【平成の天皇・象徴の歩み】(05) 心込め交流、各国が尊敬

20170712 07
「你好」「歓迎」――。大歓声に沸く上海の夜の街を、天皇・皇后両陛下を乗せた車が進んで行った。「もう少しゆっくり」「もう少し」。車内では、市民との触れ合いを望む両陛下が、手を振りながら車の速度を落とすよう、何度も頼まれていた。当時、要人の車列は時速30㎞で走り抜けるのが通例だったが、両陛下の熱意に負けたのか、速度計は時速8㎞を指していた。沿道から身を乗り出す市民と車の距離は70㎝ほど。当時の上海総領事・蓮見義博さん(84)は、「両陛下に何かあったら我が身を差し出すしかない」と覚悟を決めた。陛下は1992年10月、天皇として初めて訪中された。尖閣諸島の領有権や日中戦争の清算の問題が横たわり、中国では3年前、天安門事件が起こった。この時期の親善訪問を「天皇の政治利用」と指摘し、成功を危ぶむ声もあった。陛下は北京での晩餐会で、過去への“深い悲しみ”を表明された。当初、政府の歓迎ぶりと市民の反応には温度差があったが、西安・上海と移られると、市民の歓迎は熱を帯びていった。陛下は『釣魚台国賓館』を去る時、従業員らにも挨拶された。

万里の長城を皇后さまと手を繋いで歩き、市民に手を振られた。『故宮博物院』では、「歴史は好きですか?」と市民に声をかける一方で、「両国は悠久なる友好交流の歴史を有し、日本は中国から多種多様な文化を学んだ」という感想も残された。地元紙の記者は同行記で、振る舞いが自然で、中国の文化に深い敬意を払われる陛下の姿勢を、“感動的”と表現した。「両陛下の人柄が知れ渡り、中国最後の夜、上海市民が歓迎に駆けつけた」と振り返る蓮見さん。「30万人以上が集まった。こんな素晴らしい元首の訪問は初めてだ」と上海副市長から伝えられ、訪中の成功を確信した。「国の数が増え、国々との交流が盛んになってきたからです」。陛下は2002年12月の記者会見で、昭和と比べ、公務が増えた理由をそう説明し、3日前には、着任の挨拶に訪れたサンマリノの初代大使から信任状を受けたと続けられた。イタリア半島中部に位置するサンマリノは、東京都世田谷区ほどの広さ、人口3万人余りの小国だ。在任15年の初代駐日大使であるマンリオ・カデロさんは、「各国の元首と会ってきたが、陛下ほど謙虚な方はいらっしゃらない」と話す。2006年3月、他の3ヵ国の大使夫妻と共に皇居での昼食に招かれた。緊張したが、故郷・シエナの音楽院や、ヨーロッパで活躍した日本人ピアニストの原智恵子さん(※故人)と、スペイン人チェリストの結婚式を子供の頃に見に行ったことが話題になり、会話は弾んだ。「両陛下は話題が豊富な方々だが、各国大使に細やかに気を使われるので驚いた」と語る。現在、日本に大使館を置く国は150を超えるが、両陛下は各国大使と会う前、相手についての資料に必ず目を通される。外国訪問の前には、御所の書斎の廊下に相手国に関係する本がずらりと並ぶという。「国も人も選ばず、心を込めて交流に尽くされる両陛下の姿勢が、世界中で信頼と尊敬を集めている」。元侍従次長の佐藤正宏さん(76)は、両陛下の国際親善の重みをそう解説する。


⦿読売新聞 2017年6月18日付掲載⦿
スポンサーサイト

テーマ : 天皇陛下・皇室
ジャンル : 政治・経済

轮廓

George Clooney

Author:George Clooney

最新文章
档案
分类
计数器
排名

FC2Blog Ranking

广告
搜索
RSS链接
链接
QR码
QR