【危うき皇位継承】(02) “男系男子”は明治から

20170713 02
近世まで、皇位継承には成文化されたルールは無かった。古代から継承の危機は何度もあったが、厳格な枠が無い故に柔軟に対応できたとも言える。明治期、近代国家の成立と共に、歴史上初めて皇位継承の“枠組み”作りが行われた。1876年(明治9年)に元老院が作成した第1次の“国憲”草案は、継承の順序について「男は女に先ち」と男性を優先しながらも、女性にも皇位継承を認めていた。1879年(明治12年)の第3次草案も、「もし止むことを得ざるときは、女統入て嗣ぐことを得」としている。1885~1886年(明治18~19年)頃に宮内省が立案した『皇室制規』は、「皇族中男系絶ゆるときは、皇族中女系を以て継承す」としていた。この頃まで、男系継承は絶対の原則という共通認識は無かったと言える。これに猛然と異を唱えたのが、法務官僚の井上毅(※左画像)だった。井上は総理大臣兼宮内卿だった伊藤博文に提出した『謹具意見』で、「女性に参政権がないのに最高権力を持つ天皇が女性であることは矛盾」「女性天皇の子は夫の姓を継ぐため、皇統が他に移る」等と女系容認を批判した。

井上が論拠としたのが、自由民権結社『嚶鳴社』が1882年に主催した『女帝を立てるの可否』という討論だった。女性天皇の賛否はほぼ同数であったが、「日本は男尊女卑の国柄で、女性天皇の夫がその上に位置してしまう」という懸念は一致していた。歴史や伝統よりも、当時の社会状況が影響していた。1889年(明治22年)2月11日、井上の意見を入れて、第1条を「大日本国皇位は祖宗の皇統にして男系の男子、之を継承す」とした皇室典範が、明治憲法発布と同時に非公式に発表された。皇室制度に詳しい静岡福祉大学の小田部雄次教授は、「皇位が男系で繋がってきたのは確かだが、明治になって“男系男子”という枠を初めて作って、天皇は男にしか務まらないようにした。当時は女性の社会的地位が低く、女性中心の社会に抵抗があった」と言う。皇室史をよく知る宮内庁関係者は、「皇室の歴史は先ず事実があって、それが慣習として続けられてきた面がある。古来、男系の原則があったなら、明治期に女系容認案が作られなかった筈だ」と話す。そして、「天皇家が他姓になるというのは理解し難い。皇室は元々姓が無いのだから、婿入りしてきた人も姓が無くなる」と、明治期の女帝否定論に疑義を示す。近代以降の皇室制度は、皇位継承に窮屈な服を着せてきたとも言える。小田部教授は、「飛車を守って王を捨ててしまう発想はおかしい。世襲が王、男系が飛車だ。男系に固執すると、世襲制そのものがダメになってしまう」と警鐘を鳴らしている。


⦿日本経済新聞 2017年6月28日付掲載⦿
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