきたのでは」。1993年7月12日、北海道南西沖地震により甚大な被害を受けた奥尻島で、両陛下の姿を見た防災専門家の山村武彦さん(74)はそう考える。島は最大で高さ29mの津波に襲われ、198人が犠牲になった。1週間後に調査に向かうと、家族を失った悲しみと支援物資が届かない不満で溢れていた。真夏で蒸し暑く、避難所で騒ぐ子供に苛立ち、声を荒らげる住民もいた。函館空港でヘリに乗り換えた陛下が島に降り立たれたのは、同月27日だった。「大変だと思いますが、くれぐれも体を大事に」と声をかけられると、住民らの表情が和らぎ、ぎすぎすした島の空気は一変した。「半世紀近く被災地を歩き、首相や大臣の現地視察を見てきたが、あれほどではなかった」と山村さんは言う。陛下は、即位後初の被災地訪問もへリを利用された。1991年7月10日、長崎県雲仙・普賢岳で43人の死者・行方不明者が出た大火砕流から37日後だった。当時の島原市長・鐘ヶ江管一さん(86)は、お見舞いの計画を聞いた時、信じられなかった。「普賢岳は未だ活発だ。防災警戒が続く現場に来てくれるのか?」。へリから降りた陛下は避難所で、「お時間がありません」と侍従に促されても動かず、住民に声をかけ続けられた。感激したお年寄りが目に涙を浮かべていた。熊本県南阿蘇村の橋本綾さん(41)も昨年5月、避難先の体育館で、スリッパも履かず、正座して村民の話を聞かれる陛下に接した。約3ヵ月後の8月8日、陛下のビデオメッセージを村の人たちと一緒に見た。「高齢による体力の低下を覚え」「全身全霊を以て象徴の務めを果たしていくことが難しく」。静かに響く陛下の声を聞きながら、「大変な負担を押して被災地に駆けつけて、私たちを労ってくれたのだ」と気付いたのだった。


⦿読売新聞 2017年6月13日付掲載⦿
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テーマ : 天皇陛下・皇室
ジャンル : 政治・経済

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