【Deep Insight】(29) 長期政権“見ない化”の果て

今月9日に決まった今年の経済財政運営の基本方針(骨太の方針)。1年前には明記した2019年10月の消費税増税の記述が消えた。「昨年は増税延期を決めた年だったから」。石原伸晃経済財政再生担当大臣は、理由をこう説明し、付言した。「消費増税は避けて通れない。経済状況があって2019年に延期しているが、間違いなく上げていく」。何故、その言葉を文書にせず、経財相の口頭説明で済ませるのか? 安倍晋三首相の増税への躊躇いと、「首相判断の余地を残しておこう」という周りの忖度が、そこに透けて見える。政府の予算や経済運営の見取り図を首相主導の経済財政諮問会議で決め、骨太の方針として閣議決定するやり方は、小泉純一郎元首相が確立した。同政権で最後となる2006年と今回の骨太の方針を読み比べると、違いは歴然とする。「人口減少・少子高齢化の経済負荷が本格化するまでに残された時間は10年程度」「現世代が自らの負うべき借金の返済を“声なき後世代”へ先送りすることは許されない」。2006年の骨太方針に滲むのは、高齢化が急速に進む将来への危機感だった。諮問会議は、財政健全化に向けて、歳出を5年間で11兆円以上減らす目標を、社会保障や公共投資等の分野別に決めた。後継政権への“書き置き”――。当時の経財相で先月死去した与謝野馨氏は、そう名付けた。徹底的に歳出を削り、将来の消費増税を含めた歳入改革にも布石を打つ。同年、バトンを受けたのは、第1次の安倍政権だった。その10年が過ぎた。デフレの長期化や世界金融危機等の逆風にも遭って、改革は未完のままだが、当時の危機感は窺えない。今年度の骨太の方針は、冒頭からアベノミクスの成果を次々と列挙し、「成長と分配の好循環を創り上げていく」と宣言した。“人材への投資”として、幼児教育の無償化や高等教育の負担軽減を新たに打ち出した。これから一段と給付が膨張する社会保障制度を如何に立て直すかの見取り図は無い。安倍政権は、看板の政策を次々と新しいものに切り替え、前進ぶりを訴える。骨太の方針は、そのショーウインドウと化した。一方で、中長期の日本を覆う都合の悪い真実には触れようとしない。政府・日銀が目指す2つの“2%”。実質2%の高い経済成長は財政健全化シナリオの前提であり、消費者物価の2%上昇はデフレ脱却への最終目標だ。金融政策・財政出動・成長戦略というアベノミクスの3本の矢を4年も放ち続けても、成長率は1%台半ば、物価上昇は0%台前半に留まる。

基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2020年度に黒字にする目標の達成は、極めて厳しい。内閣府の試算では、2019年度に2%の成長が実現する楽観的な想定でも、8兆円の追加的な収支改善が要る。だが、日銀の政策委員が4月に示した2019年度の成長率の見通しは0.7%。内閣府が厳しめの試算の前提とする1.1%よりも低い。脱デフレへ、日銀は長期金利を0%に抑え込む力業を駆使する。景気がやや上向き失業率が歴史的な低水準に下がっても、物価には中々点火しない。超金融緩和で利払い負担が軽くなると、財政規律を緩める誘惑が働く。“債務残高の対国内総生産(GDP)比率の安定的な引き下げ”を基礎的財政収支と同列の財政目標にしたのは、その象徴だ。歳出を増やして経済をふかしても、当面、金利はそれほど上昇せず、規律の乱れは目立たない。日銀の政策が歳出の大盤振る舞いの動因になるなら、皮肉な構図だ。消費増税を2度延期し、社会保障の給付の急増に備えた制度改革も手つかずのまま。そんな安倍政権の手法に慣れた国民の側にも、厳しい現実から目を逸らす“見ない化”が浸透し始めている。「今の若者世代には、将来への深い絶望感が広がっている。不安があり過ぎる為、負担増を拒否して『今の生活が楽しめればいい』と考えがちだ」と、慶應義塾大学の鶴光太郎教授は話す。同氏らが数年前に実施したインターネット調査では、“増税せず社会保障を拡大”という考えを支持した20代の比率は全体の35%と、どの年齢層よりも多かった。傾向は今、更に強まっているとみる。負担増を嫌う高齢者が高投票率で政治を動かし、若者に犠牲を強いる“シルバー民主主義”が言われて久しい。だが、事態はもっと深刻なのではないか? 担い手の若い世代が負担増を拒むようになれば、制度が全く立ち行かなくなる。長期政権の下で、“見ない化”は更に広範囲に及んでいる。人事権を首相サイドに握られる霞が関の官僚は、痛みの政策を進言するのを諦め、アカデミズムにも経済界にも徒労感が広がる。安倍首相は先月、憲法改正で“2020年度の施行”という目標を明言した。最重要の課題として“改憲”の2文字が刻まれ、経済政策は骨太な改革よりも、足元の景気を腰折れさせない点に軸足が移るだろう。2025年までには団塊世代が全て75歳以上となり、少子高齢化の負荷はピークとなる。“見ない化”が更に広がり、打つべき改革を怠れば、若い世代に残す負のレガシー(遺産)は甚大になる。将来への責任を形に残せないか? 9条改正や教育無償化に加え、財政規律を守る憲法の規定を設ける。財政の長期展望を示す独立機関を設置して、政府に注文を付ける――。様々なアイデアがある。小泉時代を抜き、戦後3位の長期政権となった安倍政権。10年後・20年後の日本に何を引き継ぐかを決める時期に来ている。 (本社コメンテーター 菅野幹雄)


⦿日本経済新聞 2017年6月14日付掲載⦿
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テーマ : 安倍政権
ジャンル : 政治・経済

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