総被害者数30人以上! 血塗られた国道17号線――何故この街道沿いが凶悪殺人鬼を惹き付けるのか、8つの大事件から“呪い”の真相を紐解く

東京都中央区日本橋と新潟を結ぶ国道17号線は、都心部と北関東・北陸方面を繋ぐ大動脈であり、24時間365日往来の絶えない道である。それ故、交通事故等が後を絶たないのは理解できるのだが、それ以上に目を引くのは、日本を震撼させた凶悪事件の発生率の高さだ。「この街道を北上すると、殺人事件の見本市を見る」――そんな思いに駆られてしまうのだ。 (取材・文・写真/ノンフィクションライター 八木澤高明)

20170705 14
秋葉原無差別殺傷事件・東電OL殺人事件・桶川ストーカー事件・熊谷ペルー人無差別殺傷事件・本庄保険金殺人事件・埼玉愛犬家殺人事件・大久保清連統婦女暴行殺人事件・連合赤軍事件――。昭和から平成にかけて日本を揺るがせた数々の凶悪事件。これらの事件が、1つの国道に沿って起きていることをご存知だろうか? その国道とは、東京都中央区日本橋から新潟県新潟市へ至る国道17号線(通称“中山道”・“三国街道”等)である。国道17号線を東京から北上していくことで、そこに日本の犯罪絵巻を描くことができるのである。日本橋を出て、神田を過ぎ、万世橋を渡ると、秋葉原の電気街が見えてくる筈だ。ここで秋葉原無差別殺傷事件が起きたのは、2008年6月8日の昼過ぎのことだった。1台のトラックが猛然と信号を無視して、歩行者天国で人々が溢れる交差点に突っ込み、次々に撥ね飛ばしていったのだ。運転していたのは、自動車工場の元派遣作業員・加藤智大。彼はトラックから降りると、奇声を上げながらサバイバルナイフで無差別に通行人を切り付け、17人を死傷させたのだった。加藤を犯行に走らせたのは、何が原因だったのか? 青森県内の進学校を卒業した加藤は、成績が低迷していた為、志望していた北海道大学工学部への進学が叶わず、警備員等の職を転々としながら派遣作業員となっていた。日々の単純労働に嫌気が差したことも、事件の背景の1つになったと言われている。秋葉原のインターネットカフェに出入りしていた加藤は、社会への怒りを暴発させる場所として、馴染みのある秋葉原を選んだのだった。事件現場となった交差点を歩いてみると、被書者の遺族が置いていったものか、乾いた花束が寒風に揺れていた。交差点を行く人々は、その花束に気が付いているのかいないのか、花束に目をやることなく、足早に事件現場となった交差点を通り過ぎて行く。冬の交差点には、家電用品店の店員たちが張り上げる掛け声だけが響いていた。

1997年3月、渋谷区円山町にある古惚けたアパートで、『東京電力』に勤務するOLが殺害された。東電OL殺害事件である。容疑者として逮捕されたネパール人に再審請求が認められ、2012年に無罪判決が下された事件として記憶に新しい。殺害現場となったのは渋谷であったが、事件発生後に被害者の定期券が発見された場所は、被害者に全く土地勘の無い豊島区巣鴨だった。定期券は、国道17号線沿いにある都電新庚申塚駅から、歩いて5分ほどの場所にある一軒家の庭で見つかった。土地勘のある人物でなければ、来ることはない場所である。家主の主婦は言った。「朝、花に水やりをしていたら、壁際に黒い定期入れが落ちていたんだよ。名前を見たら“ワタナべ”と書いてあって、近所にもワタナべなんて名前はないから、娘に言って警察に届けてもらったんだ」。水やりは毎日の日課で、前日その場所には無かったという。夜中に捨てられたことは、ほぼ間違いないだろう。果たして、この場所に定期券を捨てたのは誰か? この定期券を捨てた人物が、未解決となっているこの事件の真相を知ることは間違いない。事件が起きた1990年代後半、この辺りにはイラン人やコロンビア人が多く暮らしていた。池袋にも近く、比較的家賃が安かったこの一帯は、彼らに好まれていたという。コロンビア人の多くは新大久保等で売春をする女たちで、イラン人の男たちはコロンビア人のヒモや地回りをしていたという。東電OL殺害事件では、外国人と見られる男が被害女性と歩いているところを目撃されている。それが“ネパール人犯人説”に繋がった訳だが、若し外国人が真犯人であるならば、定期が発見された新庚申塚駅周辺に暮らしていた外国人たちにも捜査の範囲を広げるべきではなかったか。今となっては、コロンビア人やイラン人はこの界隈で見かけることはなく、足取りを追うことは難しい。国道17号を北上していく。すると、1999年の桶川ストーカー事件の所轄となった上尾警察署を過ぎ、2015年に熊谷ペルー人無差別殺傷事件の傷痕が未だ生々しい熊谷を抜ける。桶川ストーカー殺人では、女子大生が元恋人にストーカー行為をされ、警察に駆け込んだが、署員の怠慢もあって何もしてもらえず、桶川駅前の路上で無惨にも刺殺されてしまった。熊谷市内の住宅街で起こった記憶に新しい無差別殺人では、ペルー人のナカダ・ルデナ容疑者が児童を含む6人を殺害する事件を起こした。因みに、彼の兄もペルー国内で17人を殺害する事件を起こしていて、懲役35年の実刑判決を受けている。そこから更に北上すると、埼玉県本庄市に入る。この街は、2000年に本庄保険金殺人事件の舞台となったところだ。犯人の名前は八木茂。3人の男たちを自分の息のかかった愛人と偽装結婚させ、多額の保険金をかけた上で次々と殺害した。逮捕前、八木は連日、経営していたスナックでマスコミ相手に有料記者会見を開いたことでも知られていて、顔を覚えている人も多いのではないだろうか。八木が経営していたスナックは、今も建物が残されている。国道17号線から車で5分もかからない場所にあり、スナック跡の建物の隣には、保険金を掛けていた男たちを住まわせていた平屋の建物も健在だった。

「八木はトラック運転手でお金を作って、1980年代の後半ぐらいにここに来てからスナックを開いたんだよ。当時はカラオケができるスナックなんて無かったから、19時の開店前にはもう客が並んでいたよ」。スナックから程近い場所に暮らす、幼馴染みだという男性が言う。「子供の頃の八木は、ひょろっとして苛められっ子だったけど、大人になってから彫り物を入れたりして、威勢がよくなっていたね。スナックの酔っ払いが、よくうちの家の壁に小便を引っかけたりしたもんだから、盆暮れにはちゃんと菓子等を持ってきたりして、義理は通す男だったよ。まさか、保険金をかけて人を殺しているようには見えなかったな。スナックも儲かっていたし、お金には困っているようには見えなかったけど、金の亡者になっちゃったんだな」。八木は愛人の女たちを巻き込み、次々と保険金をかけた男たちを奈落の底へ落としていった。凄まじいカネへの執着である。更に国道17号線を進み、埼玉から利根川を越えて群馬県の高崎市に入る。ここは1971年3月から5月にかけて、8人の女性を暴行し殺害した大久保清が女性ハントをした現場だ。ここまで見てきただけでも、国道17号線沿いで如何に血と金と欲望に塗れた事件が多発していることか、おわかり頂けることだろう。何故、国道17号線沿いで、これら陰惨な大事件が多発してきたのか? それは、この街道のルーツに起因していると思われる。国道17号線のルーツは、江戸時代以前から江戸と越後を結んだ三国街道、そして中山道である。江戸時代において代表的な街道となり、街道筋の街は繁栄、付近には自然と人とカネが集まった。この三国街道、そして中山道が脚光を浴びるのは、江戸時代中期に上州や武蔵の国(※現在の群馬・埼玉)で盛んになった養蚕の影響が大きい。養蚕は換金作物であり、付近の農村を潤した。そうすることで、自然と“遊び人”と呼ばれた現在のヤクザの前身となる者たちを生み出したのだ。彼らは、人とカネが集まる北関東の農村や中山道や三国街道の宿場で、盛んに賭場を開いたのである。その代表的な存在が国定忠治だ。因みに、中山道69宿の中で一番栄えていたのは、本庄宿であったと言われている。養蚕が齎す現金は、人を集めたのだった。北関東に人とカネが集まるようになると当然、人心は乱れ、治安は悪化した。その為、幕府は風紀を引き締めるために、1805年に関東取締出役という出先機関を設け、遊び人や無宿人たちを取り締まった。つまり、江戸時代の中期には、中山道や三国街道といった国道17号線の前身の街道において、犯罪の温床が出来上がっていたのだ。更に時代が下り、明治時代に入っても本庄の繁栄は続き、「東京から遷都すべきだ」と唱える者もいたほどだった。そして、今も北関東に公営のギャンブル施設が目立つのは、この土地の持つ歴史と無関係ではない。現在においても、北関東には自動車工場や食品工場が数多くあり、日本経済の重要な役割を担っている。工業地帯で必要とされるのは、安い労働力である。ここに南米を中心とした外国人のコミュニティーが出来ているのは、こういう理由がある。一方で、労働者として日本にやって来た外国人による犯罪は後を絶たない。2015年に熊谷で起こった事件は、行き詰まった彼らによる象徴的な事件かもしれない。国道17号線という東京・北関東・新潟を結ぶ幹線道路は、昔も今も日本経済の大動脈であり、常に様々な国と地域から人を集め続ける。それ故に、犯罪は宿痾のように、国道17号線沿いの地域で起こり続けるのである。


キャプチャ  第6号掲載




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