【移民社会アメリカ・日系収容75年】(04) “強制”の歴史、次代に

20170706 09
5月31日正午前、カリフォルニア州サクラメントの州議会庁舎。「法案491号、全会一致で可決しました」。女性職員がマイクでそう告げると、州下院議員である日系3世のアル・ムラツチ(52)は、「次は上院。まだまだ」と気を引き締め直した。同州内で、日系人の強制収容を学ぶ教育活動に対し、3ヵ年で計300万ドル(約3億3000万円)を助成する法案の提案者だ。初当選した2012年頃から、日系人に対する差別の歴史の風化を食い止める目的で法案を考えていた。今はもう1つ、重要な目的がある。ドナルド・トランプ政権によるイスラム教徒等への差別的対応を食い止める啓発活動に繋げることだ。ムラツチは、トランプが繰り返す発言を真に受けて、「差別は許される」と勘違いしてしまう若者や子供が出ることを危惧する。その背景には、日系人の強制収容の歴史が、アメリカ国民にはあまり知られていないという現実もある。同州の高校の歴史の教科書に記述はあるが、「教師が取り上げなければ生徒は覚えない」とムラツチは嘆く。実は彼自身、強制収容に関する知識は殆ど無かった。身近には経験者がいなかったからだ。祖父は1907年に岐阜県からアメリカに移住した。父はアメリカ生まれだが、戦前に日本に帰国。大戦終結後にアメリカに戻り、陸軍職員となった。ムラツチは父の勤務地である沖縄で生まれ、そこで17歳まで過ごした。

日系人の過去に向き合う必要性を実感したのは、カリフォルニア州で大学生活を過ごした1980年代のことだ。べトナム戦争後の反戦的な空気が残る中、アメリカ政府に日系人への謝罪を求める活動が活発化していた。ムラツチも活動に加わり、強制収容経験者たちに話を聞いて回った。「記憶を封じ込めて暮らしていた日系人が、勇気を奮って声を上げ始めた。日系人として役に立ちたいと思った」。1988年、アメリカ政府が公式に謝罪すると、ムラツチの興奮は最高潮に達した。「草の根の我々が政府を動かすなんて!」。ロースクールを卒業後、日系人の権利擁護に取り組む日系アメリカ人市民連盟のロサンゼルス支部長等を務め、日本人で日系人が多いサウスべイ地区で議員になった。心の師は、強制収容に抵抗した同州の著名な人権活動家で、日系2世のフレッド・コレマツ(※2005年死去)。学生時代、政府に謝罪を求める言動の最中に出会い、「活動の象徴的存在なのに、静かな語り口で、感銘を受けた」。数科書に記してもらったサインが今も宝物で、今回の法案を説明する記者会見等の際にも、コレマツの家族に同席してもらった。今年1月、トランプの大統領就任への抗議デモが全米に広がった際、ムラツチはその1つとなった地元のビーチにいた。2000人を超す参加者の中には、乳母車を押す若い女性や家族連れ等、政治への関心が薄いと思っていた人たちも多くいた。疑問を持って声を上げる人の多さを肌で感じ、政治家として闘志が揺さぶられた。ムラツチは、闇雲に政権の差別的対応を批判するよりも、「トランプの政策にきちんと意見が言えるよう、先ずはこの国で実際にあった強制収容の事実を正しく理解することが必要」と考える。その為にも、法案の成立は欠かせない。次の関門は今月5日、州上院の委員会の採決だ。ムラツチは言う。「法案は何れ、全てのアメリカ人から支持され、過去から未来を考える為に役に立つ筈だ」。 《敬称略》 =おわり

               ◇

ロサンゼルス支局 田原徳容が担当しました。


⦿読売新聞 2017年7月1日付掲載⦿
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