寺の子が悩める青春を経て初の“テクノ法要”を実現した志――『YMO』に衝撃を受けた住職の夢は「西本願寺でテクノ法要を」

どのお寺も、法要こそ存在の根幹。方法も宗義と共に定められているが、在家には難解との声も聞く。ところが一転、老若驚くほど大好評な法要を実現した住職がいる。福井市の浄土真宗本願寺派照恩寺の朝倉行宣住職(49)だ。その志とは?

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5月3日、福井市は朝から夏日だった。市中心部から約8㎞の東郷地域は、清流が流れ、麦の穂が風に戦ぐ。JR越前東郷駅から徒歩5分、浄土真宗本願寺派照恩寺には、朝10時を前に市内外から続々と老若男女が集まり始めていた。照恩寺の音楽法要『極楽音楽花まつり』が目当てだ。それも、門徒でもない人たちが、朝早くから近くはない田舎のお寺まで足を運んだのは、“テクノ法要”があるからだった。慣れない様子で、お年寄りに交じって本堂の外陣に坐る若者も決して少なくない。外国の青年の姿もある。定刻の10時過ぎ。暗闇にした堂内に、鐘の音が鳴り響く。法要開始の合図だ。電子音楽が流れ、本尊の阿弥陀如来がピンク色に輝いた。アップテンポな旋律と共に、柱や欄間が赤・青・緑と色とりどりの光の映像で彩られる。仏前にサークル状に立てられた光のスティックも点滅し、ダンスホールのようだ。ふと音が止み、一瞬の静けさのあ後、本尊がまばゆく黄金色のライトで輝いた。うねるようなリズムに合わせ、朝倉住職を始めとする式衆の『正信偈』が響き渡る。「きみょうむりょうじゅにょらい なむふかしぎこう」と、正面の4本の柱に張り出された和紙がくっきりと照らされ、「帰命無量寿如来」「南無不可思議光」「法蔵菩薩因位時」「在世自在王仏所」…と、正信偈の経文が映し出された。経文はコーラスのついた読経と音楽に合わせ、次々と流れるように映し出され、プロジェクションマッピングによる光の文様は渦のように形を変えていく。天井にはミラーボールのように光が跳ね、本尊からは光明が発光するかのようだ。誰一人、余所見をする人がいない。老いも若きも、忘我の様子で目を見張っている。こうして、あっという間に、潮が引くように静かなフィナーレが流れると、思わず合掌する姿も。時間にして約30分。

この日、午前と午後の2回に亘って行われた光と音楽のテクノ法要は、インターネットの動画配信サイト『ニコニコ生放送』でも生中継され、その時間を楽しみに、1万9000人を超えるインターネットユーザーが参加したという。「かっこいい」「鳥肌が立ちそう」「南無阿弥陀仏」等と、興奮したコメントが溢れた。「極楽浄土の世界を伝えたい」。そんな思いから、朝倉住職がこの光の劇場のようなテクノ法要に踏み切ったのは、昨年5月の花まつりが初めてだ。昨年秋の報恩講が2回目で、今回が3回目。詳しくは後述するが、楽曲も照明も全て朝倉住職がプログラムしている。その技術は、20代の時にクラブでDJや照明のアルバイト経験で培ったものというが、並の思いでは務まらないのは容易に想像できよう。それにしても、伝統的な法要を現代的に、しかも光とテクノ音楽でアレンジするのは、かなりのプレッシャーだった筈。誰も手掛けたことがないのだから。それに、完全を期そうとすればするほど機材も必要だし、お金もかかるもの。照恩寺の門徒は約100軒。師父の朝倉成宣前住職(78)も朝倉住職も、兼職しながらお寺と寺族を支えてきたから、余裕は無い。だが、この3度の開催だけでも、テクノ法要は確実に発展を遂げてきた。朝倉住職が語る。「前回・前々回は、お内陣の中だけを照明していました。でも、今回は表の欄間や柱にもプロジェクターで光をあて、光のエリアを増やしたのです。表まで光をあてることができたので、お浄土の光を浴びているような感覚を演出することができました」。これを実現させたのは、朝倉住職の熱い布教への思いは勿論だが、人々の強い期待があったのは間違いない。実は、今回の斬新な法要の機材は、インターネットを使った勧募“クラウドファンディング”を通じた資金援助で揃えたのだ。5月3日の法要に向けて機材を揃える為に、目標額を30万円と掲げて、「テクノ法要の実現に力を貸してほしい」と呼びかけた。リターンの品は額に応じて、テクノ法要の音源CDや手作りの念珠を準備。すると何と、約2週間で42人が支援に応じ、支援のコメントと共に39万8000円が集まったのだ。1人あたり平均1万円近くの支援を、菩提寺でもないお寺の法要の為に行ったことになる。この資金を基に、朝倉住職はプロジェクター・マッピングソフト・照明器具を買い揃えることができた。そんな前段もあったから、多くの人が楽しみにしていたという訳だ。実際、反響は上々。前回のテクノ法要にも参加したという門徒の40代の女性は、満面の笑みで「前回と全く違う。迫力があるし、凄くよかったです。何より、こんなにお寺に若い人が来るのがありがたい」と話す。門徒のお婆さんでさえ、「極楽の家があそこにあると思ったよ」と確信を込めてにっこり。門徒ではないが、同僚に教えてもらい、市街から車で来たという25歳の女性は嬉しそうに、「普通の法要だったら、先ず来なかったと思う。でも、私もテクノ音楽が大好きで、『お寺でテクノ法要をする』というから興味が湧いて来たんです。来てわかったことは、お年寄りから若い人まで、皆が同じ空間でお寺の法要を楽しめる。これって凄いことだと思いました。仏教ってほんと、自由なんですね」。そうなのだ。“テクノ”と冠してはいるが、行うのは法要なのだ。お寺の法要を実現させる為に、見知らぬ人が支援した。門徒でもない人たちが駆け付けた。更に、インターネット中継で2万人近くが参加した。物珍しさもあるとはいえ、そこには惹き付ける何かがあったに違いない。

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照恩寺の歴史は、福井別院の起源に重なる。文明3(1471)年、蓮如上人によって開かれた吉崎御坊は、文明6(1474)年に炎上。越前国守・朝倉敏景の請により翌年、御坊は一乗谷に移転する。これが照恩寺の始まりだ。その後、朝倉氏の衰退と共に一時期、ここ東郷に坊舎が移された。後に別院機能は今の中心部に移されたが、お寺は残った。城下町・宿場町として発展した歴史を持つ東郷地域は、こぢんまりとした集落ながら風情のある町並みだ。照恩寺を含め、約20ヵ寺が密集する地域でもある。朝倉住職は昭和42(1967)年、照恩寺の長男として生まれた。妹と弟がいる。先述した通り、門徒は約100軒。父の成宣住職は、先代住職(※朝倉住職の祖父)が早くに亡くなったことから、27歳で継職。以後、公立中学校の教員をしながら、お寺と家族を支えてきた。長男でもあり、小学1年生の頃から報恩講では『御伝鈔』の一節を読んでいた朝倉少年だが、お寺を継ぐことには抵抗があった。「お寺に対しては暗いイメージを持っていた。『あんたが継ぐんよ』と言われるのが凄く嫌でしたね。『僕、継がなあかんの…』と。シャイだったので、面と向かって親に反発することはなかったけれど、悶々としていました」。悩める思春期、心を打ち込ませたのは音楽だった。きっかけは、オーディオマニアだった成宣住職が新しいスピーカーを買ったことで、お古を貰えたのだ。「それまではテレビの歌番組を観る程度。でも、自分の部屋で音楽を聴く環境を与えられた。そこで出会ったのが“YMO”だったんです」と朝倉住職は微笑む。『YMO』はご存知、細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一による音楽グループだ。シンセサイザー等、電子楽器を多用したクラブミュージック“テクノミュージック”がムーブメントとなった1980年代、YMOは日本のテクノ音楽を牽引した。その作品は、地方の少年の五感も直撃していた。

朝倉住職が熱っぽく話す。「今まで聴いたことのない音・リズムでした。コンピューターというその当時、珍しかった機械によって作られるサウンドの未来観。楽曲の素晴らしさ。メロディーの美しさ。全てが衝撃でした。何より、僕の心を惹き付けたのは、メンバーに三人三様の素晴らしさがあり、それがちゃんと融合されて作品になっていることだったのです。今から思えば、阿弥陀経の世界そのものでした。唯一無二の世界観を、3人のバランス感覚で作っている。しかも、彼らは自分たちの音楽を固定せず、常に新しいもの、実験的なものを模索していた。『次はどんな作品なんだろう? どんな音楽なのだろう?』というワクワク感もありました」。周囲は『ライディーン』や『テクノポリス』といった初期の作品で満足して離れていったが、朝倉少年はよりコアなファンへと育っていった。「友だちと話が合わなかったですね」と笑う。閉塞感から解き放たれたのは、進学先の京都だった。北陸高校卒業後、龍谷大学文学部真宗学科に進学。そこで出会ったのが、「偶々遊びに行ったディスコで、そこの女性のDJが物凄くコアな音楽をかけていた。『うわっ、こんな音楽が、こういうところでかかるんだ』と思った」。早速、ライブハウス兼ディスコのようなお店でアルバイトを始めた。平日がライブハウス、週末はディスコ営業という店で、朝倉青年はこの時期、DJや照明の経験を積んでいくのだ。「学業はそっちのけでした」と振り返る。学生時代に教師資格は取得したものの、音楽の世界に思いが残っていた。そんな時、勤め先の店長から「京都を離れ、独立しよう」と声をかけられ、迷った。両親に伝えたところ、「帰ってこい」と激怒された。結局、24歳で帰ることになるのだが、心を決めさせたのも音楽三昧の学生生活だったというから、わからない。「音楽の仕事を通じた出会いで学んだことは、『自分が素晴らしいと信じる音楽を如何に伝えるかが大切だ』ということでした。音楽を愛するからこそ、伝え方にも工夫する。『この良さを多くの人に知ってほしい』という思いが、それを伝えるDJや照明の表現のベースにある。そんな経験を重ねる内に、『あれ?』と気付かされたのです。『お坊さんの役割って、音楽というメディアが教えに変わっただけじゃないのかな?』と。『寧ろ、素晴らしいものを伝えるという意味では、音楽よりももっと尖がっていて、とんでもないことなんじゃないのかな?』と。徐々に、そんな風にも考えていったのです。だから、お寺に帰ることができた」。帰郷後、最初は地元の授産施設、その後は母校の北陸高校の事務局に務めながら、お寺の仕事を手伝い始めた。お参り先では、どこも「若さん、若さん」と門徒は歓迎してくれた。嬉しい反面、自分に対する焦りも募った。

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「仏教の勉強はしていても、圧倒的に経験が足りない。お話もできない。『自分は坊さんっぽくない』という気持ちが強く、『坊さんらしくしないといけない』と1人で思っていた。『一体、どれが本当の自分なのか?』とも考えました」。師父の成宣住職の存在もあった。「お坊さんのモデルが身近に父親しかいない。父は中学校の教員だったこともあり、地元の人の敬愛を集めていました。お手本になるべくしてあるような人。でも、『自分はああはなれない』と勝手に比較して、うだうだ悩んでいました」。悩みは続いたが、そんな朝倉青年と共に歩んでくれる生涯の伴侶に出会ったのもこの頃。小学校の教員だった1つ年上の和代さん。朝倉住職は嬉しそうに話す。「妻はうじうじせず、スカッとした女性。笑い方が気持ちのいい人でした。そこが魅力的だった」。29歳で結婚する。3人の子供を授かった。長く兼職で支えてきた照恩寺だが、お寺の行事には力を入れている。春夏の永代経に花まつり。秋の報恩講は、今日日珍しい3日間に亘る。出店も出る。加えて、毎月1回は“常例布教”として布教使を招き、法話を聴く場もある。こうした行事に加え、行宣師と和代さんの若夫婦が新たに始めたのが、子供へのアプローチだ。1つは、夏休みのラジオ体操に合わせた子供向けの朝の勤行。「この辺りはお寺が多いこともあり、宗旨がバラバラ。でも、お寺の隣の神社でラジオ体操する子供たちに、『これからお寺でお勤めするから、興味のある子はおいで』と言うと来てくれました」。子供たちは直ぐに正信偈を覚えた。発表の場を設けようと、3日間の報恩講の1日を“子供報恩講”に充てることにした。本堂で「なんもあーみだーんぶ」と唱和する子供を縁に、地元の若い親たちとの交流も生まれた。一方、やはり10年近く前から、地元のお寺と共に始めたのが、地域あげての花まつり。「駅から一番アクセスがいい」という理由で、照恩寺が会場になった。行宣師は音響担当として盛り上げた。そんな活動から手応えを感じる一方で、「もっと伝えたい」という欲が出てきたという。

思いを強くさせたのは、僧侶としての葛藤、それに悲しい出来事もあった。8年前、妻の和代さんの両親が相次いで亡くなった。「妻は1人娘。本当は、向こうの両親は養子が欲しかったのだけれど、僕との結婚を許してくれた。真宗三門徒派の熱心なご門徒で、『娘がお寺に嫁ぐのは嬉しいことだ』と受け止めて下さった。ありがたい義父母が亡くなり、それも縁として、お釈迦様の言葉、親鸞聖人の言葉が腑に落ちるようになったのです。それまで僕は、『お坊さんはこうあるべきだ』とか理屈で考えていたけれど、教えが心でわかる瞬間があることを実感したのです」。教えが響いた時、もっともっと広く伝えたいと思うのは「ファン心理だ」と、朝倉住職は話す。でも、現実はどうか? 月参り等先祖供養には皆、熱心だが、お寺の行事には然程関心が無い。毎月の常例布教も数人が参加する程度。法事の参列者も退屈そうに聞いているのが、背中越しにひしひし感じる。最早、法要は我慢大会になっているのではないか。「蓮如上人が吉崎に来られた時、親鸞聖人の教えを皆に親しみを持ち易いものにしようと、正信偈を日常的な勤行に変えられた。けれども今、正信偈に人々が親しみを持ち得なくなっている。とても寂しい光景でした。どうすれば伝えられるか、伝わるのか。思ったのが、浄土真宗には、美しいお経があること。『音楽として改めてお勤めを意識してもらえたら、多くの人に発信できるのではないか?』と考えたのです」。それがストレートに、好きなテクノ音楽と法要の融合に繋がる。一昨年10月、48歳で師父からお寺を継いたのを機に、自分なりの音楽法要の模索に入った。背を押してくれたのが、妻の和代さんだ。躊躇する朝倉住職に、「面白そうだからやりましょう。やらなきゃ何も変わらない」と言ってくれた。音楽法要に照明を加えたのは、「本堂のお荘厳は、当時の方がイメージするお浄土の姿を具現化したもの。内陣の金箔を美しく輝かせたのが蝋燭でした。お寺の姿は、その時代その時代最新の技術を使って、お経に説かれた世界を伝えてきた歴史そのものです。『今の最新の“光”を使って、阿弥陀仏の十二光や、お浄土の世界を表現できたらいいな』と思ったのです」と話す。兎に角、「失敗したらこれきり」という思いで手掛けたのが、昨年5月の花まつり。当初はレーザー光等の照明ショーで彩ることを考えていたが、プロジェクターで画像を投影するアイデアを教えられた。恐る恐るやってみると、「本番では、参列したお年寄りたちがごく普通の法要と捉え、終わったら『なんまんだぶ』と音通にお唱えされていた。『あっ、これはいける』と思いました」と朝倉住職は笑う。

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この第1回目が地元紙に報じられ、一気に話題が広がった。写真ではその魅力が十分に伝わらないテクノ法要だが、インターネットで動画が手軽に見られる現代の環境で更に多くの興味を惹いたことは、地方のお寺の可能性を示唆する一コマだ。『ニコニコ生放送』の協力も、そうしたところから生まれた。今回は地域興しにも繋げようと、地元の鯖寿司や地酒も提供。有志のスタッフによる手打ちの越前おろしそばも振る舞われ、集まった人たちは舌鼓を打った。だが、既に朝倉住職の頭の中には、新たな構想が浮かんでいる。「今後はご門徒を中心に、またご門徒さんに限らず賛同頂ける方と共に実行委員会を立ち上げ、若い人たちへのアプローチに繋げられたらいいなと思っています。今回も色んな人が関わって下さることで、アイデアが生まれた。クラウドファンディングを通じての支援は、大きな励ましにもなりました。新たな可能性も見えた。こんな田舎のお寺に、国内外のメディアが注目したのも、その1つでしょう。正直、これまでの門徒さんだけでお寺を支えて頂くのは限界がある。門徒さんも、そうでない人にも関わってもらえるお寺のあり方を模索する1つのきっかけにもなりました。テクノ法要を広めるのではなく、阿弥陀様のファンを広げるのが僕の願い。法要ってファンの集いですよね。僧侶はお釈迦様のファンを広げる宣伝マン。そこに完成形は無い。悩みながらですが、その瞬間、瞬間の“今”を僕なりに伝えていけたらと思っています」。この教えを伝えたい――。時代、時代の強い願いが、今の仏教の姿を作ってきたのだ。そんな朝倉住職、「いつか、西本願寺でテクノ法要ができたらいいね」とも笑顔で話された。その日が待ち遠しい。




キャプチャ  2017年6月号掲載

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