【アホでマヌケな韓国人】(04) 慰安婦問題の根源と裏で暗躍する宗教団体

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「慰安婦像について原稿を書いてほしい」という依頼を編集部から受けた時、筆者は3つの点で躊躇せざるを得なかった。1つ目は“量化”の問題である。量化とは、例えば“日本人”という単語が文章や議論の中で出てきた時に、それが“全ての日本人”なのか、若しくは“ある日本人”なのかを特定する、即ち“単語の前に量の概念を加える”という考え方で、論理学等思考の厳密性が要求される学問の中で発展してきた概念だ。ところが、ナショナリズムや民族、或いは性別の問題が語られる際、かなりの頻度でこの考え方が無視される。例えば、「“ある日本人”が海外で犯罪を行って現地の警察に逮捕された場合、その事件に“全ての日本人”が謝罪する必要があるのか?」という問題を議論する場合、この2つを混同することで議論は混迷することになる。実際、「日本人とは何か?」という議論になった時に、“全ての日本人”と“ある特定の日本人”が、1つの文脈で次々と入れ替わって議論が進行する場合が、あまりに多いのである。2つ目は売春に対する考え方である。筆者は“売春非犯罪化”を支持する。これは、“あらゆる売春を犯罪と見做さない”という考え方で、セックスワーカーが客から暴力を振るわれたり、性行為の対価を支払われなかった場合、周囲や警察に相談し易い状況を作るという狙いがある。ところが、問題の慰安婦(※当時の呼称は“娼妓”)は典型的な公娼、或いは管理売春制度で、筆者の考え方とは相容れない。公娼とは国家、或いは行政が法律の枠内で売買春を認可する制度なので、一見すると「国から認められているんだからいいじゃないか?」と思ってしまいがちだが、実はこの制度には大きな穴がある。セックスワーカーの年齢だ。

例えば、日本で1900年に発布された『娼妓取締規則』によると、娼妓になれるのは満18歳以上の女性と定められているので、それ以下の年齢の女性が売買春に関与すると“私娼”と見做され、処罰の対象となる。つまり、セックスワーカーの年齢が低いほど警察に相談し難いどころか、犯罪者として処罰されるという変な制度なのだ。筆者は、このような欠陥制度を「素晴らしい」とか「当然だ」とは思えない。3つ目は日本人の性愛観・結婚観のキリスト教化である。日本では現在も、神社とお寺にお参りに行くのは自明の行為になっている。ところが、婚姻制度“だけ”は、8世紀に中国から律令制を輸入したせいで、上流階級に限って儒教式だったのだ。そして、19世紀になって明治政府が欧米諸国と交流を始めると、近代化の一環として婚姻制度も見直され、キリスト教式に変わっていく。この2つは宗旨が全く違うが、父親的な存在に服従する点が共通しており、そのせいで改宗し易かったのである。しかし、前述したように日本人の大多数は神仏習合に馴染んでおり、儒教について学習していたのは武士と商人の一部のみ。しかも、江戸時代にキリスト教は様々な事情から禁止されていた為、現在でも日本の宗教人口に占めるキリスト教の数は1~2%前後と言われている。大多数の日本人がキリスト教的な恋愛・婚姻観を持ってしまった傾向は、1945年に太平洋戦争でアメリカに敗れて決定的になった。キリスト教の性愛感・婚姻感で特徴的な戒律として、元ネタとなったユダヤ教から引き継いだ、生殖行為を目的としないあらゆる性行為を禁止するという、世界的に見ても特異なタブーが挙げられる。次にキリスト教独自の規則として、離婚の禁止と夫婦家族主義がある。この2つの決まり事は、どちらも新約聖書の『マタイによる福音書』第19章5節「人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」というイエスの言葉を根拠としている。つまり、結婚は男女の一体化なので、離婚は認められない。そのせいで、キリスト教は婚姻する当人たちの同意を非常に重視する。これが性行為や恋愛まで拡大したのが現代日本における恋愛観や婚姻観で、同意の無い性行為や一方的な恋愛感情を重大な犯罪と見做すのである。家族主義は、夫婦と子供のセットのみを家族と見做す考え方だ。因みに、キリスト教が広まらなかった日本では、この“夫婦家族主義”を“近代家族”と呼ぶが、これは明白な嘘で、根拠は前述した「人は父母を離れ」というイエスの言葉である。

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問題はここから先である。日本ではキリスト教は浸透しなかったのに、恋愛観と婚姻観“だけ”がキリスト教化してしまった。典型的な例が現行の日本国憲法第24条で、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とあるが、これは前述したように、同意婚の重視及びに同性愛の否定というキリスト教的価値観が強く反映されている。明治民法による婚姻規定では、戸主の許可が無ければ結婚できず、それが戦前日本人の結婚観にされていた。それを、戦後アメリカによって持ち込まれた、キリスト教の影響下にある“民主主義”の影響を受けて変更された形だ。ところが、極右、或いは戦前回帰と批判の多い自民党憲法改正案でも、この文言は消去されていない。改正案では家族の重要性が明記されているものの、結婚が「両性の合意のみで成立する」という文言は残ったままだ。つまり、「家族は重要だが婚姻は当事者の同意のみで成立する」という文言になってしまっており、どちらがより優位な価値観なのかがぼかされている。これは恐らく、明確に戦前回帰すると大多数の人間にそっぽを向かれるので、書けないのだ。このように、夫婦家族主義が定着してしまった今の日本で、慰安婦問題を根本から議論することは困難を極める。何故なら、キリスト教的価値観におけるセックスワーカーは、性道徳を破壊する“悪”か、そうでなければ一夫一婦、若しくは恋人関係の枠を外れ、不特定多数の男性から性徴の捌け口にされた“被害者”かという二元論になりがちで、しかもそれを永遠不変の真理として見做しがちで、議論はそこから進まないからだ。

慰安婦も含め、日本におけるセックスワーカーの問題から、キリスト教の影を追い払うのは不可能に近い。というのも、この問題には狂信的なクリスチャンたちによる組織が少なからず関与しているからだ。その組織の名前を『日本キリスト教婦人嬌風会』、略して嬌風会という。日本で嬌風会が誕生したのは1886年で、1873年にオハイオ州ヒルズボロで結成された『女性キリスト教禁酒連合(WCTU)』から派遣されたメアリー・レビットの講演会をきっかけに、56人のキリスト教信者の婦人たちによって立ち上げられた。当初の名称は『東京婦人嬌風会』。初代会頭は矢嶋楫子である。1893年の段階で嬌風会の活動は全国規模に拡大し、名称も『日本基督教婦人嬌風会』へと変更されている。日本の嬌風会の特徴として、禁酒も勿論であるが、それ以上に酒席につきものの芸者、或いは娼妓の存在を問題にしたことが挙げられる。明治以降の日本における婚姻観は、儒教とキリスト教が鎬を削っていた時期である。特に8世紀から上流階級で定着した儒教では、血統男児を出産するという目的で妾の存在が認められていたのが、両者の争点となった。一夫一婦+妾制である。よく勘違いされるが、一夫一婦+妾制は一夫多妻制ではない。前者は正妻と妾の間に厳然とした身分差があるのに対して、一夫多妻制では原則として複数の妻に差別を設けてはいけない。しかし、宗教的な理由から一夫一婦であることを重視するキリスト教徒からすれば、どちらも撃滅すべき“敵”に過ぎない。また、矯風会がこの問題を特に強く意識せざるを得なかった理由として、『婦人愛国会』の存在を挙げられる。婦人愛国会は、浄土真宗の一派である真宗大谷派の住職を父に持つ奥村五百子の主導で、1901年に設立された女性団体だ。矯風会のメンバーは、後発組の婦人愛国会の設立当初こそ好意的な見方をしていたが、婦人愛国会の会員数が嬌風会の会員数を圧倒すると徐々に方針を変更し、1904年に愛国婦人会京都支部が祇園・島原の芸者約50人を入会させたことで敵対関係に陥る。仏教系の『愛国婦人会』も、儒教的な一夫一婦+妾制を批判していた。しかし、キリスト教ほどセックスワーカーを敵視しておらず、熱心なキリスト教徒の集まりである嬌風会が妥協することは不可能だった。両会は、日露戦争に対しては協力的な態度を取ったが、1921年、矯風会の矢嶋はワシントン軍縮会議に出席し、平和を訴える側に回る。このように、矯風会の態度が一貫しないのは、「何が何でも日本でキリスト教徒を増やそう」という意図があったからである。こうした形振り構わぬ活動が、日中戦争下の1937年、矯風会を『日本婦人団体連盟』への結成参加に走らせた。これらの女性活動団体は敗戦によって瓦解した。しかし、多くの女性活動家や嬌風会にとって、この敗戦は追い風となった。アメリカの支配下で、日本にキリスト教的価値観が浸透し始めたからである。

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1946年、日本を占領していたGHQが、公娼の廃止を要求した。これに、改正衆議院議員選挙法によって選挙権を獲得した女性の支持で当選した女性議員たちが、議員立法として執拗に売春禁止法を提出した。そして、1956年に売春防止法が成立し、特殊飲食店の大半は廃業せざるを得なかった。しかし、全てが消滅した訳ではなく、警察は1948年に成立した風俗営業取締法で、セックスワーカーと娼館を管理し、売春防止法で取り締まるという矛盾した対処を現在まで繰り返すことになった。この流れと平行して、当時の文部省は1947年に『純潔教育の実施について』を各都道府県に通達。1949年には『純潔教育基本要綱』を発表する。これらが、日本における公的な性教育の始まりとされる。こうして、1950年代に幼少期を過ごした日本人の多くが、それ以前の日本人とは比較にならないほど、恋愛・セックス・結婚等の価値観がクリスチャンに接近していった。具体的には、見合いではなく恋愛(※つまり当人同士の同意重視)を経て結婚をするのが理想とされ、恋愛や結婚ができない人間は「人格に問題がある」とされ、同意の無い性行為や恋愛感情は全て悪とする考え方である。1964年になると、それまで制限されていた日本人の海外旅行が自由化された。ここで、現在に繋がる従軍慰安婦問題の種が撤かれる。翌1965年に『日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約』(※通称『日韓基本条約』)が結ばれ、海外旅行先として韓国が上がったからだ。韓国併合で日本の支配下に入った朝鮮半島は、日本が敗戦して独立したが、米ソ対立で南北に分裂。朝鮮戦争で国土は荒廃した。そこで、アメリカの支配下にあった大韓民国は、外貨獲得を目的に、観光産業の育成を国策として行うことになる。

その一端を担ったのがキーセン(妓生)である。キーセンは、朝鮮半島におけるセックスワーカーを意味する。彼女たちは、『韓国観光協会』が発給する接客引証を所持していれば、売買春に従事していても淪落行為防止法(※韓国における売春防止法)で取り締まられなかった。要するに、一種の公娼だったのである。このキーセンを目当てに、日本からの観光客が増えた。ところが、韓国はクリスチャンの多い国である。先に述べた通り、儒教が根強い韓国は、父権的なものに服従するキリスト教と親和性が高いからだ。以上のような理由から、韓国国内では早い時期からキーセンへの反対運動が起きた。これが日本に飛び火したのは1973年7月、クリスチャンがソウルで開いた『第1回韓日教会協議会』の席上だった。反対声明を発表したのは『日本男性の買春観光を抗議する韓国教会女性連合会』で、中心人物は金允玉だった。これを受けて、『日本キリスト教協議会』と嬌風会が声明を出し、買春観光を批判し始める。ところが、日本ではキリスト教徒があまりいない。その上、完全にキリスト教化されていないから、“売春=必要悪”までは同意できても、“売買春=悪”・“売春婦=同意の無い性行為に従事させられた被害者”という認識を共有することは難しかった。そこで嬌風会は、関連団体を使って運動の幅を広げようとする。クリスチャン女性でなければ参加が難しい嬌風会と異なり、関連団体は非キリスト教徒や男性も参加が可能にしておく。その代わりに、重要な政治的決定権や活動内容のアウトラインは嬌風会、或いはそれに近しい人間が握るという仕組みである。慰安婦問題も、この“東アジアにおけるキリスト教徒の政治活動”という流れを踏まえた上で理解する必要がある。『キーセン観光に反対する女たちの会』が撤いたビラには、「かつて日本は挑戦を植民地とし、多くの娘たちを従軍慰安婦として狩り出した」と書かれたものがあり、この時点でキーセン観光と慰安婦が同一視されているのが確認できる。1977年には『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社・吉田清治)が出版される。“吉田証言”の虚偽については今更詳述する必要はないだろう。しかし、虚偽報道を継続する朝日新聞は、1984年11月2日に『私は元従軍慰安婦 韓国婦人の生きた道 邦人巡査が強制連行 21歳、故国引き離される』という記事を発表する。この記事の執筆者が松井やよりだった。一方の韓国だが、この段階では未だ日韓併合中の生存者が多数おり、挺身隊と慰安婦を、故意か否かは不明だが混同して認識していた。しかし、当時の韓国政府は「キーセン観光が外貨獲得に重要な役割を担っている」という理由から取り合わず、反対運動は不発に終わる。また、キーセン観光反対運動がそれほど日本で拡大しなかったのは、恐らく、当時の日本人は男女共に売買春に対する忌避感がそれほど強くなかったからだろう。

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だからといって、クリスチャンの活動家が廃娼運動を諦める筈はない。1980年代も海外買春ツアーやキーセン観光への批判は続いていた。また、彼女らは「公娼制度は売春を国家が肯定したもので、到底容認できるものではない」と主張し、その批判は日本政府だけでなく、韓国政府にも向けられていた。慰安婦問題が日韓の外交事案になってしまったのは、彼らの執念が実を結んだ結果だが、その背景には両国の変化があった。1つ目は、韓国の経済成長だ。韓国のGDPは、キーセン観光が始まる1960年度が約19億ドル。これが、1990年には2518億ドルまで上昇した。この金額を売買春で稼ぎ出すのは不可能で、政府がキーセン観光を保護する理由が消えたのだ。2つ目は、やはり韓国内のクリスチャンの増加で、これは主に地方から都市部に出てきた人々が改宗した結果によるとされる。3つ目は、日本における純潔教育の成果である。1949年から始まった純潔教育は売買春防止を目的としたもので、キリスト教的な性愛観を踏襲していたのも相俟って、性風俗に対して批判的な価値観を浸透させた。この教育を受けた最初の世代が、1990年代の段階で50代から60代になっており、彼らの一部が行政や会社で決定権を握る地位に就いていることが多かった。慰安婦問題が社会現象となったのは、1988年に尹貞玉(※右画像)が『韓国教会女性連合会』に『挺身隊研究委員会』を設置させたことがきっかけだと言われている。当時の尹は梨花女子大学に勤務していたが、ここはキリスト教系の大学で、キーセン観光反対運動の際にも、同校の学生や卒業生が中心となって活動をした経緯がある。同様に、慰安婦問題で日本政府の謝罪を要求する学術関係者に占めるキリスト教系大学出身者の比率は非常に高い。

同年には尹と高橋が接触し、矯風会が慰安婦問題に積極的に取り組む契機になったと言われているが、これもキーセン観光問題と類似の経緯を辿っている。1991年1月、尹は韓国の『ハンギョレ新聞』に『“挺身隊”怨念の足跡取材記』を連載するが、これは前述の吉田証言等を含む虚偽情報が相当数混ざっていたものだったとされる。しかし、韓国国内における反響はそこそこ大きかったようで、5月には『盧泰愚大統領の訪日及び挺身隊に対する女性界の立場』という声明が女性団体から発表され、11月には『韓国挺身隊問題対策協議会』(※以下、挺隊協と呼称)が結成。尹が初代代表として就任する。同団体にも、韓国教会女性連合会を中心として多数のクリスチャンが参加していたことがわかっている。一方の日本では、1990年6月と1991年4月に、当時の日本社会党参議院議員だった本岡昭次が質問をしているが、初回の労働省職業安定局・清水博雄局長による答弁は「調査できかねる」、2回目の外務省アジア局(※現在の同省アジア大洋州局)・谷野作太郎局長による答弁が「調査したが手がかりになる資料が無い」、労働省職業安定局・若林之矩局長の答弁は「当時、厚生省勤労局も国民勤労動員署も、朝鮮人従軍慰安婦につきましては全く関与していなかった」というもので、旧軍関係の資料に言及しなかったことが後に大きな問題となる。また、1990年12月には、同じく社会党の清水澄子が質問をした為、従軍慰安婦問題と社会党の間には強い相関関係があると見られていた。1991年8月になると、韓国人の金学順が元慰安婦と名乗り出たことで、この問題は一気にヒートアップする。彼女を最初に記事にしたのが、当時、朝日新聞記者だった植村隆(※左下画像)だった為、後に朝日新聞もこの問題に散々振り回されるようになる。金学順は、軍票で支払われた対価が敗戦で無効になったので、その分の支払いを日本政府に求めるのだが、これを「強制連行された」として訴訟にしたのが、福島瑞穂や高木健一らの所謂人権派弁護士だった。また、この訴訟の原告は金学順だけでなく、『韓国太平洋戦争犠牲者遺族会』とされ、1次訴訟の総計は35名。この内、慰安婦は3名だった。同裁判は『アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件』と呼ばれるが、2004年に原告側の敗訴が確定した。翌1992年1月11日になると、当時、中央大学教授だった吉見義明が、防衛庁防衛研究所図書館から慰安婦募集統制を示す資料を発見したと、やはり朝日新聞が報道する。この報道を受け、加藤紘一官房長官が軍の関与を認める発言を行い、訪韓した宮澤喜一首相が盧泰愚大統領に謝罪したのが、日韓関係において慰安婦問題が拗れる原因となったというのが通説だ。

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それでは、どうしてそれが日韓問題になるのかというと、先ず慰安婦問題がキーセン観光問題の後で政治活動の対象になったという経緯があるからだ。千田夏光の著作が、“従軍慰安婦”という単語を定着させた段階で、「朝鮮人慰安婦は悲惨な境遇に置かれていたのに対して、日本人慰安婦は玄人が多く、粗雑に扱われても慣れていた」という二元化がなされていた点は特記しておきたい。また、戦前の日本でセックスワーカーを大量に殺害した訳でもない。従って、慰安婦問題をナチス並みの巨悪にする為には、「売買春が虐殺に匹敵する悪行である」と証明する必要がある。その結果として出てくるのが、「売春行為は、対価を支払われていてもセックスワーカーが同意したとは限らないので悪である」という珍理論である。これは性行為における同意の有無を極端に推し進めた結果だが、抑々キリスト教で性行為における同意の有無が重視されたのは、原則として離婚できないからである。これを、性行為が終われば原則として他人同士になる売買春に適応するのは無理がある。確かに、対価を支払ったからといって、客がセックスワーカーに暴力を振るったり暴言を吐いたりすることは許されないが、そうした行為が法に抵触すべきかどうかは個別の事例で判断されるべきであって、“全ての売春が悪”とは言えないし、そう言うのであれば根拠は宗教的理由しか見つからない。このことは本人たちも理解しているので、一部の人間が、慰安婦問題が解決できない理由の1つに、“罪刑法定主義”を挙げる場合がある。これは、“法律無ければ刑罰無し”という格言で表される原則で、「如何なる行為が犯罪となり、どのような罰則が科されるかは、(国会が制定する)法律によって定められていなければならない」とするものである。

「罪刑法定主義が機能していなければ、何が犯罪で何が犯罪でないのかが判らない為、自由な行動が阻害される。そして、戦前の日本では公娼制度が法律で認められていた為、これを犯罪行為とすることはできない。だから問題なのだ」というのが凡その主張なのだが、この近代法軽視の姿勢からも、「売買春に対する憎悪の根源が宗教的倫理観にある」と推測するのは容易である。実は、「慰安婦問題を裁くには国内法では困難」というのは早くから知られており、後に“人道に対する罪”と呼ばれる国家的な犯罪行為で、日本を提訴できないかどうかという試みが何度も行われている。その代表的なものが、娼妓の呼称を“性奴隷”に置き換えるというもので、在日朝鮮人と関わりの深い弁護士の土屋公献が、1992年に国連で働きかけたのが端緒と考えられている。また、こうした働きかけが『クマラスワミ報告』や『マクドゥーガル報告書』に繋がるのだが、何れも情報の精度が低く、日本政府を批判する根拠としては薄弱であることは言うまでもない。だが、“人道に対する罪”からは、“売買春そのものが悪”という結論を導けない。そこで、日本における非キリスト教な存在の代表格である天皇制と慰安婦問題を結び付ける試みも行われた。特に松井やよりはこの傾向が強く、1998年に嬌風会と共同で『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク(※通称『VAWW-NETジャパン』)を設立。この組織をベースに、2000年には『女性国際戦犯法廷』を開催するが、この法廷に法的な拘束力はない。要するに、一種のごっこ遊びだが、翌2001年に「天皇裕仁及び日本国を、強姦及び性奴隷制度について、人道に対する罪で有罪」とする“判決”を下した。判決文にも書かれているように、この時にも“性奴隷”の呼称が使用されている。そして、慰安婦像問題もこの流れを汲んでいる。挺対協が2011年、ソウルにある在大韓民国日本国大使館前の歩道上に無許可で像を設置したのが端緒だった。筆者は慰安婦像に関して、時間経過に伴い「感情移入せず受容する人間の数が、感情移入して受容する数を上回る」と想定しているので、「慰安婦像を世界中に建てても全く問題がない」と思っている。五百羅漢像宜しく、同じ場所に何百体も設置しても良いのではないだろうか? また、表現の自由が認められている国家で、「著作権等の個人的法益を侵害しない限り、慰安婦像を創ってはいけない」と言える根拠は無い。但し、同じように慰安婦像を性的に受容する発言や創作物も、表現の自由の観点から容認されなくてはならない。インターネット上で騒がれ、韓国では著作の発禁にまでエスカレートした作家・筒井康隆の文と言われるツイートもまた、容認されるべきなのだ。

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ただ、「日本以外、特に韓国も慰安婦を利用していた(ので日本だけが悪くない)」と主張することは避けるべきだろう。慰安婦問題で主導的なポジションにいる日韓のクリスチャンは、日本政府に限らず、韓国政府や韓国人男性も攻撃の対象と認識しているからだ。例えば、挺対協は2014年9月、ベトナム戦争に参戦した韓国軍による“ベトナム人女性に対する性暴力や民間人虐殺”について、「韓国政府が真相を究明し、公式謝罪と法的責任を取るように」と訴えている。若しも「悪いのは日本だけではない。韓国だってアメリカだって同じことをやっている」と主張すると、挺対協が慰安婦問題で流していた相当数の虚偽情報を肯定することになるからだ。若し慰安婦に限らず、性産業規制という今の潮流にコミットしたいのであれば、規制促進活動をしている団体がクリスチャン系、或いはクリスチャンが高い比率を占めているかを注意深く観察することだ。その上で、セックスワーカーの保護を名目に買春の非犯罪化を訴えていることを宣言した上で、「それで、貴方は売買春を否定的に捉えるキリスト教的な価値観の押し付けはしないですよね?」という言質を取ったほうがよい。日本人の大半はクリスチャンではないので、この方法は地味に効く。この点で、クリスチャンが圧倒的多数を占めるアメリカや韓国と比較すると、日本人が選択できる手法の幅は広い。最後に、戦国時代に日本を訪れた宣教師のルイス・フロイス(1532-1597)の記録を引用する。「ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と尊さは貞操であり、またその純潔がおかされない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わなければ、結婚もできる」。この記述を見れば、日本では伝統的に純潔が重んじられてこなかったことは明白である。純潔を訴える人たちには、「一体どこの保守主義者だ?」と首を捻りたくなるのだが…。 (作家 鳥山仁)


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