【東京五輪後の地方経済を読み解く】(07) 地方に群がるアーティストたち…アートフェスバブルは地方創生の徒花か?

20170710 02
地域を舞台としたアートフェス(芸術祭)が花盛りだ。予算規模は100万円未満から10億円規模のものまである。高予算が必ずしも悪くはないが、高予算にも拘わらず似たりよったりと批判の声もある。アートフェスの草分けである『第1回横浜トリエンナーレ』の2001年の開催から15年超、高予算で開催するアートフェスが沢山開催されたが、2016年に開催された『さいたまトリエンナーレ2016』は、7億円をかけた高予算型アートフェスの終末的到達点の1つかもしれない。公式のゆるキャラに、有名アーティストや有名大学の教授が街並みにアートを出没させるパターン――。どこのアートフェスと言われてもおかしくないありきたり感だ。抑々、“トリエンナーレ”とは“3年に1度”という意味で、海外ではその国のアーティスト育成にお金と時間がかけられ、国の文化度を高める目的で開催される。地域に根差した3年間の文化活動の積み重ねであり、アートフェスにトリエンナーレが多いのは、主催者側がリサーチに費やし、膨大な資料から選考するのにかかる時間が3年だからなのだ。日本の場合、内閣府からの地域活性化の補助金を目当てにした大手企業や省庁の財団勤務経験のあるコーディネーターやディレクターが力を持ち、特定のメンバーによってアートフェスが運営される傾向がある。人間関係によって参加アーティストやNPO関係組織が選考されており、これでは類似した展示になってしまうのも当然だ。参加アーティストを検索すると、同じアーティストが複数のアートフェスに参加していることがわかる。アーティストも選考されたいが為に、運営側に寄り添ってしまうのだ。

商業的な成功者や有名大学の教授を呼び並べたてるアートフェスを嫌う心ある地元美術館や地元NPOは、協力を敬遠しがちなこともあり、“地元密着”感が全く感じられないものになってしまう。現代アートとは本来、同時代に生きるアーティストの社会批評性が含まれ、社会が直面する問題(※戦争・差別・原発・沖縄等)や人間の存在そのものを否定することもある。しかし、アートフェスには都合が悪いようだ。「社会や制度を批判し、ある種の毒を孕むアートが排除されかねない」と、美術評論家の建畠晢さんは指摘する。一方で、一般的に低予算アートフェスは、1980年代にヨーロッパで起きたアーティストイニシアティブ(アーティスト主導)と呼ばれる運営方法を採る。1980年代、ニューヨークのソーホー地区は過剰な商業アートに乗っ取られ、これを批判し、ヨーロッパで起きた動きだ。その影響や参加経験のあるアーティストたちが、選考から運営・事務を行う。それを地域が支援している。こうして、地域を舞台に良質の美術展ができるのだ。川崎大師で遊び育った子供が、小学生の鑑賞教室で感想文を書く。中学校の美術部は、商店のガラス窓にクレヨンペイントで参加する――予算規模150万円の『仲見世でアート2016』の1つの光景だ。真っ白な壁の画廊や美術館の展示とは異なり、歴史と伝統がある川崎大師の商店街を舞台に、現代アートが川崎大師で育まれた人間の時間と交差するのだ。『アートミーティング 田人の森に遊ぶ』は、福島・長崎・広島・沖縄を結んだ軸でディレクションされ、日本社会の負の制度を背景にした枠組みが緩やかに見える。高予算の芸術祭と対抗するベクトルを持ち、やはりアーティストイニシアティブを日本で最初に行ったグループの1人がアートディレクターを務める。海外では、こうしたアーティスト主導で成功した表現者兼ディレクターが、大規模な企画展の選考委員に抜擢されるケースも少なくない。本来、地方が芸術祭を企画するなら、アーティストイニシアティブで運営しているイベントから先ずは人材を探すべきなのだ。地方は、巨額な予算を投下している高予算アートフェスという“徒花”に早く気が付くべきだろう。 (取材・文/本誌編集部)


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