【危うき皇位継承】(03) 皇室史上最も狭い“通路”

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1946年(昭和21年)3月12日、戦後の新たな皇室典範を検討する臨時法制調査会の設置が閣議決定された。審議は7月から始まり、10月に改正法案の要綱を答申。年末には帝国議会で可決、翌1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法と共に施行された。審議での2大テーマが、“退位”と“女性天皇”だった。「女系・女性天皇を認めるべきだ」との意見も多かった。しかし、その主な論拠は、「新憲法が男女平等を明記している故に、女性にも皇位継承を認めたほうがいい」というものだった。「継承の“通路”が男系1本では危うく、女系にも広げるべきだ」という観点の意見は殆ど無かった。結局、旧典範と同じく“男系男子”のみの皇位継承が踏襲された。皇位継承の危機を訴え続けてきた神道学者の高森明勅氏は、「ある程度の人数の男性皇族がいた為、危機感が乏しかった。新たな皇室典範を審議する時点で、皇位継承の危うさに気が付くべきだった」と話す。

「明治の典範で“男系男子”という縛りをかけた。近世以前は女性の天皇がいたのだから、“男子”という縛りは無かった。そして、戦後の新典範では旧典範が認め、過去の皇位継承の多くを可能にした側室制度・庶子継承を否定した」。女性も庶子も排除した為、継承の通路は歴史上最も狭まっていると高森氏はみている。象徴天皇制研究者である京都大学大学文書館の冨永望助教は、「嘗ては、男性皇族が何人もいたといっても、昭和天皇の兄弟の中で秩父宮・高松宮には子供がいなかった。現在の天皇陛下の弟の常陸宮さまも同じ。そういう事実から目を背けていた」と言う。「三笠宮家には、長男の寛仁さまら3人も男子がいたのに、そこから男の子が1人も生まれないとは誰も想像できなかった」と、将来の見通しと継承の構造的問題への認識が欠けていたことを指摘する。戦後の国会では、政府に対し「女性天皇を認めるべきだ」という意見が何度も示されている。しかし、「性別による差別を禁止した日本国憲法14条や、女子差別撤廃条約に抵触するのではないか?」という視点で、皇位継承問題という意識は希薄だった。危機として議論され始めたのは、皇太子家に女子である愛子さまが誕生した2001年末以降だ。高森氏は、「『直系が途絶えたら傍系で…』というが、傍系の宮家の継承を支えてきたのも側室制度。『旧宮家の人たちを戻そう』という発想は、若し当事者にその意思があっても、危機の一時的な先延ばしに過ぎない」と主張する。冨永氏は、「危機管理は最悪の事態を想定しなければならない。『将来、悠仁さまが男の子を5人くらい授かればいい』という根拠無き希望的観測に縋るのは失敗の元だ」と警告する。両氏は、「側室・庶子が考えられない現状では、女系の可能性を認めない限り、継承は困難だ」と考えている。


⦿日本経済新聞 2017年6月29日付掲載⦿
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