【憲法のトリセツ】(12) GHQ案になかった憲法の社会権

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人間が人間らしく生きる権利、それが社会権です。日本国憲法(※現憲法)にも明記してありますが、『連合国軍総司令部(GHQ)』が作成した草案には出てきません。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。この25条は日本人が書き足しました。1946年、GHQが2月に作成した憲法草案は、日本語に翻訳され、政府案として6月に衆議院の帝国憲法改正小委員会(芦田均委員長)に付託されました。小委の審議は非公開で進められましたが、1995年になって議事録の全文が公開され、今では衆議院のホームページで読めます。7月、第3回の小委で、社会党の黒田寿男がこんな提案をしました。「今後国家の政治の最も大きな目的として、国民に対して人間たるに値する生活を保障する、あるいはこれを健康にして文化的な水準の生活という言葉をもって表現してもよろしいと思います」(※原文は漢字カタカナで読み難い為、現代文に読み下しました)。発言者は黒田でしたが、憲法25条の原案(※提案時は23条)を作ったのは、同僚の森戸辰男(※左画像)と鈴木義男です。森戸は本欄の連載2回目に既に登場しました。GHQ草案に強い影響を与えた憲法研究会のメンバーです。1946年4月の衆院選に出馬し、この時は国会議員になっていました。

1888年(明治21年)に生まれた森戸は、東京帝国大学(※現在の東京大学)で経済学を学び、そのまま助教授に就任しました。しかし、1920年(大正9年)に無政府主義者であるピョートル・クロポトキンの思想を紹介したことで、“アカ”のレッテルを貼られ、大学を追放されました。森戸のものの考え方には、その育ちが関係しているようです。父が藩士だった広島の福山藩を治めた阿部家からは、幕末に開国に踏み切った老中・阿部正弘が出ています。1969年に森戸はこんな講演をしました。「ペルリが来朝して開国の要求をつきつけた時です。当時の政局は難しいものでありました。大英断をもって開国開港を決定されたのです。短見的な感情的な動きを避け、長期的な冷静な見通しで断行された」(非売の冊子『教育改革と福山藩の懐古』より)。世界初の革命が起きたばかりのロシアの研究に取りかかる。森戸は、阿部正弘と自身の先進性を重ね合わせていたのでしょう。弊紙の看板連載である『私の履歴書』に森戸は登場しています。社会権を憲法に盛り込ませようとした時のことを、こう書いています。「(GHQ)草案は国民の基本的人権を認めていた。しかし、あくまで法律上・政治上の自由と平等を主張するにとどまる。“餓死の自由”・“貧困の平等”にさらされるのを防ぐことはできない」。社会党は当時、第3党でしたが、第1党の自由党は単独過半数を占めておらず、社会党の意見を取り入れないと政府案の可決は困難でした。こうして、アメリカ合衆国憲法に無い社会権が日本の憲法に書き込まれたのです。因みに、森戸が最も重視していた社会権がGHQ草案に採用されなかったことを以て、「憲法研究会の影響力は殆ど無かった。やはり100%、アメリカの押し付けだった」と語る向きもあるようです。前回紹介したベバレッジ報告が公表されたのが1942年ですから、1946年の時点でGHQ草案を纏めたチャールズ・ケージス民政局次長らが採用しなくても不思議ではありません。「最新の考え方だったから入らなかった」とみるほうが自然ではないでしょうか。因みに、現憲法27条が定める“勤労の義務”もGHQ草案には無く、森戸と鈴木が挿入させました。

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では、森戸はどこから社会権を引っ張ってきたのでしょうか? 再び、『私の履歴書』からです。「その理論を法学者でかつてのウィーン大学総長アントン・メンガーに求めた。ブルジョア的基本人権に対して社会主義的基本人権を提唱し、労働全収益権・労働権・生存権を掲げた」。もう1人の当事者である鈴木は、こう語っています。「森戸さんと私とで相談をいたしまして、ドイツ憲法では人間に値する生活という規定があって、実に我々をして感奮興起せしめたものであり、日本でもああいう規定がなくちゃおもしろくない」(非売の冊子『私の記憶に存する憲法改正の際の修正点』より)。鈴木が言及しているのは、1919年に制定されたドイツのワイマール憲法151条です。「経済生活の秩序は、すべての人に、人たるに値する生存を保障することを目指す正義の諸原則に適合するものでなくてはならない。通商および営業の自由は、法律の定める基準に従って保障する」。ただこれでは、森戸と鈴木が“最低限度の生活を営む権利を有する”の前に“健康で文化的な”という形容詞を付した理由がよくわかりません。ソビエト連邦憲法11条に、こんな規定があります。「ソ連の経済生活は公共的富の増大、勤労者の物質的及び文化的水準の不撓の向上及びソ連の独立の強化並びに国防能力の強化を目的とする国家国民経済により決定かつ指導せられる」。ソ連は、共産主義国家が資本主義国家に劣るとの印象を払拭しようと、バレエ等の文化振興に力を注ぎました。森戸は意識してか無意識にかわかりませんが、これを引用したのではないでしょうか。次回は、戦後日本で社会権がどう扱われてきたかです。


大石格(おおいし・いたる) 日本経済新聞編集委員。1961年、東京都生まれ。東京大学法学部卒。国際大学国際関係学科修士課程修了後、1985年に『日本経済新聞社』入社。政治部記者・那覇支局長・政治部次長・ワシントン支局長として、様々な歴史的場面に立ち会ってきた。現在の担当は1面コラム“春秋”・2面コラム“風見鶏”・社説等。


⦿日本経済新聞電子版 2017年3月29日付掲載⦿
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