【徹底解剖!東京都庁】(07) 早稲田・中央・東大…“学閥”無き都庁に蔓延る3大勢力の見えざるパワーバランス

「一度入ってしまえば、その後は学歴と出世は一切関係ない」と言われる東京都庁。とはいえ、やはり幹部には有名私大と東京大学出身者が集まっていた。その“透明な学閥”の実態について、現役職員が証言を寄せる。 (取材・文/本誌編集部)

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“都庁に学閥無し”とはよく言われる言葉である。実際、都庁も採用者の大学別人数等は公表しておらず、そのようなデータを取ること自体がけしからんことみたいなムードがある。確かに、都庁は幅広い大学、或いは高校から人材を採用しており、東大出身者で固められている霞が関の官僚社会とは全く異なる組織風土が形成されている。「とはいえ、組織ですから、やはり学閥は多少あると思います」と現役職員が語る。「先ず、行政職でどこにでもいるのが早稲田と中央で、あまりに人数が多い為、更に細かな派閥があったりする。日頃は目立った活動をしていないのでわかり難いのですが、早稲田OBの都庁稲門会、中央OBの都庁白門会というのが存在して、其々歴史も古く、200名以上の会員がいます」。嘗て昭和の時代、大学別の東京都職員の採用試験合格者数が公表されていた時期もあった。1960年代から1970年代にかけては、事務系では圧倒的に中央大学が多く、技術系ではやはり圧倒的に日本大学が多かった。司法試験の合格者数でも、中央大学がトップ(※既卒含む)だった時代である。東京オリンピックが開催された1964年の場合、東京都職員(事務)合格者数は、中央大学231人、早稲田大学70人、明治大学58人、法政大学37人、日本大学37人、東京都立大学(※現在の首都大学東京)28人、そして東京大学16人と続く。抑々、学生数が多いことに加え、また公務員試験には強い大学として中央大学が力を持っていた時代で、この頃は“都庁=中央閥”だったことは間違いない。そして、その名残は今でも続いている。

ただ、民間企業と違い、都庁の場合には、上司が同じ大学の後輩を気に入からといって、個人的に人事で“引き上げる”ということはできない。従って、出世が絡んだ“学閥”にはなり得ないのだが、都知事や議員が絡んでくると話は厄介なことになるという。「あれは1995年のことでしたが、青島幸男さんが都知事に就任した時、早稲田出身の都知事が誕生したということで、当時の局長級幹部と早稲田出身都議が、“青島さんを囲む会”のような事実上の早大閥旗揚げのようなグループ結成の動きを始めたことがあったんです。ところが、この計画は直ぐに内部で反発を買って、必要以上に大きく取り上げられたので、幹部のほうの腰が引けてしまいましたね」(同)。青島氏の後は石原慎太郎(一橋大学)・猪瀬直樹(信州大学)・舛添要一(東京大学)、そして小池百合子(関西大学中退→カイロ大学)と、あまり学閥のイメージが無い都知事が続き、やはり都庁ではある1つの大学が幅を利かせるという状況は生まれていないようである。国家公務員であれば、“キャリア組=東大出身”の図式は定着しているが、都庁ではどうなのか? 「ここ5年ほど、東大生は新卒者だけで毎年30人近くが採用試験に合格し、入都しており、数で言うと早稲田・中央に次ぐ一大勢力になっているものと思います」と、東京大学学部生の進路を調べた公務員予備校関係者が語る。「これは決して一時的な傾向ではなく、東大生が卒業後に地元に戻り、県庁に就職するケースも増えてきた。一昔前であれば、『東大を出たのであれば、国Ⅱ(※現在の国家公務員一般職)や地方公務員は恥ずかしい』という感覚が根強くありましたが、今では財務省や経済産業省なら兎も角、農林水産省・環境省・法務省といった不人気の中央省庁に入って彼方此方飛ばされながら働くのは、たとえ総合職であっても東大生に敬遠される。官僚の仕事から嘗てのような権限が無くなり、更に黄金の資格だった司法試験に受かっても、経済的にはリターンが少なくなった。とはいえ、民間はどうも肌に合わない。そうすると、得意の学力を活用できる就職先として浮上するのが、都庁や県庁といった待遇のいい地方公務員なのではないでしょうか」。1970年代の不況時には、東大生も一時的に都庁を目指した時期があったというが、バブル時代には全く不人気に。しかし、再び就職氷河期に突入し、しかも省庁再編が行われ、学生の官僚離れが進むと、今度は“地方公務員の時代”がやって来たということなのだろうか。2015年に『都政新報』が纏めた調査では、都庁特別職・局長以上の幹部(※当時の舛添知事を除く)の出身大学では、東京大学は早稲田大学に次いで2位となっており、東大出身者の割合からすると、かなり出世率が高い状況が垣間見える。一方で、こう言っては失礼だが、偏差値的には東大よりかなり下位と思われる大学でも、局長以上の大幹部に出世している職員もいるのだから、ある意味、納得感のあるデータである。

前出の予備校関係者が語る。「都庁は意外に東大生の気質に合っています。先ず、昇任試験があるということで、これは幅広い知識が問われる為、大学入試で科目数を減らしていない国立大学出身者は有利と言われている。また、これは東大だけでなく早稲田・中央出身者にも言えることですが、法学部出身者が多い。Ⅰ類B採用の専門試験では、法律分野の問題が2題含まれていますし、その後の昇進試験でも憲法や地方公務員法等、法学部出身者にはかなり有利な内容になっている。元々ポテンシャルの高い東大出身者が、好成績を上げて出世するのは当然です」。国家公務員総合職、しかも人気省庁となると、いくら優秀な東大生であっても、実力の他に運も無ければ内定を勝ち取ることはできないが、総合職の筆記試験に合格するほどの力量があれば、都庁の筆記試験で落ちる確率は低い。所謂公務員としてのステータスはやや落ちるかもしれないが、都庁で実力勝負の世界に飛び込み、少なくとも課長まで出世できれば、平均的な国家公務員キャリア組とそう大幅に年収も変わらない。今後も都庁に入る東大生は増えていきそうな気配である。学閥よりも、都庁で長らく言われている組織上の課題が、女性幹部の少なさである。昨年、史上初めて女性都知事が誕生したが、その時点で60人の行政局長の内、女性は3人だけだった。採用時は全体の4割ほどが女性になっている都庁としては、かなり少ない数字である。「昔は今よりも女性の採用者数が少なかったこともあるが、はっきり言って女性蔑視の傾向がある石原知事が長く都知事に君臨した影響が、未だに色濃く残っている。只でさえ、男性職員と比べれば出産や育児の為に退職する女性職員の率は高いが、部長・局長になれば都知事と直接やり取りをする必要が出てくる。しかし、石原知事と手の合う女性幹部というのは殆どいない訳で、局長クラスには女性が殆どいなくなってしまった。2014年には男性都議によるセクハラ野次事件もあったが、世論やマスコミの追及はかなりしつこかったのに比べ、都庁内部は静かだった。小池さんの時代に女性幹部がどこまで増えるかは、1つの注目です」(都庁現役課長)。都庁に初めて女性局長が誕生したのは1971年のこと。しかし、この時に民生局長に就任したのは、都庁生え抜きの職員ではなく、当時の美濃部亮吉知事 にスカウトされる形で都庁に入ったNHK出身の縫田曄子氏だった。その後、2人目の局長(※福祉局長)に金平輝子氏が就任したのが1981年。その金平氏が1991年に女性初の副知事(※職員トップ)に到達したが、その後は1人も副知事が誕生していない。“都政のジャンヌ・ダルク”こと小池百合子知事は、女性職員の引き上げを実現することができるだろうか?


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