【アホでマヌケな韓国人】(07) 韓国の大統領は“専制王”である

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韓国人は、様々な言葉を使って自国を呼んでいる。腐敗共和国・腐敗社会・サムソン共和国・サムソン社会・盗棒文化・猝富文化・貧富文化・貨幣文化…等、日本が貧しかった時でも、日本人が自国を指して呼ぶことが全く無かったような言葉が氾濫している。“猝”は“にわか”を意味している。韓国の財閥グループが其々、時の政権と癒着して経済界を支配するようになったのは、周知のことだ。『ワシントンポスト』は、「韓国の青年たちは自国のことを“ヘル朝鮮(地獄の朝鮮)”と呼んでいる」と報じている。苛酷な入学試験・受験戦争を乗り越えて大学を卒業しても、“ペック”が無いと就職できない。ペックは“コネ”のことで、英語の“バック(背景)”が訛ったものだ。2015年、『サムソングループ』が韓国のGDP(国内総生産)の30%台を占め、トップの5つの財閥企業の売り上げを合計するとGDPの58%、10大財閥企業では80%を占めた。まさに、サムソン共和国か猝富文化である。筆者が初めて韓国を訪れたのは、日韓国交正常化の前の1963年のことだった。『新潟日報』等の地方紙から韓国について連載を書くように依頼されて、『時事通信社』特派員の肩書きを貰って韓国に入国した。国交正常化前だったから、ソウル在住の日本人なんて、商社の駐在員や通信社・新聞社の特派員等、50~60人しかいなかった。筆者は26歳だった。韓国は貧しかった。街の食堂に、駐留アメリカ軍キャンプが捨てた兵士の食べ残しを調理した“部隊チゲ”があった(※今でも大衆食堂に“プデチゲ”がある)。筆者はどこへ行っても歓迎された。市内の土間の食堂やポジャンマチャ(屋台)を覗いて、日本人だとわかると懐かしがって、競うようにしてマッコリを奢ってくれた。

ある晩、現地で雇ったカメラマンの郊外の自宅に招かれて歓待された帰り、22時半を過ぎてタクシーも無かったので、都心へ向かうバス停で、若い娘の車掌にホテル近くで降ろすように頼んでもらって乗った。バスは満員だった。筆者が日本人だということが伝わると握手を求められて、30分もすると、全員で次々と日本の学校唱歌を合唱してくれた。筆者はその後、韓国をしばしば訪れて、金鐘泌首相(※当時)・全斗煥・盧泰愚・金泳三・金大中大統領を始め、韓国の各界のエリートの親交を得るようになった。その韓国が今、朴槿恵大統領のスキャンダルによって大きく揺れている。大韓民国が1948年に誕生してから、初代の李承晩大統領から朴槿恵大統領まで、11人の大統領が登場した。李承晩大統領は腐敗政治によって追われて、ハワイへ逃亡した。在職中に側近の警護室長によって暗殺された朴正煕大統領と、李承晩政権が倒れた後を継いだものの朴大統領(※当時は陸軍少将)による軍事革命によって10ヵ月で追われた尹潽善大統領と、朴大統領の後8ヵ月務めた崔圭夏大統領の3人を除けば、10代目の李明博前大統領まで、7人の大統領全員が退職後に、本人、又は息子や兄弟が巨額の不正蓄財のかどで逮捕されている。李明博大統領の前任者だった盧武鉉大統領に至っては、退任直後に収賄疑惑によって自殺している。韓国は日本の直ぐ隣国であるのに、あまりにも異質な国だ。このように、大統領を始めとする権力者による不正行為が年中行事となっているのに、自浄作用が働くことが全く無い。世界の中で、韓国人ほど自嘲的な国民はいない。自ら“韓国病”を患っているというが、癒すことができない。韓国が自浄作用を働かせる為には、筆者は自国の歴史と向き合わなければならないと思う。韓国病の病原はどこにあるのだろうか? 韓国国民の何よりもの不幸は、強大な中国と国境を接してきたことにある。韓国では今でも、“大国”といったら中国だけを意味している。アメリカは“美国”だし、ロシアはロシアである。中国の『魏志東夷伝』には、古代満洲にあった扶余・高句麗・倭等について記録してあるが、高句麗の民が「礼に富み、寛大、廉潔で、自尊心、快活に溢れている」と述べている。高句麗は称賛される国だった。朝鮮半島では新羅・百済・高句麗の三国時代が続いたが、7世紀に入って新羅が唐と結んで、先ず660年に高句麗を、668年に百済を滅ぼして、半島を統一した。新羅は進んで唐の属国となって諸制度を採り入れ、国民の名から服装まで唐風に改めた。それまで、三国の姓が2文字で書かれる二字姓だったのを、創氏改名を強制して中国の一字姓に変えて、今日に至っている。

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新羅は9世紀に入ると、国内が乱れ、代わって高麗が936年に半島を統一した。高麗朝は中国から独立の度合を強めたが、14世紀末まで続いた。だが、党派抗争と反乱が絶えず、13世紀に元(モンゴル)の侵略を蒙った。高麗は、その武将の李成桂によって滅ぼされた。李成桂は武力によって高麗朝を倒し、1392年に李朝を創建して、進んで明に臣属した。“朝鮮”という国号も明が付けた。李朝は“慕華思想”を国是とした。明を“大中華”と呼び、自国が“小中華”だとして誇った。高麗の業績を一切否定する為に、高麗の国教だった仏教を徹底的に弾圧して、中国に倣って儒教を国教とした(崇儒廃仏)。今日の大韓民国が、その前の体制である日韓併合時代を全て否定しているのと同じことである。韓国は、大中華として仰いできた中国と同じように、歴史は為政者の都合に合わせて作るべきものであるから、歴史に継続性が無い。李朝は仏僧を賤民の身分に落した。この為、日韓併合後に日本が仏教を復活するまで、仏寺は山奥にしかなかった。今日でも骨董屋を覗くと、五体満足な仏像が無い。国王が専制主として、生殺与奪の絶対的な権力を握って、高官たちが党派抗争に耽り、収賄や売官が日常的に行われた。政治が苛斂誅求を極め、人民は容赦なく搾取・収奪された。李人植は李朝末期の知識人だが、「賤民は両班に鞭打たれ、殺される/何をされても、不平をいえない/少しでも値打ちがある物を持っていれば、両班に奪われる/妻が美しくて両班に奪われても、文句は禁物だ/無力な賤民は、生命すら両班の気ままに委ねられている」(『韓国現代史』・新丘文化社)という詩がある。

両班は、朝鮮時代の支配階級だ。日本では、明治初年に武家は人口の8%だったが、両班は日韓併合時に全人口の半数以上に上った。今日でも韓国語には、日本に無い“清吏”・“火災”・“水災”と並んで“官災”、裁判について“有賤無罪”・“無賤有罪”という言葉が使われているが、これは李氏朝鮮社会に発している。筆者は、ソウルの街角の祈祷所で“官災除け”のお札を買って持っているが、嘗ては役人に苛められないように朝鮮服の袖に入れていたという。今日では財布に入れている。韓国の悲劇は、中国という毒性が強い甕にどっぷりと漬かってしまったことだ。李氏朝鮮は“ミニ中国”だった。中国が韓国の民族性の雛型を作っている。韓国病は“中国病”の別名である。同じ王朝の下でも、凄惨な権力闘争によって為政者が交替したから、社会が安定することがなかった。人々は、自分と一族を守る為には、権力に寄り添うか、自分の利益を何よりも大切にせざるを得なかった。信義は表面的なものだった。私は外国を訪れる毎に、親が小学生を学校へ送り出す時に何と言うか訊ねてきた。日本では「皆と仲良くしてね」、韓国では「負けるな!」「1番になれ!」、中国では「騙されないように」と戒めるという。韓国では、負けたら再起することができない。2番目では生き残れない。韓国の友人が、「この国では“winner-takes-all(勝者が全てを独占する)”と言いますよ」と英語を使って説明してくれた。韓国人は権力を崇める。“事大主義”として知られるが、“事”という漢字には“仕える”という意味がある。大きな力に膝を屈して奉仕するのが、民族性となっている。韓国人は、強大な権力を崇めて、憧れる。日本ではキリスト教徒が国民の1%しかいないが、韓国国民のほぼ半分がキリスト教を信仰しているのも、絶対神が親しみ易いからだ。金日成・金正日・金正恩も、朝鮮・韓国の風土に適っている。李氏朝鮮は、1876年の『日本国朝鮮国修好条規(約)』によって鎖国を解くと、日本に倣って開化・近代化を図ろうとする“開明思想”を抱く国士が登場した。1884年に開化派の金玉均が『独立党』を率いて権力を奪取し、清の宗主権を否定して独立を図った。時の高宗国王は李朝26代目の王に当たったが、大いに喜んで、高麗が滅んでから492年ぶりに“朕”・“陛下”・“太子”の言葉を用いた。世界で朕・陛下・太子の称号は中国の皇帝のみが使うことができたから、中国に臣属していた朝鮮は、国王を“殿下”、皇太子を“世子”と呼ばなければならなかった。金玉均は日本と結ぼうとした。ところが、漢城(※当時のソウルの名、漢は中国の意味)に駐留していた1500人の清軍が出動した為、僅か140人しかいなかった日本の駐留軍が敗退して、金玉均による政権は三日天下に終わった。

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金玉均は、政権を掌握する前に日本を訪れて、福沢論吉と親交を結んでいた。失脚後に日本へ亡命したが、10年後に上海で暗殺された。日本は1892年、朝鮮を独立させることを戦争目的として掲げて、日清戦争を戦った。日本が勝つと、清も朝鮮の独立を認めることになり、高宗は大韓帝国皇帝を称して、国号を大韓帝国に改めた。ところが、その後も政治の腐敗や、李朝最後の王である高宗も巻き込んだ党派抗争が続き、大韓帝国は国号を改めただけで、国の態をなしていなかった。一方で、ロシアが朝鮮半島を支配しようとして高宗を取り込む傍ら、鴨緑江を越えて朝鮮半島の内部に要塞を築く等、日本の勢力を駆逐しようと謀っていた。そして1904年、日露戦争が始まった。数十万人の韓国国民が日本の勝利を願って、日本軍に積極的に協力した。李容九も開化派の1人だった。14万人の会員を擁する『一進会』を率いて、日本軍の為に軍需品を運搬し、ロシア軍陣地に潜入して偵察したり、鉄道の敷設を援ける等、惜し気なく協力した。李容九は明治維新後に日本に滞在して、「韓国と日本が対等な立場で提携して、韓日同盟を結び、両国が連邦を作って韓日合邦を行うべきだ」と信じるようになっていた。李容九は日本に倣って、一進会の綱領に“韓国皇室の尊崇”を掲げた。李容九は大韓帝国最後の総理大臣として、日韓併合条約に調印した李完用と並んで、今日の韓国において“売国奴”の烙印を押されて、最大の国賊となっている。

韓国では、36年に亘った日韓併合時代を“日帝時代”と呼んでいるが、日本時代を体験した多くの韓国人が、「日本時代には社会全体が規律正しく、役人が清廉で賄賂を取ることが無かった」と懐かしがっていた。グレゴリー・ヘンダーソンはアメリカの外交官で、戦後に韓国に勤務したが、1960年代末に刊行された名著『韓国 渦巻きの政治』(ハーバード大学出版局)の中で、「韓国人は日本統治を受け入れ、その末期でも、反日、あるいは独立運動にかかわった者は、人口の僅か5%しかなかった」、第2次世界大戦中に日本の士官学校を卒業した韓国人将校の約半数が戦死したが、「1人として日本軍から、脱走した者はいなかった。全員が日本人として高い誇りを抱いていた」と述べている。韓国人は、日帝時代には中国病を振り切ることができたのだった。今、韓国は“中国病”と決別しなければならない。慕華思想こそ韓民族の宿痾であってきた。今日の韓国は李氏朝鮮の延長であり、真っ当な国とする為には、何よりも大統領に権力が過度に集中する制度を改めなければならない。ドイツやインドのように、国家の祭り事のみ司る大統領の下に、日本やイギリス型の実務を担う首相を置くべきである。筆者は韓国の友人たちに、ドイツやインド型の大統領制にするか、李王朝の末裔を捜して李朝を復活し、実権の無い王制を採ることを勧めている。韓国の友人の中にも賛成する者が少なくない。更に筆者は、韓国が王制を復活して、日本やイギリス等のヨーロッパ型の立憲君主制を採ることを勧めたい。若し日本から天皇という存在がいなくなったら、韓国と変わらない国になるに違いない。李朝と日本の皇室は、梨本宮方子女王が李朝最後の皇太子に嫁がれており、縁戚関係にある。だから、韓国が王制を復活させれば、日韓関係は良好なものとなろう。ヨーロッパでは、立憲君主国はどの国も政治が安定している。権威と権力を分けている為だ。スペインは第1次世界大戦後に王制を廃止したものの、後に王家を復活させている。韓国人ほど血筋と社会的地位に執着する国民は珍しい。韓国人は、外を飾ることにどの国民よりも拘る。韓国国民は、全員が両班に強く憧れている。庶民も旧正月や両親の誕生日には、親の前で両手を床下について低身して、「万寿無窮をお祈りします」と言って祝詞を唱える。韓国人は未だに儒教の虜となっているのだ。財閥企業は其々、血筋と上下関係に基づく儒教社会を形成している。中国や李氏朝鮮における儒教は、専制体制を支える政治思想だったが、儒教が日本に伝わると日本化して、精神修養哲学となった。韓国は儒教が笑いを禁じていたから、暗い社会だ。李氏朝鮮時代には落語に当たるものが無かった。今日の韓国に漫才に当たるテレビ番組があるが、そのような言葉が無いので、“ゲグ”(※英語の“ギャグ”を誤って発言)と呼ばれている。儒教離れも図るべきだ。 (東京国際大学特任教授 加瀬英明)


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