【平成の天皇・象徴の歩み】(08) “豊かな海”願い放流

20170725 07
「ザザッ、ザザッ」――。胴付き長靴を履き、網を手にした天皇陛下が、早朝のサロマ湖の浅瀬を進まれていった。1985年9月9日、『全国豊かな海づくり大会』に出席する為、北海道を訪れた陛下は、常呂町(※現在の北見市)の宿舎をお忍びで抜け出し、ハゼ科の魚を採取された。新種ではないが、今までサロマ湖で確認されたことがなかった魚を発見されたという。海づくり大会を手がける全漁連代表理事専務の長屋信博さん(67)は、ハゼの分類学者としても知られる陛下について、「式典でのお言葉では言い表せないほど知識が豊富で、海や魚のことを深く考えておられる」と話す。戦後、日本が経済発展を遂げていく中、沿岸域の埋め立てや工場からの汚染排水で海の環境は悪化。乱獲で水産資源も減った。豊かな海を取り戻す試みとして1956年、東京の築地市場で前身の『第1回放魚祭』が開かれた。翌年の千葉県大会から陛下は出席されている。海づくり大会は、両陛下が毎年式典に臨む『国民体育大会』・『全国植樹祭』と合わせ、“3大行幸啓”と呼ばれるが、その中で唯一、皇太子時代から参加されてきた行事だ。「海や陸水の生物に深い関心を持っていた陛下が関わられたことが、“つくり育てる漁業”の推進に大きく繋がっていった」と、長屋さんは強調する。

放魚祭は1981年に海づくり大会となり、大分県で第1回大会が開かれた。この時の式典での陛下のお言葉は、期待感に満ちている。「日本人は海の環境をよりよいものとし、海の資源が維持されるようつとめなければなりません。さまざまの困難を克服し、現在の日本をつくり出した英知と努力を思うとき、多くの期待を未来に寄せ得るものと確信しております」。2013年に熊本県で開かれた海づくり大会では、熊本市・天草市・水俣市での放流事業が行われた。関係者によると、以前から水俣に強い思いを寄せられていた陛下の希望で、訪問が実現したという。『水侯市立水保病資料館』に陛下が足を運ばれると、館長の島田竜守さん(52)は、産業優先で水俣病が見過ごされ、被害が拡大していった経緯を説明した。「国や県がそれを見逃してしまったのですね」という陛下の言葉が耳に残っている。水俣市漁協組合長の前田和昭さん(68)は、大会前日、レセプション会場で、「水俣の海は一時期、水銀で大変な時期がありましたね。その後、海は元通りのきれいな海になりましたか?」と陛下から問われたという。前田さんは、“豊饒の海”と呼ばれる八代海の恩恵を受けて育ったが、両親と妹は水俣病が原因の運動麻痺等に苦しめられてきた。両陛下は、妹に「体の具合はどうですか?」と声を掛けてくれた。光り輝く水俣の海に、カサゴやヒラメの稚魚を放流した時、揃って浮かべられた笑顔を見て、前田さんは「ずっと水俣の海や患者たちのことを考えてくれていたのだな」と感じたという。


⦿読売新聞 2017年6月22日付掲載⦿
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