【誰の味方でもありません】(12) 住めば都もラクじゃない

いつの時代も、権力者たちは“大きさ”や“高さ”を求めてきた。江戸城からベルサイユ宮殿、ピラミッドまで、権力者のシンボルとなる建築物は、多くの場合、巨大だ。一般人に威圧感を抱かせ、権力に対する尊敬を育む手法なのだろう。最近、奈良県明日香村の甘樫丘へ行ってきた。ここには、乙巳の変(大化の改新)で中大兄皇子や中臣鎌足に滅ぼされた蘇我氏の邸宅があったとされる。「蘇我家は天皇家以上の権力を持っていた」という説に納得してしまうくらい、飛鳥の町並みが一望できる場所だった。しかし、景色はいいのだが、丘だけあって、上ってくるのはそこそこ大変。丘の上で休んでいたら、中学生軍団が現れた。「放課後に友情ごっこでもするのか?」と思ったら、部活でのトレーニングに甘樫丘が使われているらしい。蘇我さん、貴男たちの権力の象徴が、身体を鍛える場所として使われていますよ…。勿論、蘇我の氏族たちが自分の足で歩いていたとは思えない。それでも、上り下りに時間は要した筈。朝廷への通勤時間が丘の高さ分、余計にかかっていたことになる。考えてみれば、これは現代のタワーマンションも同じだ。一時期はセレブの象徴だったタワマンだが、高層階ほどエレベーターの昇降に時間がかかる。タワマン住民は、部屋からの景観と引き替えに、毎日多くの時間をエレベーター内で費やしているのだ。

高いところに住むのも楽ではない。大化の改新を経て、律令国家の完成を目指した古代日本。ミヤコも飛鳥から移っていった。有名なのは平城京と平安京だが、どちらもとんでもなく広くて立派なミヤコだ。例えば、平安京には“大路”と呼ばれる幅30mの道が16本もあった。今でいう約9車線分にあたり、何と現代の国会議事堂前の正面道路ほどの広さである。唐風の都城をパクって、新制日本の権威を高めようとした訳だ。しかし、当然、そんなインフラを維持するのは不可能だった。桃崎有一郎さんの『平安京はいらなかった』(吉川弘文館)に詳しいが、大路も結局は牛馬の放牧地になっていたらしい。平安京全体で見ても、10世紀末の段階で4分の1しか稼働していなかったという。大いなる無駄なミヤコだった訳だ。天皇家の私的空間である内裏も、室町時代までには極小化していた。一時期の面積は半町ほど。平安期における、ちょっと羽振りのいい受領の家よりも小さい。しかし、内裏がここまで狭くなったことに対して、不満の声は上がらなかった。寧ろ、予てから「内裏が広過ぎて不便だ」と批判され、その縮小が何度も提案されてきたという。“身の丈に合う”という言葉がある。しかし、人体としての“身の丈”は、権力者も一般人もそれほど違いがない。巨大過ぎるものは、やはり不便なのだ。インターネットやVRが発達して、座ったままできることが格段に増えた現代。広くて高いことに価値が無くなる日も訪れるのだろうか。


古市憲寿(ふるいち・のりとし) 社会学者。1985年、東京都生まれ。東京大学大学院博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。著書に『希望難民ご一行様 ピースボートと“承認の共同体”幻想』(光文社新書)・『絶望の国の幸福な若者たち』『誰も戦争を教えてくれなかった』(共に講談社)等。近著に『大田舎・東京 都バスから見つけた日本』(文藝春秋)。


キャプチャ  2017年7月27日号掲載
スポンサーサイト

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
ジャンル : 政治・経済

轮廓

George Clooney

Author:George Clooney

最新文章
档案
分类
计数器
排名

FC2Blog Ranking

广告
搜索
RSS链接
链接
QR码
QR